槙田商店の傘



2012年8月31日(金)

酒蔵に行き、そこで試飲し、気に入った銘柄を買う。
そういうことを、いつかしてみたいと思う。
どんな人が働いて、どんな想いがあって、
その味を作り出しているのか。
どんな歴史があって、どんな紆余曲折があって
その味にたどり着いたのか。
そういうことを聞きながら、味わってみたい。

日本酒はそういうことができる。
ビールもウィスキーもできる。
他の商品はどうなのだろう。
多分、その商品が一つの工場で一貫して作るものだけに限られるのだろう。
繊維製品は、多くの過程を様々な工場を移動しながら出来上がっていく。
だから、なかなか難しい。

そんなことを考えていた。
そして今、手元にとても素敵な傘がある。
5月に見学させていただいた、槙田商店の傘。
慶応二年から絹織物を続けている、老舗中の老舗。
すべて日本国内の物づくり。
そんな傘を手にしただけで、もうすでに嬉しい。

佇まいが美しい。
柄に巻かれている紙ひもだって、
美しい手わざが偲ばれ、
解くのがもったいない。
開くと、大小の蝶が羽を広げて、花畑の中で並んでいる。
柄がきちっと合っている。
こういう柄は、生地を一枚ずつ裁断する。
縫い合わせが難しいのは勿論のこと。
表はグレーがかったブルー地にグレーの蝶。
 
裏は色が反転し、ぐっと明るくなる。
差している本人の顔色も、心も、明るくなる。
 創業140年の、織の技。
その光沢。
細部まで気を抜かない手仕事。 
 裏側だって。
  こんなところも。
あんなところも。
最後まできっちりと。


傘は開くと直径が1mもある。
女性の身体がすっぽり入って余りある。
柄の美しさと、持ったときの軽さ。
そして、その大きさ。
それらに挑戦するような、安定感。
見れば見るほど、持てば持つほど、
その魅力に引き込まれていく。


槙田商店の傘は、直接買える。
インターネットにもお店があるし、自社でも直販している。
槙田商店は、生地作りから傘の製造まで
自社で一貫して行っている、数少ない工場だ。
だから、こうやって消費者に直接売ることができるのだ。
顔の見える買い物。
これは、日本酒やビール、農作物に限ったことではないのだ。


これから、この傘は
雨の日の強い味方になってくれるだろう。
こんな傘を差していたら、
「入りませんか?」と
雨宿りする人に気軽に声を掛けられそう。

9月の長雨が楽しみになってきた。


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彼らの里帰り



2012年8月30日(木)

ニューヨークの出張から戻ってきたのが、7月31日。
明日でひと月になる。

帰国後、すぐに時差ボケが出始めた。
日本の湿気を自分のブログであれだけ礼賛しておきながら
あっという間に、ノックダウンしてしまった。
私は、そんなものである。

寝るわ寝るわ、寝るわ寝るわ。
どれだけ寝ても、まだ眠れる。
身体が垂直になる時間が、ほとんどない。

ある時、時差ボケだけではないなと、気が付いた。
疲れが溜まっているのだろうと。
時は夏休みシーズン。
まぁちょっとならいいか、と「やる気」と「根気」に暇を出した。
「みなさん、みなさん、お知らせです。
お盆の間、夏休みにします。どうぞどこへとおいで下さい。」

もともとあまり図体の大きくない彼らは、
「あ、そうですか」と言うと、
ひらりと飛び上がって、ひゅるひゅると実家に帰ってしまった。

彼らの実家は、こりん星である。
宇宙のどこかにあるらしい。
しばらく前、こりん星PR担当だったテレビタレントが
「自分の実家は千葉県茂原市です」といって、
あっさりカミングアウトしてしまったが、
こりん星自体はどこにも行っていない。

しかし、私はこの星がどこにあるか知らない。
連絡の取りようがない。
私は「やる気」と「根気」がお盆休みから帰ってくるまで
ゆっくりと寝て待つことにした。

眠れる眠れる。
お盆が過ぎた。
多摩川の花火大会も終わった。
まだまだ眠れる。
秋の虫も鳴きはじめた。
葡萄がスーパーに並び始めた。
それでも眠気は収まらない。

どうしたことだろう、彼らはなかなか戻ってこない。
行ったきり、何の便りもない。
どういうつもりなのか。
いつ帰るというのだ。
そんなにこりん星がいいのか。
だったら、勝手にしろ。

というわけにはいかない。
だんだん心配になってきた。

もしかしたら、地球での働き場所、
つまり、私の肉体に問題があるのかもしれない。
筋肉やら骨やら水やらなにやら。
その環境があまりよろしくなくて、彼らは帰ってこないのかもしれない。
これはきっと、無言の抗議行為に違いない。
「やる気」と「根気」のストライキだ。

魚は大好きで、いつも丸ごとむしゃむしゃ食べる。
春の検査で、骨粗鬆症は問題なかった。
骨は大丈夫。

この一年ほど、大好きだったお茶とコーヒーを控え、
カフェインレスの生活をしている。
お酒も1/1000ぐらいに減っている。
水の質もいいはずだ。

問題は、筋肉だ。

運動大嫌いの私は
筋肉がほとんどない。
なるべく体を動かさずに、すべてをやり過ごしたい。
東京に暮らしているために、仕方なく駅まで歩き、
階段を上ったり下りたりするが、
なるべくエスカレーターやエレベーターを使いたい。
ちょっと重いものを持つと、すぐタクシーに乗りたがる。

つまり、体力がないのだ。

「やる気」と「根気」は、筋力の細胞の中に住み込むのか。
そうなると、わが住環境は、甚だお粗末である。
彼らが戻ってこない理由がここにあるとすれば、
これは大問題である。
なぜなら、強化・修復しようにも、
途方もない時間がかかってしまうからである。
それに、、、。
あはは。
肝心の「やる気」と「根気」が留守である。
なんとしたことか。

この秋から私は大忙しになる予定をしている。
しかし、彼らが戻ってこないことには、お話にならない。
大忙しは、あくまで予定。
あくまで、彼ら頼みである。
これは真剣かつ早急に取り組まなければならない
大問題だ。

そう気が付いたとき、
ぱらぱらと粉のようなものが降ってきた。
あ、やる気の粉だ。
「やる気」と「根気」は単体ではない。
粒子の集合体である。
こりん星に帰る時は、集合体が一同揃ってサーっと引き揚げてしまった。

きっと、その中でおそらく「偵察隊粒子群」が戻ってきたのだろう。
「アイツノカクゴハホントウカ、サグッテコイ」
このちょびっとした粒子のお蔭で、
なんとか今やらなければならないことが、進みだした。
有難い。
「大丈夫。本気です。筋肉付けます。約束します。
だから、残りの皆さんに早く戻るように言って下さい。」

「イウノハカンタンダ」
その通り。
あなた方は長年私の筋肉に住み着いているのですね。
私のことはよーく分かっておいでですね。
そう。私はいつも三日坊主。
おためごかしは通用しない。

数日後、また新たに「やる気の粉」が少し戻ってきた。
私の本気が少し伝わったのかもしれない。
よーし、本気で筋肉付けるぞ。
私のこれからのバラ色の生活は、キンニクにかかっている。
来年の夏は、もう里帰りさせないようにしよう。

こりん星。
どこにあるのか、こりん星。
きっと、住みやすい、いい星に違いない。
一度は行ってみたい。





【お知らせ】 ギフト・ショーに出展します



2012年8月29日(水)

厳しい残暑の中にも、秋の風をふと感じられる季節となりました。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
いつもこのブログをお読みいただき、誠に有難うございます。

お知らせがございます。
来週、東京のビッグサイトで行われる展示会に出展いたします。


会期:      201295日(水) ~ 7日(金)
時間:      10:00 ~ 18:00 (最終日のみ17:00まで
会場:      東京ビッグサイト アクセスはこちら >>>>>
ブース番号:     西棟1F 1022 (J おしゃれ雑貨&レザーグッズフェア内)




harukii にとっては、国内で初めて
バイヤーの皆様に商品をお見せする場となります。
この春から企画を立て、国内の工場さんと一緒に作ったストール、マフラーを
展示いたします。
今回は、すべて山梨県南都留郡西桂で作りました。

出展品
・ぼかし染シルクカシミヤストール
・和紙ぼかし染めストール
・細番手リネン平織ストール
・シルク・ウール・リネン・ヘリンボンストール
・コットン綾ガーゼマフラー
・大柄ペイズリー・ジャカード織ストール


大人の男性、女性のデリケートな肌に、
優しく触れる風合いを大切にしました。
今年のクリスマス・ギフトにお使いいただける商品もございます。

ギフト・ショーは出展企業が約2400社という、日本最大規模の展示会です。
このブログを読んで下さる方の中にも、
すでにご来場を予定されている方も、多数いらっしゃると思います。
大きな会場で、見るべきものもたくさんございますが、
もしお時間が許しましたら、ぜひ harukii のブースにも、
お立ち寄りくださいませ。

※入場には、事前登録が必要となります。
こちらでご登録ください。>>>>>

皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。


株式会社はる希
代表取締役 高橋裕子




2013春夏 コットン綾ガーゼ #2



2012年8月28日(火)

今回のサンプルづくりで、
ある意味で、出来上がりを一番楽しみにしているのは、
コットンだけで作るあや織りのガーゼマフラーだ。
ひそかに、定番商品に育てたいと思っている。

おしゃれのため、というより、
手軽に使えて、「巻くのが気持ちいいから巻く」という商品にしたい。
極上の柔らかさで、汗もよく吸い取り、手入れも簡単。
それで、サイズも小さめのコットン100%のマフラーにした。

コットンの糸は、武藤さんに頼んで、できるだけ柔らかい糸を選んでもらった。
なんでも、極上のYシャツ地が作れるぐらい上質な原綿から作った糸だそうだ。
それを聞いただけで、アドレナリンが上がる。

染色に関しては、生地の柔らかさをなるべく損なわないために、
織ってから染めるのではなく、糸の段階で染めた。


先週の土曜日、武藤さんの打ち合わせテーブルの上で見た、
まだ糊抜きしていない、
織り上がったばかりの生地。
触ると、パリパリしている。
能衣装や、裃の生地のようだ。
 折り鶴なんか折れてしまいそうに、固い。
まだ、たて糸がつながったまま。
一枚のなが~い生地である。

これから八王子に送り、糊抜きと乾燥をしてもらう。
その後、またここに戻って、“最終工程ガールズ”
一枚一枚切り分けてもらう。

その時、発注書を手元に持っていなかったので、
希望した色と合っているかどうか、確認できなかった。
でも、一目見て、とてもきれいだと思った。
これが、糊抜きするとまた表情が変わる。

さぁ、どんな顔になって上がってくるのか。
私の手元に届くのが、一番早くて明日だ。
ちょっと、いや、とてもドキドキしている。
はやくこいこい、綾ガーゼ。


「2012春夏 コットン綾ガーゼ #1」

「2013春夏 コットン綾ガーゼ #3」






山梨県南都留郡西桂へ行って来た Ⅱ



2012年8月27日(月)

土曜日、山梨県西桂に行ってきた。
展示会前の最終確認のために。

ニューヨークの展示会サンプルから、染色の修正を加えたもの、
ワンポイント刺繍を施すことにしたもの、
そして、まだ一度も見ていないサンプルもある。
それらの納期確認。

今、工場さんは秋冬物の商品の生産で、最後の追い込み中だ。
機械はそのためにフル回転。
職人さんたちも、額に汗して、フル回転。
そんななかで、展示会のサンプルを作って頂いている。
こちらとしては少しでも早くサンプルの顔を見たいが、
職人さんたちのスケジュールはきっちり埋まっている。
出来上がってくるのが、展示会直前になるものもありそう。
焦らない、焦らない。
私が焦って何ができるという。
じっと待とう。
任せれば、きっといいのが上がってくるはずだ。

まだ一度も見ていないサンプルが、テーブルの上に織り上がって
次の加工を待っていた。
まだ糊が付いていて、ガチガチに固い。
でも、艶がとってもいい。
来週早々整理加工して
(洗って、プレス乾燥して、一枚一枚に切り離して、畳んで)
私の手元にやってくる。
すごく楽しみだ。

ここへ来たもう一つの目的は、
工場や職人さんの写真を撮ること。
撮って、展示会のブースで流す。
私が生産背景を言葉で説明するより、
工場や職人さんの写真を見せたほうが、
何倍も分かりやすい。

この忙しさだから、仕事の邪魔になってはいけない。
武藤さんに電話でお願いして頂いて、
二人の職人さんがOKして下さった。

まず、ジャカード織の工場。

昔ながらのパンチングした型紙が
カタカタと上っていく。
織機はスピードの緩い、シャットル。
杼が左右に飛ぶ。

シゲさん。
極々細い絹糸を扱う。
薄物、繊細なものは、シゲさんに任せておけば安心。
キズがない、本当にきれいな生地が織り上がる。
harukii のジャカードストールもシゲさんの手による。
大きなジャカード機の前で、
シゲさんは生地の表情を確かめる。

シゲさんの工場の前に流れる桂川。
富士山の水を集めて、山中湖から流れてくる。
水が美しい。
きっとすごく冷たいはずだ。

照れるシゲさん。
でも、実はカメラには慣れているという。
ほんとう?

次は小野田染色。
絹糸を枷(かせ)で染める工場さん。
これは、絹紡の糸の染色前。
少量の糸を染めるための機械。
さっきテーブルの上で見た、織りあがったばかりのサンプルは、きっとこの機械で糸を染めてもらっているはず。

多くなると、機械は大きくなる。

糸を捌く、鉄ちゃん。
なかなかのハンサム・ガイ。
鉄ちゃんを捕まえるのは、ムズカシイ。
染色を制御するコンピュータも、チラ見している。
チョットコッチヲミテクダサイ。

小野田さんの前にも、美しい川。

富士山の水がこんこんと湧き出してい。

西桂で織物が盛んになったのは、
この美しい水がふんだんに使えるからなのだろう。
羨ましい土地だ。

工場の目の前の田んぼでは、稲がたわわに実り、
もうほんのり黄色く色づいている。

収穫の季節も近い。

最後は、もちろん武藤さんの最終工程ガールズ。
今日も静かに、せっせと手と鋏を動かしている。

 加藤さんは、ちょうどシゲさんの織った
harukii のジャカードの最終加工をしているところだった。

いつもながら、確かで無駄のない動き。
鋏は必ず右手縦にまっすぐ置き、
取るときは見ない。


作業台の上は、すっきり。
糸くずを整理してから。

作業の邪魔をしてはいけないので、
カメラを向いて頂くことはできなかった。
急がせてごめんなさい。
お蔭で、今日持って帰れます。

展示会まで、あと10日。
大丈夫。時間はまだある。
みなさん、身体に気を付けて。
美味しい水をたっぷり飲んで、熱中症にならないように。
いつも、本当に、有難うございます。



裸の富士山



2012年8月26日(日)

昨日は、富士山の日だった。

空は快晴。
雲も白くくっきりぽっかり浮かんでいる。
いつものように、武藤さんが車で駅まで来て下さる。

道すがら。
あ、あれ?
なに?
あのなだらかな山。
なに?

富士山だ。
雪のない富士山。
そうだった。
8月に見る富士には、雪がないのだ。
あぁ、これが富士山の裸の姿なんだ。

いつもの雪をかぶったイメージを押しやり、
目の前の畏形を富士山として認識しようとするが、
なかなか上手く行かない。
いくぶん逆光気味なので、山肌の凹凸がわからず、
二次元の切り絵のように見えてしまう。

武藤さんが、写真の絶景ポイントに寄って下さった。


なんというタイミング。そして、神業。
雪のない富士山を青い空から浮かび上がらせるかのように、
白い雲が稜線を縁取ってくれた。

山肌は緑で覆われ、
頂上付近にかすかに雪が残っている。
この雪は、一年中解けないのだろう。

雪のない富士山。
それを目の前にしているにも関わらず、
私の脳みそはまだこれを富士山と認識できない。
認識したとたん、「感動」というスイッチが入るはずだが、
戸惑っているためか、感情がわからない。

目の前の優美な山は、
裸のまま威厳を湛え、
そこにただある。
私は呆然とするのみだ。

富士の畏形を目に焼き付け、
車は出発した。
振り返ると、向こう側にあった雲がこちらに掛かってきて、
あっという間に中腹を覆ってしまっていた。

雲から頭だけ出した富士山は、
私にとってやっといつもの富士山に戻った。

さっき見せてくれた裸の富士の姿。
私に語ってくれたものは、何だったのだろう。
きっとこの夏の、大切な宝物になるものなのだろう。



秋の気配 Ⅲ



2012年8月25日(土)

まだ日が昇る前に目が覚めた。
4:15。
空の向こうが、うっすらとオレンジ色。
外は秋の虫の大合唱。
耳を澄ますと、三種類の虫の鳴き声だ。
蝉はまだ起き出していない。

もっとよく耳を澄ますと、各種類一匹ずつしか鳴いていないようだ。
それぞれがどういう虫か、名前までは分からない。
きっとコオロギの仲間だろう。
でも、すごい音量だ。
蝉よりもずっと小さいだろうに、近所中に響いている。

虫が鳴くのは縄張り確保と、求愛行動らしい。
夜中中、求愛しているのだろうか。
ずっとこの音量で鳴き続けているとしたら、すごいスタミナだ。
このために、春から夏へと、しっかり栄養を摂ったんだろうな。
生まれて、食べて、子孫を残して、死んでいく。
生きるって、それだけで十分な気がする。

あ、蝉が参加してきた。
4:45。
蝉は夜はたっぷり寝るんだ。
そう、夜は寝たほうがいいよ。
特に、今年は暑かったから。

5:30。
外はすっかり明るくなった。
空にはうっすら型とモクモク型の、二種類の雲が浮かんでいる。
いつのまにか、スズメも参加している。
蝉の声が大きすぎて、スズメの声はかき消されている。
頑張れ、スズメ。


植物にも、もう秋が確実に来ていることを知る。
女郎花(おみなえし)の花。
背が高く、かぜにゆらゆらと揺られていた。

芝生を照らす日差しも、心なしか優しい。

雑草の綿毛。

ミニ唐辛子。
もうすぐ収穫できそう。

葉鶏頭の仲間?

空はあくまで高く、どこまでも澄んでいる。

ひまわりは十分陽の光を浴びたのだろう。
太陽を背にしていた。


TOKYOの気温はまだ真夏のまま。
もう十分だろうと思うが、まだしばらく続きそう。
湿度は少し下がってきた。
日陰に入ると、すこし涼しい。
ありがたい。

自然界は、すっかり秋になった。
もうすぐ、おしゃれが楽しい季節がやってくる。




太子堂のこと



2012年8月24日(金)

昼下がり、郵便局に行くついでに、カメラを持ってその付近を歩いた。

そうそう、ここ一体は「太子堂」という地名。
聖徳太子に関係があるらしい。
お寺が近くにある。
永く近所に住むが、実は一度も入ったことはない。
ということで、行ってみた。

円泉寺 本堂

聖徳太子に関する説明書きがあるかと探したが、どこにもない。
入って右手に、階段があり、その上にそれらしい小さなお堂がある。
登ってみる。
これが、どうも何か聖徳太子に関係あるようだ。
ぐるぐるまわりをまわってみるが、やはり太子様との関係が分からない。

太子堂と書いてあるが、その額は新しい。

その横に聖徳太子らしき像もある。
かなり若そう。最近建てられた感がある。
像の下には、「以和為貴」という字。
たしか「わをもって、とうとしとなす」だったか。
歴史の授業で習った。
何度か像にカメラを向けてみたが、
どうしてもシャッターを切る気にならなかった。
なぜだろう。

お堂の左右は、獅子が守っている。
左の獅子
右の獅子

何度か改修されているようで、
そのたびに、携わった人たちの名前が記されていた。
しかし、結局聖徳太子に関する説明は、見当たらなかった。

お寺の前にある大きな木の肌。
これが唯一、歴史を伝える物だった気がする。

お寺の角に、これを見つけた。

女優の森光子さんが89歳で上演2000回を達成した、
あの「放浪記」を書いた作家が、林芙美子だ。
「放浪記」は林芙美子の自伝だから、この地に住んだことも
記されているらしい。
不遇の時代の寓居らしい。
ん? 寓居ってナニ?

寓居=1)一時的に身を寄せること。また、その住まい。仮住まい。 2)自分の住居をへりくだっていう語 (インターネットのgoo辞書より)

一つ物知りになった。
森光子さんも、ここに来たことがあるのかしら。

帰ってインターネットで調べてみると、
太子堂は、全国にいくつかあるらしい。
有名なのは、
・兵庫県加古川市 鶴林寺
・富山県南砺市 伊波別院 瑞泉寺
鶴林寺の太子堂は、国宝とのこと。

町名が太子堂になっているところは、全国に数多くあるようだ。
それは、こちらのブログに詳しい。 >>>



そして、東北本線には「太子堂駅」がある。
むかし、聖徳太子をまつった祠があったそうだ。

私の近所にある世田谷線の駅は、「西太子堂駅」という。
なぜ「西」がつくのか分からなかった。
太子堂の町名には、東太子堂や南太子堂などという方角を示す文字はついていない。
なのに、ナゼ? と思ったのは引っ越してきてすぐ。
でも、すぐにそんなことは、どうでもよくなった。

きっと、駅としては本家の太子堂駅より後発なので、
「西にある太子堂駅」と名づけたのだろう。
いや、もともと大正時代に「西山」という駅名で開業した。
だから「西山だった太子堂駅」という意味かもしれない。
インターネットにも出ていない。
どうしてなんだ、「西太子堂」。

円泉寺のことを調べると、
明治4年に世田谷区で一番最初の学校、「太子堂郷学所」を始めた、とされている。
今の世田谷区立若林小学校のもとらしい。
あらら、太子堂小学校も、円泉寺のすぐそばの太子堂中学校も、
円泉寺には関係ないらしい。
そういえば、私が太中(タイチュウ)に通っていた頃も、
学業的な雰囲気はあまりなかったなぁ。
私は真面目に通ってましたよ。
通うだけはね。

暑い昼下がり、歴史探検と頑張って歩いてみたが、
結局家の中でインターネットで調べものしている時間の方が長くなった。
もしかして、今の小中学生の夏休みの宿題って、
同じようにやっている?
気を付けてね、よい子のみなさん。
このブログを出典に使っても、◎はもらえませんよ~。