私の家



2013年5月27日(月)

大人になるにつれて、自分を取り戻す場所と時間が必要になってくる。
「取り戻す」と言うからには、自分が奪われているのだろう。

その時は自分が奪われている、と自覚してはいない。
しかし、その時間が長くなると、息が上がってくる。あごも上がってくる。
肉体的には、それほど上がっていないのだが、
でも、心の中ではアップアップしている。

自分が奪われる、というのはどういうことだろう。
朝起きてから寝るまでに、いやもしかしたら寝ている間にも、
さまざまな情報が入ってくる。
24時間情報に曝されている。
そして、情報が溢れてどうにもこうにも処理できなくなることがある。
これが「自分が奪われる」という状態なのだと考えている。

そうなると、自分を取り戻す時間が必要になる。
そうしないと、精神に破綻をきたすからだ。
できれば、毎日どこか自分を取り戻す時間を持ったほうが良い。
明日の朝を元気に迎えるために、一日の最後に持つのがいいのかもしれない。
しかし、持てる時に持つ。
または、持たずにはいられないときに、持つ。
それは、一日のいつになるか、わからない。
時間の長さもわからない。
必要なときに必要なだけ、さっとそんな時間を持つ。

仕事中のパソコンの中でも良い。
家事の途中、お茶をちょっと口に含むのでもよい。
外を歩いていて、ベンチに腰かけた瞬間でも良い。

リセット。

そうだ。こういう便利な言葉があった。
リセット。
リセットするための時間と場所。
それを、私は本当のHome(ホーム=家)だと思う。
毎日寝る場所がHomeとは限らない。
自分の部屋だけがリセットできる場所とは限らない。
自分が解放される空間と時間。Home。

私にとってのHomeは、文字を読む時間。
自室でも電車の中でも、美容院のシートでもどこでも。
最近はインターネットで文字を読むことが一番多い。
しかし、本当に一番好きなのは、本を読むことだ。

好きな本を開き、その世界に没頭する。
それが、一番自分に素直になれる時間、安心できる時間だ。
しかし、現実から本の中に飛び込んで、その中にどっぷり浸るには、
しばらく時間を要する。
その直前に曝されていた情報が多ければ多いほど、
また刺激的であればあるほど、
本の中への移行には時間がかかる。
このところそんなゆとりを持てなくて、本を読んでいなかった。

インターネットの中の文字も、本当は情報だ。
そして、本の中の文字群も、大いなる情報だ。
だけれども、自分で内容を選び、そしてそれに掛ける時間の長さもスピードも、
自分で決められる。

もしかしたら、こうやって文字を書いている時間も
私にとってのHomeなのかもしれない。

さあ、今夜は久しぶりに本を読むとしよう。
上手くリセットできるいいが。



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