2013年5月1日(水)
上手く書けるかどうか分からないが、
書いておきたいと思うことがある。
1985年。
今から28年前。
バブル景気の始まる直前。
企業が文化や芸術にこぞって投資をした時代の幕開け。
東京の下町、江東区の森下というところに、
『ベニサン・ピット』という、小さな劇場が出来た。
外国から演出家を迎えたり、
歌舞伎の玉三郎が公演を行ったりと、
小さいながら、華々しい出し物を次々に打っていた。
バブルの頃、
日本は本当に、芸術、文化に贅沢にお金を使った。
そして、人々はたっぷりとその息吹を吸収した。
『ベニサン・ピット』は決して華やかな風貌の劇場ではなかったが、
前衛的に、かつ地に足の着いた演目を
世に送り出していた。
私は、『万有引力』というアンダー・グラウンドの劇団のお芝居を
見に行った記憶がある。
『ベニサン・ピット』は、敷地内に大小いくつかの稽古場も持っていた。
バブルといっても、小劇団はやはり運営が厳しく、
独自の稽古場を持つところは少ない。
だから、こういう稽古場を提供する劇場は、
とても有難がられたのではないだろうか。
『ベニサン・ピット』は文化の発信の劇場になっていった。
時代は下って、2003年。
私は繊維を扱う会社に就職した。
私の仕事は、生地の海外営業。
主に綿で作った生地を、外国の企業に売る仕事だ。
営業なので、企画には携わらない。
すでにある生地か、企画担当が新しいく開発した生地を持って、
海外の展示会に持って行って、
いろいろなバイヤーに見せた。
生地は、日本のいくつかの県で作っていたが、
ニットパイルの生地の優れたメーカーが足利市にあり、
定番の生地を仕入れていた。
会社名は「紅三」。
染色会社であり、紅三の協力工場がシンカーパイルの生地を作っていた。
私の会社は、紅三を通して、シンカーパイルの生地を多く仕入れていたのだ。
入社してしばらくして、
扱う生地のことが少し分かりかけてきたとき、
「ん? 紅三株式会社? ベニサン?」と思った。
調べてみると、あの『ベニサン・ピット』を運営している会社だという。
「へぇぇ、染色工場が、劇場を運営しているんだ。」
私の入社したころは、すでにバブルは遠い昔。
今から繊維業界に入るなんて、頭がどうかしている、と言われた時代だ。
(今なら、もっとどうかしている。頭が無い、と言われるだろう。)
そんなとき、久しぶりに聞いたベニサンという響き。
私には、若い多感なときの、文化の香りが漂ってきた。
とは言え、生地の営業と劇場文化には
まったく接点、重なり合うものは無い。
紅三の営業の方とも、発注した納期の確認などで
電話で話すことはあっても、
ベニサン・ピットの話などしたことはなかった。
一度だけ、「昔『ベニサン・ピット』でお芝居を見たことがあるんですよ、と
お話したことはあったが、それっきりだった。
でも、私の中では、文化の匂いの濃い
あの劇場を運営している会社として、
何か特別な想いを持っていた。
私はその会社に8年在籍し、2011年の2月に退社した。
退社するとき、紅三の担当の方から、とても心のこもったお手紙を頂いた。
私は生地の企画者ではなかったため、
その方と常にかかわりがあったわけではないが、
折につけ、とてもお世話になった。
お世話になるばかりで、とてもそんなお手紙を頂くようなことはしていないのだが、
とてもハートの温かい方だった。
そして、仕事をきちんとこなす方だった。
繊維の仕事をしているとつくづく思うのだが、
良い生地、美しい生地を作るの難しく、そういう工場と知り合えればとても幸運だが、
それ以上に幸運なのは、
発注通りに納期を守り、品質を高く保ち続ける工場だ。
特に天然繊維を材料に生地を作る場合、
規格通りにサイズが上がってこなかったり、
キズが生じたりすることが頻発する。
しかし、そこをなんとかコントロールして、
発注したお客様に迷惑を掛けないように、商品を仕上げ、納品する。
それが、どれくらい大変なことか。
紅三は、本当にきっちりと丁寧に商品を納めてくれた。
トラブルがあった時の対応も、
迅速、正確、かつハートがあった。
私が、紅三という会社に、大きな信頼を持っていた。
そして、その担当者の方が大好きだった。
だから、ついこの前、知人から「紅三が倒産した」と聞いたとき、
本当に驚いてしまった。
(あの紅三が無くなってしまった。。。)
足利市で大手の工場だったため、紅三の倒産とともに、
工場を畳まなければならない企業も出たという。
最盛期には年商51億円もあったというから、
それは本当に大きな損失を出したのだろう。
そして、あの『ベニサン・ピット』はその三年前に、
すでに幕を閉じていたのだそうだ。
理由は、建物の老朽化。
しかし実情は、きっと本体の経営難のためだと思われる。
若いころ、文化の薫り高い小さな劇場、というか芝居小屋に
あこがれていた自分がいて、
そして、後年、その劇場の持ち主である会社と、
仕事をした、という、
それだけのことだ。
単にそれだけのことだけれど、
何か素通りできないものがある。
それが何かは、よく分からない。
青春へのノスタルジーなのか。
それとも、一つの企業が文化に理解を持ち、
一生懸命それを維持しようとしたその姿勢に感動したのか。
あこがれの存在に、仕事を通じて一歩も二歩も近付いて、
何となく自分も特別な存在になったという気がしたのか。
きっとそれすべてなのだろう。
『ベニサン・ピット』が無くなり、株式会社紅三が倒産し、
そして、私は会社を辞めて独立した。
そのことがこれからの私の人生に関わりを持つとは思えないが、
私の中で小さな何かが終わった、という気がしている。
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