実力発揮ってむずかしい



2012年8月16日(木)

先日、初めて介護認定の調査員の方に、自宅まで来て頂いた。
脚がめっきり弱くなった父に対して、要介護認定をして頂くためだ。

転ばないように家の中に手すりを付けたり、
お風呂場を直したりするのに、
自治体の補助を受けたい。
要介護認定にもいろいろなレベルがあり、父がそのどれに属するかはわからないが、
それが、この調査員の方の報告によって決まる。

だから、父のありのままの様子をお見せしなければならない。
父だけではなく、家の中の様子も、家族の様子も、ありのままがいいだろう。
母だって充分な老人だ。
なんなら、二人一緒に調査して頂いても構わない。
記憶力の激しく弱まった私も
できれば仲間に入れて頂きたい。

というのにだ。
なかなかこれが難しい。

母は調査員の方をお通しするところを、なるべくきれいに磨き上げる。
玄関、座敷、居間、台所、トイレ、洗面所、風呂場。
日頃手を付けないお風呂場のカビとりを
2時間かけて行った。
玄関は、まるで旅館のように、三和土をブラシで洗って流している。
まるで、お正月が来たようだ。

私はいつものように、四角い部屋を丸く掃除機をかけて
もう音を上げる。
「そんなにしなくたっていいよ。普段通りをお見せしなきゃならないんだから。」
「だって、お客様なんだから。」
「お客様っていっても。。。」
父はそんな私たちに
「誰が来るんだ。」
ちょっとボケも入っている。
さてこの父が問題だ。

調査員の方は「規則ですから」と言って
このバカ暑いのに水も口にされない。
調査対象家庭から供される何物も受け取ってはいけないのだ。
キビシ~。

そして、70以上あるという質問を、次々に投げかける。
「お名前を教えてください」
「生年月日はいつですか」
「今日は何日ですか」
身体の不自由度と、脳みその不自由度を同時に調査するわけだ。
予めわかっている。
父も、すこし緊張気味に答えている。
「今日のお昼ご飯は何を食べましたか?」
「お昼。お昼ねぇ。何だっけかな。」
さっき食べたばかりなのに、もう忘れている。
「今日は炒め物だったから、ちょっと分かりにくいかもね。」
「ほら、おつゆはうしお汁で。」
母と私は、なんだか知らないが「頑張れ!」とばかりに援護射撃を打つ。
「あぁ、あさりだ。あさりのうしお汁。4つ入ってたな。」
2つしか入れていない。

「何か日課はありますか?」
「うーん、日課ねぇ。新聞を読むねぇ。」
「テレビは見ますか。」
「テレビは全然見ないな。」
「あら、見るじゃない。野球。もう野球が大好きなんですよ」と母。
「最近は、あんまりなぁ。。。」
父は巨人が負けると、最後まで見ない。
「パソコンのゲーム、するじゃない」と、再び母。
「ありゃ、遊びだ。日課じゃないよ。」
私も「トランプも」と言いかけて、止めた。

「歯を磨いたり顔を洗ったり、髪をとかしたりしますか?」
「うん、それはね、毎日するよ。」
「髭もそるんですよ」と母。

「お薬はどうやって飲んでいらっしゃいますか?」
「全部母と私で一日一日に分けて、最後に父に袋に入れてもらっています」と私。
「お薬は、忘れずに飲まれますか?」
「うん。飲むよ。」
「うそばっかり。言われないと飲まないじゃない」と私。
大体週に2-3回は自分で飲みますけれど、それ以外は忘れていますと付け加える。
父はブスっとしている。

「散歩はされますか?」
「それがねぇ、歩くのはだめだね。苦しくなっちゃって。」
「去年まではできたんですけど、今年入院してからはめっきり脚が弱くなっちゃって。
でも、先月孫が来たときは、一緒にちょっと散歩できたんですよ」と母。
「絵を描いていましてね。油絵を。
三軒茶屋の区民センターありますでしょ。
あそこに月に2回習いに行っているんですよ」と、再び母。
「入院してからは、一度も行っていないわね」と私。
「随分おおきな絵を描くんですよ。
お仲間がまたいらっしゃいと誘ってくれているんですよ」と母。
「どんな絵を描かれるんですか?」
「なぜか、近所の町の絵が多いですねぇ」と私。
「遠くまで行けないからな」と、やっと父。
攻守逆転の様相を呈してきた。

「あと、父は家計簿をつけているんです。」
「家計簿ったって、ざっとな。少々計算が間違ったって、いいんだ。」
「まぁ、家計簿ですか。どんなふうに?」
「私が毎日のお買いものの報告をして、主人に渡すんです。」
「それを父が週ごとに集計して、月末に収支を出すんです。」
「すごいですね。」
「少々計算が間違ったって、いいんだ。」
「でも、それが案外間違ってないんですよ。私がエクセルで集計したのと合っているんです。」
女二人、完全に攻めに入った。

「でも、去年より随分元気になりましたねぇ。」
「これからね、もっと良くなるんだ。もっと元気になるよ。そんな気がするねぇ。」
ふと我に戻る。
こんなんで、いいんだろうか。

「じゃぁ、最後にちょっと歩くところを見せてください。」
父はさっと立ち上がり、すたすた歩く。
いつもより、動作が機敏である。

調査員の方は、すらすらと用紙に記入をして、
本当に、ただの一口もお茶を飲まず、帰って行かれた。

あー、なんだか疲れた。
三人で熱いお茶を入れ直して飲んだ。
ありのままをお見せしなければならないのに、
能力を問われると、無意識に良く見せようとしてしまう。
そんなことじゃだめだ、と抑制する気持ちと
でも、お父さんそんなに駄目じゃないじゃない、と応援したい気持ちが
交互に出てくる。
母は母で、いろいろな気持ちがないまぜになっていたはずだ。
60年近く連れ添ってきた相棒だもの。
そして、自分だっていつ介護が必要になるか分からない身だ。
感じることは、私の十倍も二十倍もあるだろう。
亭主をちょっと元気に見せようとするのは、
自分のためだったのかもしれない。

介護度の結果は、一か月ほどあとに分かる。
なんだか試験結果を待つような気持ちだ。
絶対頑張っちゃいけない試験。
実力以上も以下も見せちゃいけない試験。
それは、予想以上に難しいものだった。
実力を出し切った父は、涼しい顔をしてる。
母と二人で苦笑した。
綺麗になった家の中に、涼しい風が通り抜けた。





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