タケノコ外交



2013年4月27日(土)

今朝、郷里の石川から筍がたくさん届いた。
昨日の朝掘ったものだという。

母が「見事な筍だから、写真を撮れ」と催促する。
血圧の低い私は、午前中は使い物にならない。
スナップ写真であろうが何であろうが、
写真を撮るにはいくらかのエネルギーが要る。
今朝は特に朦朧として、到底写真を撮る気にはならない。

だけれど、母はこれから皮をむいて茹でてしまう前に、
この見事な姿を写真にとって、
できればブログに書いてほしい、という。
いや、書いてほしいとは言わない。
「ブログに書いたらいいじゃない?」

やれやれと思いながらも、
愛機NIKONを片手に、台所に赴いた。

本当に見事なタケノコだ。
それも、相当な数がある。
 私たち一家には十分すぎる大きさと量だ。

ああ、強い。
竹の芽吹きの、強い精気が
空けた段ボールの箱の中から
めいっぱい放たれている。
春の土の中から芽を出したばかりの筍は、
なんというエネルギーの塊か。
その精気があまりに強すぎて、
私は二度シャッターを押したきり、降参した。
「だめ、撮れない。」
その後私は、寝込んでしまった。

午後、マッサージから帰ってくると、
丁度、近所のお宅から出てくる母の後ろ姿が見えた。
きっと、筍のゆで上がったのをおすそ分けしたのだろう。

家に戻ると、糠のたっぷり入った大なべ3つに
筍がぐらぐら煮えていた。
もうほとんどゆで上がっているという。
すでに一本、
姉が、両親がいつもお世話になっているホームドクターのところに、
届けに行っているという。
そしてコートを着たままの私には、二本の筍が委ねられた。
いつも行く薬局と、
ときどきおまけに厚揚げを入れて下さるお豆腐屋さんだ。

「八百屋さんには行かなくていいの?」
「ばかねぇ、八百屋さんにはタケノコ売るほどあるわよ。」
そうか。そうだった。

お薬屋さんもお豆腐屋さんも、
筍を渡すと、心から嬉しそうに喜んで下さった。
「いつも、有難うございます。」

そうか、母は私の知らない間に、
こういうふうにして少しずつ
ご近所さんとの関係を作ってきたのだなぁ。

私たち家族が東京に越してきたとき、
この町では完全によそ者だった。
東京での、郷里のようなご近所づきあいが全くない生活が始まった。
私はまだまだ子供だったし、
人見知りも強かったので、
近所のおじさん、おばさんに慣れることなく
大人になった。
そして、長らく実家を離れて、
最近またここに戻ってきた。

母がご近所の様子をよく知っていることに、
時々驚く。
「すごい情報収集力ね」とからかう。
八百屋さん、お豆腐屋さん、お薬屋さんで
立ち話ついでにいろいろな情報を仕入れてくるのだろう。
そして、季節には梅干し、味噌、紫蘇ジュースを手作りし、
皆さんにおすそ分けしてきたのだろう。

これまでは母のことを、
ただの「噂好きのオバサン」だと思っていた。
それはそうに違いないのだが、
最近、立ち話、おすそ分けの効能があることに気が付いた。
皆さんが「気に掛けて下さる」ということだ。

世田谷区の介護の助成金をもらって、
浴室を新しくし、家の各所に手すりを付けてもらった。
母は、ご近所の工務店に依頼することに拘った。
「何かあったら、すぐに対応して下さるから」というのが、
その理由だ。
何かあったら、というのは、
浴室や手すりに不具合があったら、というだけではない。
そのほか、何でも、家の中に不具合があったら、
ちょっとしたことでもすぐに来て、直してもらえる。
だから、なるべくその工務店さんに発注したい、ということなのだ。

先日、父が入院した日、
母と二人で帰りが遅くなった。
後日工務店さんが
「犬の散歩をしていたら、家の明かりがともっていなかったので
どうしたかな、と気になっていた」とおっしゃる。
何気なく、気に掛けて下さってるのだ。
とてもありがたい。
両親が高齢になっているので、
今後何があるかわからない。
こうやって、気に掛けて下さるのは、
本当に有難い。

母は40年かけて、少しずつこの町に知り合いを作ってきた。
東京では少なくなった、『おすそ分け』をしながら、
地域に溶け込んでいった。
これは、実家を離れた私や海外に住む姉、
勤め人である父にはできなかったことである。
それでも、母がこうやってご近所づきあいをして
時々立ち話をしてくれたおかげで、
私たち一家のことを、皆さんが知って下さっている。
そして、いつも暖かく挨拶をして下さる。

幼いころ、人見知りが強かった私は、
そういう挨拶が煩わしかった。
なるべくご近所と顔を合わせないようにしてきた。
実は、恥ずかしながらその人見知りはまだ治っていない。
なるべく、知らない人だけの中で暮らしたいと思っている。
行きつけの近くの八百屋さんより、
遠くの大きなスーパーマーケットで買い物する方が
よっぽど気楽に思う。

だけれど、母が折角作ってきたご近所づきあい。
それは今、ライフライン、セーフティーネット作りだったと気が付く。
人見知りだなんだと言っている場合じゃない。
私もそろそろ母のバトンを引き受けなければならない時なのかもしれない。
梅干し、お味噌、紫蘇ジュース、筍。
覚えなければならないことがいっぱいある。
どうする、私。
覚悟はありやなしや?





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