タケノコ外交



2013年4月27日(土)

今朝、郷里の石川から筍がたくさん届いた。
昨日の朝掘ったものだという。

母が「見事な筍だから、写真を撮れ」と催促する。
血圧の低い私は、午前中は使い物にならない。
スナップ写真であろうが何であろうが、
写真を撮るにはいくらかのエネルギーが要る。
今朝は特に朦朧として、到底写真を撮る気にはならない。

だけれど、母はこれから皮をむいて茹でてしまう前に、
この見事な姿を写真にとって、
できればブログに書いてほしい、という。
いや、書いてほしいとは言わない。
「ブログに書いたらいいじゃない?」

やれやれと思いながらも、
愛機NIKONを片手に、台所に赴いた。

本当に見事なタケノコだ。
それも、相当な数がある。
 私たち一家には十分すぎる大きさと量だ。

ああ、強い。
竹の芽吹きの、強い精気が
空けた段ボールの箱の中から
めいっぱい放たれている。
春の土の中から芽を出したばかりの筍は、
なんというエネルギーの塊か。
その精気があまりに強すぎて、
私は二度シャッターを押したきり、降参した。
「だめ、撮れない。」
その後私は、寝込んでしまった。

午後、マッサージから帰ってくると、
丁度、近所のお宅から出てくる母の後ろ姿が見えた。
きっと、筍のゆで上がったのをおすそ分けしたのだろう。

家に戻ると、糠のたっぷり入った大なべ3つに
筍がぐらぐら煮えていた。
もうほとんどゆで上がっているという。
すでに一本、
姉が、両親がいつもお世話になっているホームドクターのところに、
届けに行っているという。
そしてコートを着たままの私には、二本の筍が委ねられた。
いつも行く薬局と、
ときどきおまけに厚揚げを入れて下さるお豆腐屋さんだ。

「八百屋さんには行かなくていいの?」
「ばかねぇ、八百屋さんにはタケノコ売るほどあるわよ。」
そうか。そうだった。

お薬屋さんもお豆腐屋さんも、
筍を渡すと、心から嬉しそうに喜んで下さった。
「いつも、有難うございます。」

そうか、母は私の知らない間に、
こういうふうにして少しずつ
ご近所さんとの関係を作ってきたのだなぁ。

私たち家族が東京に越してきたとき、
この町では完全によそ者だった。
東京での、郷里のようなご近所づきあいが全くない生活が始まった。
私はまだまだ子供だったし、
人見知りも強かったので、
近所のおじさん、おばさんに慣れることなく
大人になった。
そして、長らく実家を離れて、
最近またここに戻ってきた。

母がご近所の様子をよく知っていることに、
時々驚く。
「すごい情報収集力ね」とからかう。
八百屋さん、お豆腐屋さん、お薬屋さんで
立ち話ついでにいろいろな情報を仕入れてくるのだろう。
そして、季節には梅干し、味噌、紫蘇ジュースを手作りし、
皆さんにおすそ分けしてきたのだろう。

これまでは母のことを、
ただの「噂好きのオバサン」だと思っていた。
それはそうに違いないのだが、
最近、立ち話、おすそ分けの効能があることに気が付いた。
皆さんが「気に掛けて下さる」ということだ。

世田谷区の介護の助成金をもらって、
浴室を新しくし、家の各所に手すりを付けてもらった。
母は、ご近所の工務店に依頼することに拘った。
「何かあったら、すぐに対応して下さるから」というのが、
その理由だ。
何かあったら、というのは、
浴室や手すりに不具合があったら、というだけではない。
そのほか、何でも、家の中に不具合があったら、
ちょっとしたことでもすぐに来て、直してもらえる。
だから、なるべくその工務店さんに発注したい、ということなのだ。

先日、父が入院した日、
母と二人で帰りが遅くなった。
後日工務店さんが
「犬の散歩をしていたら、家の明かりがともっていなかったので
どうしたかな、と気になっていた」とおっしゃる。
何気なく、気に掛けて下さってるのだ。
とてもありがたい。
両親が高齢になっているので、
今後何があるかわからない。
こうやって、気に掛けて下さるのは、
本当に有難い。

母は40年かけて、少しずつこの町に知り合いを作ってきた。
東京では少なくなった、『おすそ分け』をしながら、
地域に溶け込んでいった。
これは、実家を離れた私や海外に住む姉、
勤め人である父にはできなかったことである。
それでも、母がこうやってご近所づきあいをして
時々立ち話をしてくれたおかげで、
私たち一家のことを、皆さんが知って下さっている。
そして、いつも暖かく挨拶をして下さる。

幼いころ、人見知りが強かった私は、
そういう挨拶が煩わしかった。
なるべくご近所と顔を合わせないようにしてきた。
実は、恥ずかしながらその人見知りはまだ治っていない。
なるべく、知らない人だけの中で暮らしたいと思っている。
行きつけの近くの八百屋さんより、
遠くの大きなスーパーマーケットで買い物する方が
よっぽど気楽に思う。

だけれど、母が折角作ってきたご近所づきあい。
それは今、ライフライン、セーフティーネット作りだったと気が付く。
人見知りだなんだと言っている場合じゃない。
私もそろそろ母のバトンを引き受けなければならない時なのかもしれない。
梅干し、お味噌、紫蘇ジュース、筍。
覚えなければならないことがいっぱいある。
どうする、私。
覚悟はありやなしや?





渋谷案内



2013年4月24日(水)

ここは東京は渋谷にある、ヒカリエという商業ビルの8階。
私は今、街を見下ろすカフェに座っている。



そして、私の前には、一組の夫婦。
男性は月代、ちょんまげ。
女性は島田に着物。

さっき江戸時代からタイムスリップしてきたばかりのカップルだ。
なぜか、私と一緒に渋谷の街を見ている。

「あれ~っ! なんだ、なんだ。あのちっちぇえ箱みてえのは。
なんで、宙に浮かんでんだ?
ありゃ、なんかにひっぱられてんのかね。
紐が見えねえけどよ、なんにひっぱられてんだい?」

「あれはね、中に人が乗ってるんです。
紐に引っ張られてるんじゃないんですよ。
馬車とか、牛車とかみたいなものなんですけれど、
それの馬や牛がいないものなんです。」

「けどよ、じゃぁ、どうやって動いてんだい?
何がひっぱてるんだい?」

「あの箱は、自分で動くんです。
自動車って書いて、、、」

「あ、だめだめ、おれは字はからっきしダメ。
おい、おまえ、少しは読めるんだろ?」

「あたしもだめだよ。
あそこに書いてある字も、ぜんぜん読めない。
ありゃ、何が書いてあるの?」

「あれは、看板です。そのお店の名前や商品が書いてあるんです。」

「へぇ。だけど、いっぱい並んでる箱はなんなの?」

「どの箱?」

「ほら、向こうにいっぱい並んでる、高いのや低いのや、
白いのや茶色っぽいのや。」

「あぁ、あれはビルといって、建物なんですよ。」

「たてもの? あんなに小っちゃいのに?」

「小っちゃくないですよ。近くまで行ったら、すごく大きいですよ。
あのビルなんか、30階建てですから。」

「サンジュッカイ? あの、平屋とか二階建てとか、そういうのの三十階っていう意味?」

「そうですよ。あの小さい四角は、それぞれ窓なんです。」

「ひぇぇぇ~。」

「あの窓一つ一つの中に、人がいっぱいいるんです。」

「あの建物の中に、人間がいっぱい詰まってるっていうのかい?」

「そうですよ。お二人が今いるここだって、ビルの9階ですからね。」

「おい、おまえ、あの下の方に動いている、あの黒いゴマ粒みてえなの、
ありゃなんだい?」

「あれは人間ですよ。」

「へ? あれが人間? おい、おまえ、見てみろ、あれが人間だってよ。」

「いやだよ、怖いよ。こんな高いところから見らんないよ。」

「大丈夫ですよ。この窓は開きませんから。」

「あら、いやだよ。あんなに足出しちゃって。
髪だって、ざんばら。
なにかい? あそこに歩いてる人たちゃ、みんな罪人かい?」

「やだな、違いますよ。今は、みんなあんな格好してるんです。」

「へぇぇ。みんなパッチ履いて、せかせかしてんな。」

「それにしても、なんて人が多いんだろうね。
今日はお祭りかなんかがあるのかい?」

「いえ、ここは渋谷という町なんですが、毎日これぐらいの人が歩いているんです。」

「しぶやって、渋谷村のことかい? あたしたちの住んでる村も渋谷村ってんだよ。」

「じゃ、きっとここがそうですよ。」

「ひぇぇぇぇ。ここが渋谷村。。。」

「じゃ、何かい? 渋谷村には、日本中から人間が集まってきちゃったっていうのかい?」

「いえいえ。ここよりもっと人がいるところもありますよ。
今、日本には一億二千万人、人間が住んでるんです。」

「イ、イチオクニ、、、なんだいそりゃ?」

「えぇっと、一億二千万人というのは、、、千人の千倍を、また百二十倍した数ですよ。」

「。。。。。。。。。。」

「あたしゃ、気分が悪くなってきたよ。」

「途端に空気が薄くなってきた気がする。」

「あ、あの、このお水飲んでください。」

「はぁ~。」

「おい、あのゴマ粒の人間が、みんな持ってる、あの白い杖みてぇのは、
ありゃなんだい?」

「あぁ、あれは傘です。今日は雨が降るかもしれないので、みな傘を持ってるんです。」

「ほっほっほ、傘だってよ。おい、傘だって。」

「なんだよ、おまいさん。傘ならあたしたちも使うじゃないか。」

「そうだよ。だから驚いてんだよ。
箱が自分で動いたり、たてもんが三十階もあったりするのによ、
雨をしのぐのは傘だってよ。
それも、おれたちとおんなじもん使ってんだよ。」

「あら、ほんとだ。おんなじだ。
なんかもっとすごいもん使ってんじゃないんだ。
へぇぇ、傘だって。
あはは、なんか可笑しいねぇ。」

「それによ、さっから見てるとよ、
お隣さんも、そのお隣さんも、なんかおれたちとおんなじもん食べてるよ。」

「あらら、ほんとだ。
箸使ってる。それに、おまんまとおつゆと、
あれ、ありゃ、魚の干物だよ。」

「それに、漬けもん。」

「最近では、麦ごはんや粟や稗を入れたごはんも人気なんですよ。」

「なーんでい、食いもんはかわんねぇのかよ。」

「なんだか、変だねぇ。おったまげるような変りようなのに、
ぜんぜん変わってないところもある。」

「そういえば、そうですね。傘、変らないですね。」

「ふーん。」

「あ、来ましたよ。サバの干物定食。」

「お、来た来た。ふーん、旨そうだねぇ。」

「あら、あんた、美味しいよ。
味付けもいいね。」

「なんだね。あんたたち、あんまり大したもん食ってねぇな。」

「あぁ、だからだね。」

「何がだからなんだい?」

「だから、目が三つになったり、足が五本になったりしてないんだね。」

「???」

「人間食べもんが同じだと、あんまり上等はならないんだねぇ。」

「おう、そうだな。裸になったら、あのゴマ粒もおれらも、かわんねぇな。」

「だろ? きっとおつむの中身も、そんなに変わんないよ。」

「そんなもんかね。」

「そんなもんだよ、きっと。」

*******

次の打合せまで2時間、どうやって潰そうかと思っていたが、
このご夫婦のおかげであっという間に時間が過ぎた。
残念ながら、今日はこれでお別れだ。
また近いうちに会いましょうね。
今度は、どこに連れて行こうかな。






春なんですからね。



2013年4月21日(日)

あんなに急かされて急かされて、
大急ぎで春が来たのに、
今日の日本は、雪が降る地方もあるそうです。
東京も寒くてどんより。
私もストーブから離れられません。




もう冬に戻りたくないので、
こんな色をちりばめてみました。





実は、自己評価は高いのです



2013年4月20日(土)

Dove(ダヴ)という基礎化粧品のブランドが作った動画を見た。
132万人の人が見ているという。
タイトルは、『Dove Real Beauty Sketches』(ダヴ、本当の美しさのスケッチ)。

動画の中で、ある実験をしている。

熟練の犯罪捜査似顔絵師が、数人の被験者(女性)の顔を書く。
女性は一人ずつカーテンの向こう側に座り、彼はその女性の顔を全く見ない。
女性は、彼の質問に答え、自分の顔の各部を一つ一つ説明する。
彼は、その答えを頼りに、女性の顔を描いていく。
そして、絵が仕上がると、
彼らはお互いの顔を確認しないまま、女性はその場を去る。

次に、被験者の女性たちを、それぞれ赤の他人に会わせる。
彼らは、同じようにその似顔絵師に先ほど初めて会った被験者の顔を
説明する。
そして、似顔絵師は再びその証言に基づいて顔を描いていく。

つまり、一人の被験者について、二枚似顔絵が仕上がっていく。
本人が自分について説明したものと、他人が説明したもの。
最後に似顔絵師と本人が、その二枚を見比べる。

どの絵も、明らかに他人による説明に基づいた絵の方が、
魅力的に仕上がっている。
私は捻くれものなので、この実験をすべて信じてはいない。
私企業の広告のための作られたフィルムである以上、ストーリーと演出があるはずだ。
広告ではなかったとしても、
ドキュメンタリーフィルムと銘打っているものにも、
必ず演出が施されている。

そのことをすべて踏まえての感想だが、
私たちは、自分の顔について、否定的に説明する傾向がある。
『私たち』の範囲をどこまで広げていいのかは、よく分からないが、
『情報量の多い国に住む者』と言っていい気がする。

この動画の女性たちのように、
ただ目の形を説明するのに
「小さくてちょっと離れていて、、、。」
そこに「小さくて粒らで、可愛いんです」というような
肯定的な形容詞をいれる人はごく稀であろう。

そして動画の中では、赤の他人が同じ部位を説明するとき、ナイスだのキュートだの、
良い形容詞を頻発して説明している。

そして仕上がってきた似顔絵には、格段の差ができているのだ。
この実験(演出?)は、対象が女性限定で、それも顔の見た目についての認識を確認したものだ。
だが、もし対象を男性に広げ、性格を表現させても、
なおかつ純粋に、厳密に実験をしても、
似たような結果が出るのではないだろうか。

つまり、私たち(同上)は自己評価が低い。
他人は自分が思うほど、そんなに悪く思っていないぞ、というもの。


ここで、ちょっと思い出したことがある。
一年半ほど前、今の仕事を始める準備をしていたころ。
準備と言っても、まだ何も具体的ではなく、
何をどういう風にしたら、仕事が始められるのだろうと、
暗中模索していたころ。

自分に自信を持ちたいと思っていた。
そんな時に、
『自分のすきなところを50個挙げる』という課題に会った。
誰に見せるわけでもないそのリストを作れば、
自分への評価を見直すことができるという。
どんなことでも、起業のためにはやってみようと足掻いていた時だったので、
リストを作ってみた。

難しいだろうと思って始めたが、
やはり50個というのは多い。
ごくごく些細なことを含めても、なかなか埋まらない。
一年半ぶりにそのリストを見てみたが、
うーん、よくここまで挙げたな、と思う。
今見ると、いくつかは削除したくなるくらいだ。
そして、結局47個までで止まっている。
あと3つがどうしても埋まらなかったのだ。

しかし、これを見ると、実はなかなか自己評価は高いということが分かる。
普段の自己認識は、Doveの動画のように、
あまり高くない気がしているが、
実は心の奥の方では自分を認める自分が隠れている。
それも、そんなに深くないところに控えている。
意識をコントロールする訓練をすれば、常に自分を高く評価していられる気もする。
実際、この47個をやってみて、
自己評価は少し上がった。
だから、起業するエネルギーも出た。

そして、今あらためて考えてみると、
50個も良いところを知っているのは、自分自身しかいないと思う。
親兄弟姉妹、夫、妻、子供など、
どんなに近しい間柄の人間でも、
50個も挙げてくれないだろう。
私だって、自分以外の誰のことについても、
50個も良いところを挙げることはできない。

そして反対に、自分の気に入らないこと、悪いところを
50個挙げてみよと言われたら、どうするか。。。

私にはできません!
やらない、やらない。
3つ考えたところで、落ち込んで、塞ぎ込んで、 寝込んでしまう。
そんなことは、日常、ばらばらと考えたり思い知らされるだけで十分。
自分もだれも幸せにはならない。
だから、やらない。やりませんっ!


この良いところ50個(47個)のリスト。
時々見直してみることにしよう。

そして、コンピューターが使えない歳になったら、
きっちり削除して、誰の目にも触れないようにしよう。
リストはあの世に持っていく。
誰にも見せない。
削除して天国に持っていくその日まで、
あと3つ、いやあと50個でも、
これからどんどん増やしていこう。


Doveの動画は、こちらをご覧ください。 >>>

全編英語です。
演出臭たっぷりと思って見ても、
その演出意図には感謝できます。
見て損のない、良い動画だと思います。
日本のユニリーバさん、ぜひ字幕を付けて下さ〜い。





キーボード奏法



2013年4月18日(木)

私はパソコンに入力する時、
キーボードをほとんど見ない。
俗にいう、ブライドタッチである。

*ブラインドタッチ: キーボード入力を行う際に、キーボード面の文字刻印に頼ることなく、指先の感覚だけを頼りにしてキーを叩くタイピング技法。和製英語。英語ではtouch typing(タッチ・タイピング)という。


私のキーボード歴は、もうかれこれ30年くらいになる。
最初にキーボードというものに触れたのは、
英字のタイプライターだった。

友人が就職した貿易商社で、短期間アルバイトをさせてもらったのだ。
その時担当した業務の一つが、
タイプライターで、書類に英語を打つ、というものだった。
長文ではなく、単語や短文を打ち込むだけだったので、
わざわざブライドタッチを覚える必要はなかったのだろうが、
タイプライターの使い方を教えてくれた人が、
初めからブラインドタッチで使うように指導してくれた。

幼いころピアノを習っていたので、
手首を動かさずに両手の各指だけをバラバラに動かすことに慣れていた。
そして、指にはキーを強く押す力もあった。
なので、私はキーの配列をすぐに覚え、
割と早い時期からブライドタッチで、キーを悠々と叩いていた。
友人はそれを見て、少し驚いていたように記憶している。

その貿易商社のあと、写真の現像所でもアルバイトをした。
その時の仕事に、
現像した写真を入れる紙の袋に、
写真の枚数と単価を印字する、というものがあった。
毎日15:00くらいまでに、その日出荷するすべての袋に単価を印字する。
それをバイク便のお兄さんたちが今か今かと待って、
かっさらうようにまとめて、配達に出発する。
時間に遅れてはいけないので、最後のその作業を
間違いなく、落ち着いて、手際よく行わなければならない。

この時に、私はテンキー(数字のキー)の配列も覚えた。
だから、今でもキーボードのテンキーも、電子計算機のキーも、
すべて見ずに押すことができる。

その後、ワープロ、パソコン、と
いろいろな機種を触ったが、
最初からブラインドタッチを覚えたので、
とても楽をしている。
各機種で、キーの大きさや、固さが違うため
それに慣れるのに少し時間を要するが、
それでも、大体初めからキーを見ずに叩ける。
本当に楽だ。

仕事で初めてコンピューターを使った1990年代中ごろは、
まだオフィスで使われる機種は、マッキントッシュが主流だった。
当時マウスのクリックは右、左に分かれていなくて、一つだけ。
お蔭で、ショートカットをたくさん覚えた。


*ショートカット: キーボードを使ってパソコンの操作を簡単に行うための機能。 キーボードから手を離してマウスに持ち替える必要がないので、文書の編集を行っている場合などに効率よく作業を行うことができる。


使う機種がウィンドウズになっても、
右クリックを使わず、ショートカットキーで行う癖が残っている。
いちいちマウスを持たなくても良いし、
ブライドタッチができるので、更に便利だ。

こうして、私はコンピューターを使うとき、
キーボードを素早いスピードでバシバシ叩いている。
時折、打ち込みたい単語が頭に浮かぶより指のスピードの方が速すぎて、
無駄なキーを叩く。
だから、ミスタッチも多い。
だが、そんなことは気にしない。
Deleteキー、Back Spaceキーをバシバシ叩いて、
どんどん打つ。


私のキーボードの打ち方は、
幼い頃のピアノと同じ奏法だ。
単純明快に、バシバシ打つ。
特に昔のキーボードは重かったので、
今でも音楽で言う ‘f (フォルテ)’ で叩く。

私が奏でるキーボード・ミュージックは、
ほとんどずっとフォルテ音が続く。
間に何度もたたく、『Back Space』キーの音だけは、
転調の前の ‘pp (ピアニッシモ)’ のよう。
短調な音楽に、わずかにメリハリをつけてくれる。
そして、仕上げの『ENTER』キーは、
何か華やかな行進曲の最後の音のように小指で叩き、
「ポーン」とキーから手を浮かせる。
一つの楽章(文章)を終わらせた、という
達成感に溢れている。

キーボードが音を出せたら、
私の性格とは真反対に、
かなり強気な音楽を奏でていることだろう。
たとえばこのブログの文章はどんな音楽か、
一度聞いてみたい。


一昨年から使い出したスマートフォン。
これは、キー配列こそ同じだが、ブライドタッチができない。
キーの表面がでこぼこしていないからだ。
これは本当にもどかしい。
短いメッセージなら良いが、ちょっと長い文章になると、キーボードが欲しくなる。
外出先でメールの返信を急いでしなければならないとき、
今はスマートフォンを使っているが、
本当はノート型のコンピューターが欲しい。

薄くて軽くて小さくて、
バッグにそっと忍ばせられるコンピューター、
欲しいなぁ。
でも、カフェや電車の中では、
私のフォルテ奏法は、かなり攻撃的でうるさいだろうな。
今から少しずつ、ピアニッシモ奏法の練習をしなくては。
イメージは、ショパンの【子犬のワルツ】の出だし、かな。




チェック項目



2013年4月15日(月)

外食産業のアドバイザー、榊真一郎さんのコラムを読んだ。

飲食店は、次の6種類に大別されるそうである。

(1)毎日でもいける店。
(2)一週間に1回くらいでも通ってしまえる気軽なお店。
(3)毎月できれば来たいなぁ‥‥、と思う店。
(4)ちょっと贅沢だから季節ごとに来れるようにがんばろう、と思う店。
(5)一年に一度、なにかの記念日にくるとっておきの店。
(6)そして一生に一度の思い出になる憧れの店。

私は食いしん坊ではないので、(1)から(6)まで、
少なくとも一つ以上飲食店を挙げられる、ということはない。
特に(3)から(6)まで、一軒も浮かばない。

食事は一日に三回、そして365日毎日行う。
人間が生きていくのに必要不可欠な行為であり、
もっとも頻繁に行う生命維持行為だろう。
だから、もしかしたら店舗の中で、
飲食店の数が最も多いかもしれない。

それでも、人気がなければ経営を続けられない。
お客様が「あそこに行きたい」と思うような内容を
常に維持しなければならない。
私の住んでいる近くでも、多くの飲食店が生まれて、
いつのまにかなくなっていく。
人気店に育てるのは、相当に難しいのだろうと思う。

翻って、もしharukiiがお店を持てるようになったら、と考える。
飲食店ではないので、(1)から(6)までのどれか、を目指すのは、
少し無理がある。
まして、何か商品を買っていただくとなると、非常にハードルは高くなる。
でも、買うつもりがなくても、なんだか立ち寄りたくなるお店。
近くに来たら、足が向いてしまうお店。
買う予定がないのに入っても、ぜんぜん気兼ねをしなくていいお店。
それなら、目指せると思う。

harukiiの商品は、少々高めだ。
だから、榊さんの分類を借りると、
(4)か(5)、商品によっては(6)になるのだろうか。

(4)から(6)のお店に行きたくなる理由は、
・おいしいから=商品の質が良いから。
・サービスがいいから、
・お店の雰囲気がおしゃれで素敵だから。
・贅沢な気分を味わえ、日常を離れてリフレッシュできるから。

harukiiがお店を持つ時が来たら、
服飾雑貨店としてではなく、
飲食店として魅力あるお店になっているだろうか、と
チェックしよう。
その方が、私が分かりやすい。
そして、お客さまにとっても分かりやすい。

そのためにも、
これからもっとレストランを利用して、
(4)から(6)のお店を発見しておこう。

なーんだ。
結局美味しいもの食べ歩きたいということね。



発止



2013年4月14日(日)

車の後部座席に乗っていた。
携帯電話を覗いていた時、急ブレーキがかかった。
隣の座席に置いてあったバッグが、
その衝動でするっと下に落ちそうになった。
その瞬間、私の右手がバッグを『ハッシ』と抑えた。
バッグは、シートの角ぎりぎりで止まり、
下には落ちなかった。

音も出さず、声も出さず、
運転手も気が付かず、
ほんの一瞬の出来事。
だけれど、私の頭の中では、確かに音がした。
『ハッシ』。
緩の中の一瞬の急。
誰も証言も評価もしてくれない、その俊敏性。

まったく取るに足りない、なんでもない出来事なのだけれども、
自分で自分をほめでやりたい気になった。
そして、頭の中で鳴った『ハッシ』という言葉が、とても気になった。

調べてみると、当て字で『発止』と書くらしい。
もとは擬音語で、剣など固いものが打ち合う音からきたらしい。
本当だろうか。
私は、瞬時に『ハッ』という気合いを入れるから、だと思う。
私もバッグを抑えたとき、もし声が出ていたら、
きっと『ハッ』と言っていたと思う。

いずれにしろ、私の生活の中で、
めったに『発止』と何かをすることはない。
だから、バッグを下に落とさなかったその一瞬のできごとが、
いつまでも私の中に鮮明に残っている。

次に発止と何かをするのは、いつのどんなときだろう。





【お知らせ】 STYLE STORE にて【ブロックチェック・ガーゼストール】の販売が始まりました。



2013年4月10日(水)

本日、午前10時より、STYLE STORE様にて
harukiiの【ブロックチェック・ガーゼストール】の販売が開始されました。



このガーゼストールは、これまでのharukiiの商品の中でも、
特に開発に大きなエネルギーを注いだ商品です。

サンプルができあがるまでに、多少の紆余曲折がありました。
ほんの半年前のことですが、今では懐かしく思い出されます。

当初この商品は綾織りで企画しておりましたが、
長綿という、キリリとした原綿の特徴を活かすため、
平織に変え、感触をサラリとさせました。

商品名は【コットン綾ガーゼ】から、
【ブロックチェック・ガーゼストール】に変更致しました。
サイズは、幅75cm、長さ130cmと、小ぶりのストールです。
タオルマフラーのように、気軽にお使いいただきたい商品です。

今回はスタイルストアさんのために、harukiiオリジナルの色に加えて、
特別に二つの色を新しく加えました。

harukii オリジナル・カラー
 B&W ブラック&ホワイト
 Navy ネイビー

STYLE STORE 限定カラー
 Pink ピンク
 Beige ベージュ
※ この2色は、スタイルストアさんのみでの限定販売です!

これからの季節、アウトドアで時間を過ごすことが多くなります。
優しくサラリとしたコットンのストールは、とても使いやすく便利。
また、5月の母の日、6月の父の日のプレゼントにも
お使い頂けたらと存じます。

皆様、ぜひ【ブロックチェック・ガーゼストール】を
お試しください。

STYLE STORE のサイトは、こちら >>>

この製品のこれまでの開発秘話は、
ぜひこちらをお読みください。

皆様のご来店を、心よりお待ちいたしております。


株式会社はる希
代表取締役 高橋裕子





入学式



2013年4月8日(月)

今日の午後三時ごろ、
入るのが素晴らしく難しい私立の男子中学校の校門から、
多くの親子連れが続々と出てくるところを見かけた。
多分、今日が入学式だったのだろう。
母親たちはきちんとしたスーツを着て、
胸元には一様に大きなコサージュを付けている。

そして、父親と三人連れも多く見かけた。

入学式に父親も参加する時代になったのだ。
以前、保育園児の遠足風景を見かけたときも、
若いパパ達が子供たちの手を引いて、一緒にお寺を歩いていた。

お父さんたちが教育、育児に参加する時代になったのだなぁ。
とてもいいことだ。

残念ながら、入学式の日に桜は咲いていなかったが、
きっとこの日のことを、少年たちは一生覚えていることだろう。
これから、父と母と息子は、どこへいくのだろう。
どこかで食事でもするのだろうか。
超難関を突破した息子の入学式に参列するのは、
さぞ誇らしかったことだろう。
そして、ご両親も大変だったことだろう。
どうぞ、どこかで美味しいものを食べて、
お互いの健闘を称え合って下さい。

少年よ。
勉強するのだよ。
今勉強することは、どんな些細なことも、
漢字一文字だって、英単語一つだって、
ずーっと一生の宝になるのだから。
勉強が好きで、よかったね。




暴風快晴なり



2013年4月7日(日)


ビルの4階にいる。
外は暴風雨。
と書きたいところだが、
雨はなく、暴風快晴!
日差しが眩しい。
小さい雲も飛ぶように流れて行く。
何の紙だろう。
白い紙が、高速道路の上まで舞い上がっている。

私はこれがニガテだ。
雨なしの暴風のみ。
何と無く、落ち着かない。

これに雨が付けば、大好きだ。
被害が無ければ、台風でもいい。
モノが飛んでこなければ、その中を歩きたいくらいだ。

雨があるのと無いのでは、
何が違うか。

当たり前だが、水分だ。潤いだ。
雨のない大風は、すべての湿気を持ち去ってしまう。
特に東京に住んでいると、冬の間中、ずっと湿度が低い。
春になってヤレヤレと思っているのに、
この強い風は、少しの潤いもかっさらってしまう。

しかし、良く考えてみると、
乾燥が嫌いというわけではない。
むしろどちらかというと、何でも乾いている方が好きだ。
人間関係もガールズトーク(正確にはオバちゃんのお喋り)も、ドライなのがいい。
小さい頃は、洋画の中から聞こえる新聞紙や手紙の音が、カラリと乾いていたのに憧れて、
自分で何度も紙をグチャグチャに触ってみたが、
どうしてもあのカサッとした音にならなくて、
早く外国に行って紙を触ってみたいと思ったものだ。
北陸の田舎の紙は、いつもウェットだ。

では、雨なし暴風の何が嫌なのだろうか。
肌が乾燥して皺が増える?
それはイヤだ。
嫌だが、お肌の手入れを真面目にやってから、天気に文句を言えと言いたい。
お風呂上がりにクリームをベタベタ付けるのが苦手。
朝カサカサの顔を見て、
「しっかたないも〜んね」と
納得済みである。

なのに、雨なし暴風だけは苦手だ。
一日耳栓をして引きこもっていたくなる。

あ! これだ!
耳栓だ。
いや違う。
音だ!
暴風の音が苦手なのだ。

いや、まだ違う。
暴風雨も、音はかなりする。
騒がしい。
でも、雨の音は好き。

何が違うのだろう。

あぁ、そうか。
音じゃなくて、空気が騒々しいのが、いやなのだ。
雨の無い風は、チリもゴミも、
人の気持ちまで巻き上げて、あっちこっちビュンビュン移動させる。
雨が降ってくれれば、
移動するのは空気だけ。
他のものは、下に落としてくれる。
何だかそんな気がする。
モノや気持ちが動き回る騒々しさが、やりきれないのだ。
自分の周りで、自分の意思とは関係なく騒がしく動き回るものが、煩わしいのだ。

フーン。よく分かる。
いや、そうなのだ。
私は周りの動きについて行けない。
特に急き立てられるようなことには、全くお手上げだ。
空っ風は私をこれでもかと急き立てる。
じっくり腰を落ち着けていられないような気にさせる。
気がぞわぞわしてしまう。
誰も、そんなことは言っていないのに。
私が勝手にそんな気になっているだけなのに。


やっと風が少し治まってきたようだ。
窓ガラスがガタピシ言わなくなった。

この暴風が止めば、やっと春がやってくる。
芽吹きの春がやってくる。
最後に一雨、来ないかなぁ。





Doodle



2013年4月4日(木)

一昨日、4月2日だったか。
インターネットで調べものをしようとして、
検索サイトのグーグルのトップページを開いた。

そうしたら、いつも出てくるGoogleというロゴが出てこない。
ロゴの代わりに、何か植物の素敵な絵が出てくる。



どうしたのかな、と思ったが、
その絵の上にマウスをやると、クリックできるようになっている。
で、クリックしてみた。
すると、
「ドイツの画家・自然科学者
マリア・ジビーラ・メーリアンの生誕366周年」
という説明が出てきた。

そして、その絵はよく見ると、
植物の蔦やらトカゲのしっぽで、
『 g o o g l e 』と書かれている。



うわぁ。すごい。
今日のロゴは、この絵だったのだ。
気が付かなかった。
マリア・ジビーラ・メーリアンという植物学者の画風を模してあるようだ。

グーグルのロゴについて興味が出て、もっとしらべてみた。
すると、アメリカのグーグル本社にはロゴの専門のデザイナーが何人かいて、
世界中の記念日に、その日一日だけ使うロゴをデザインしているそうだ。
なんと贅沢な。
そのデザインされたロゴを、『Doodle(ドゥードゥル)』、
デザイナーのことは、『Doodler(ドゥードゥラー)』と呼ぶ。
日本版のグーグルも、一年に60日ほど、Doodleに変えているそうだ。

クリスマスやお正月に、ちょっとだけロゴのデザインを華やかにアレンジする、
というのは、他のウェブサイトのロゴでも目にするが、
ここまで大胆に変えてしまうのは、見たことがない。
そして、一つのDoodleはその日一日しか使わない。
Doodlerたちは、毎日毎日ロゴのデザインばかりしている。
テーマを決めると、その背景もきちんと勉強してから、
デザインするそうだ。
大きい会社だからできることだが、
大きい会社だからといって、そうそう考えつくことでもないし、
実行に移すのは、もっと難しい。
いや、難しくなんてちっともないのだ。
それに、大きくなくても
やり方次第で、誰でも、どんな会社でもできる。
考えつくかどうか、
やるかやらないか、
それだけだ。
大切なのは、誰かを楽しませたいかどうか、だ。

このページで、1998年から始まったDoodleの歴史が、
一堂に見られる。 >>>


ちなみに、これは2010年10月31日の葛飾北斎の誕生日バージョン。

これは、2011年3月3日の雛祭りバージョン。



でも私は、一番最初のマリア・ジビーラ・メーリアンのバージョンが秀逸だと思う。
5月22日には日本の牧野富太郎さんのバージョンもぜひ見てみたい。

これからも、グーグルのロゴ、たまにチェックしてみよう。

さあ、私の会社では、どうやって誰かを楽しませようか。






4月1日の勇気




2013年4月2日(火)

昨日は、一年で一度、大手を振って嘘をつける日。
そんな貴重な日であるのに、
私は未だかつてそれを利用したことがない。
毎年気の利いた大法螺を吹きたいと思っているが、
気の利いた大法螺を思いつくセンスがない。
今年もダメだった。
来年こそと、今からネタを仕込むつもりだ。

もうずいぶん前になるが、
飛行機の国際線に搭乗中に読んだ、
新聞に載っていたコラムがとても面白く、
今でも印象深く記憶に残っている。
エイプリルフールとは関係のない内容だったが、
ジョーク、という点でとても感心した覚えがある。

どんな文章だったか、インターネットで調べてみると、あるある。
当時その文章を読んだ人が数名、原文をブログに載せていた。
インターネットは本当に便利だ。

2006年2月25日の朝日新聞の記事だったらしい。
今から7年も前。
もうそんなに経つのか。

書き手は、コメディアンのパックンこと
パトリック・ハーランさん。
全文を書き写したブログがあったので、
そこから拝借する。
(いくつかのブログの転載文章を比較し、
みな共通していたので、
おそらく朝日新聞の原文のままだと思います。)

**********
日本人は真面目だね。
行動は丁寧だけど、遊びがちょっと少ないかもしれない。
でも、大豆商品の食べ過ぎのせいか、
僕も最近日本人の感覚に近づいているらしい。
今は逆にアメリカに帰るとそのストライクゾーンの広さに
とてもびっくりする。

先日驚いたのは米国内線の機内アナウンス。
離陸前に副機長のアナウンスが普通に始まったが、途中で変な方向へ。

「ポン! シートベルトは緩まないようしっかり締めておいてください。
下っ腹のお肉に食い込むくらいでちょうどいいのです」と。
乗客がちょっとざわめきだした。
アナウンスは続く。

「荷物は前の座席の下、または頭上の棚にしまってください。
なお、上に入れるものは20キロまたは4歳までとなっています」。
この時点で、彼の冗談に気づいた乗客が上機嫌で笑う声が聞こえる。

さらに続く。
「まもなく離陸します。
携帯電話を持っている方は必ず電源をお切りください。
機長のペースメーカーが心配です」。
ここで、この飛行機はライブ会場と化した。

飛び立った後も
「機長がシートベルトサインを消しました。
どうぞご自由になさって下さい。
本日は空席もあるので、
近くの窓側の席が空いていたら、どうぞ移動して下さい。
ライバル会社から満席に見られるよう、ご協力お願いします」。

そして、「ご存知の通り、弊社は今、倒産中ですので、
こうした戦略をとっています。
もう一つ、赤字対策として、誰かクレジットカードを貸していただけますか?」と、
フリートークに発展していった。
着陸したら、僕も弟子入りを申し込もうかと思うぐらい面白かった。

でも笑いながら、「仕事でそんなにふざけちゃだめだろ」と
心の中の日本人がつぶやきだした。
やはり『出る杭は打たれる』精神になっているのだ。
外国人で芸人である僕が12年でこうなっているのだったら、
日本で育ったみんなはその何千倍もまじめだろう。

もちろんそのお陰でサービスも丁寧だし、
頼り甲斐もあり安心できるわけ。
でもちょっともったいないかもしれない。
仕事でも遊びでも、人生は楽しいものであるはず。
周りをそこまで気にせず、もっと気楽に、自由に、
自分ならではの生き方で生きられるともっと充実するのでは?
心の中のアメリカ人はそうつぶやく。
**********

こんな大胆なアナウンス、パックンが言う通り、
絶対に日本ではあり得ない。
もしあったら、大問題に発展する。
座席の上の手荷物入れに、4歳の子どもまで入れていいなんて。。。
それも、倒産中の会社の社員が言っているなんて。
本当にびっくりしちゃう。
ないない。
私にはこんなことを言う勇気はない。

でも、これくらい、大問題に発展させず、
ジョークで終わらせる寛容さが、
私たち日本人にもほしいなと思う。
これ、もっと軽く、ソフトにしたものを、
病院でやってくれたら、患者さんたちも楽しいのではないだろうか。



「ピンポンパンポーン♪
入院中の皆様、お食事中失礼いたします。
当病院の院長です。
いつも当病院にご入院下さり、まことにありがとうございます。

本日4月1日、午後3時より、当病院毎年恒例の
「美人ナース・コンテスト」を行います。
入院している皆様全員が審査員となりますので、
皆様ふるってご参加ください。

なお、ベッドから起きられない患者さまは、
ぜひナースコールで、ご推薦のナースの名前を
ナースセンターにお知らせくださいませ。

優勝したナースは、一年間、
各病棟の配膳係りとして、皆様にお食事をお配りいたします。

現在、当病院は老朽化による建て直しを計画しております。
耐震審査の結果、
「あらら、これはちょっと」と言われ、
早急な建て直しを迫られておりますところですが、
今少~し、資金が足りない状態でございます。
いえ、ほんの少~しでございます。

もし、窓側で空いているベッドがございましたら、
ぜひそちらにお移り下さい。
ベッドからお立ちになれる患者さまは、
ぜひ窓にお立ちになり、外に向かって手など振って下さい。
皆様の笑顔で、
目の前にございます大手投資会社から、
資金を調達できることでしょう。
なにとぞ、皆様のご協力をお願いいたします。


それから、明日より一か月間、
新たなキャンペーンをいたします。
お友達をご紹介くださった患者さまには、
ご夕食にビールを一本お付けいたします。
また、そのお友達がご入院された場合は、
抽選で五名様を、
医師用の食堂にご招待いたします。
塩分たっぷり、カロリー過多のお食事をお楽しみいただけます。
どうぞ皆様、この機会をお見逃しなく。
ピンポンパンポーン♪」


私が入院患者だったら、
こんな病院好きだなぁ。
でも、その時の体調によるかしら。

どこかの病院の院長先生。
どうぞ、来年は勇気をもって。
4月1日に上記のアナウンス、
ぜひお使いください。