見合う



2012年9月30日(日)

夕べは待宵(まつよい)。
満月の前夜である。
月が見えないか、外に出てみた。
曇っている。
どこに月があるのだろう。

月を探すとき、光る二つの眼に会った。
猛暑のこの夏から、時々うちの温水器や塀の上に
むっくりと猫がいる。
何猫というのだろう。
普通の、よくいる猫だ。
目の割合が顔の面積に対して大きい。
まだ成猫ではないのだろう。

私の家では、動物を飼ったことがないので、
猫との付き合い方は全く知らない。
だから、あちらがどう考えているか、全く分からない。
ちょっとかわいいな、とは思うが、
その距離を縮めようとは思わない。

猫の方には、警戒心はあるのだろうか。
かなりリラックスした体勢で、こちらを見ている。
逃げようというそぶりは見られない。
最近何度か見合っているので、
少しは私に慣れたのだろうか。

ペットを飼っている人は、
この猫が飼い猫かそうでないか、分かるのだろうか。
なぜうちが気に入ってしまったのだろう。
他に家はあるのだろうか。

猫は、私をじっと見ている。
月が雲に隠れているので、その姿ははっきりしない。
しかし、こちらをじっと見ているのは分かる。
私もじっと見返す。
掛けようとする言葉も見つからない。
ただじっと見合う。
猫は微動だにしない。

月夜の猫の写真を撮ろうと思った。
家に入り、iPhoneを持ってくる。
その間も、猫は動かない。
私の動きを目で追っている。

iPhoneを向けてみる。
じっと見ている。
シャッターを押してみる。
シャッター音に瞬きもしない。
続けて押してみる。
じっとこちらを見ている。

暗闇で、猫の姿ははっきりしない。
ましてiPhoneでは、鮮明に写らない。
でも、ストロボを焚く気にはならない。
相手を驚かせてまで、写真を撮りたいとも思わない。
ただ、猫とiPhoneと私と
5つの眼が互いに意味なく見合っていることが、面白かった。
なんとなく、それでお互いに通じ合っている気がした。

今朝写真を撮り直そうかと思って、NIKONを下げて外に出てみた。
もう猫はいなかった。
きっと、帰る家があるのだろう。
今頃、朝食をもらっているのかもしれない。

結局夕べは月を見なかった。
今夜は台風が東京を直撃するらしい。
満月は見られないだろう。
台風では、猫も来ないだろう。
こんどは、いつ会うのだろう。




中秋の名月



2012年9月29日(土)

夕べは友人と楽しい会話を楽しんで、
少し帰りが遅くなった。
深夜に近い空を見上げると、
真っ暗な中に、ポワッと月が浮かんでいた。


少し欠けている。
たしか、数日前はもっと欠けていたから、
これから満月を迎えるのだろう。
今夜か明日か、といったところだ。

あぁ、そろそろ中秋の名月の季節なのかしら、
と、調べてみる。
旧暦8月15日がその日。
で、今年は9月30日にあたる。

あら、明日。
明日がお月見の夜。
一年で一番美しいとされる満月。
そう、明日なのね。

満月も、そうでない月も、
月はいつもいつも美しいと思うけれど、
この季節の満月がとりわけ愛でられるのは、
夏を過ぎて、長雨もすぎ、
身体の疲れも一段落したころだからだろう。

寒くなるのは、まだ少しあと。
ちょうど良い気温の中で、戸をあけ放ち、
少し湿った夜気にあたりながら、

明るい月を愛でる。
吞んだり食べたり話したり、
気が付かないうちに、夜が更ける。

山や田畑では、これから収穫が始まる。
それを祝って、秋祭りの準備も始まる。
そんな楽しみを待つ中で満ちる月だからだろう。
実りと豊かさへの期待。
冬支度をする前の短い穏やかな時間。
やはり、中秋の名月は、幸せの満月なのだ。

今朝の世田谷の空には、雲が一面にたなびいている。
これから明日にかけて、天気は下り坂だ。
今夜も明日も、おそらく月は見ることができないだろう。

そうすると、夕べ見た十三夜の月が、
今年の名月になるのかもしれない。

ちゃんとNIKONで撮りなおせばよかったかな、夕べの月。
まぁ、いいわ。
iPhoneで撮ったこの写真に向って、
「また一年、豊かに過ごせますように」と
私の祈りを捧げよう。




織ネームの存在感



2012年9月28日(金)

こんなにぎりぎりになっているのは、とても恥ずかしことなのだが、
今、商品に付ける札やラベルのデザインをしている。

法律上、ストールに付けなければならないのは、
取扱いの絵表示と、素材の種類、製造元または販売元の名称、連絡先など。
これらは、必ず表示しなければならない。
これは、布製のラベルでも、またはシールでも良い。

このほかに、義務ではないのだが、
ブランド名を印刷した下げ札と、
ブランド名を織り込んだ布製のネームラベルを付ける。

作るのに一番時間がかかるのが、この布製のネームだと聞いて、
急いでデザインを考えている。

いや、考えているのは私ではなく、
プロのデザイナーさん。
例のごとく、友人の紹介で知り合った。
それも、ほんの3週間前。
初めてお会いしたときは、発注者とデザイナーの関係になるとは
思いも寄らなかった。

ところが、会った二週間後には仕事の依頼をし、
今では毎日メールをやり取りしている。
不思議なことだ。

さて、この布製のネームラベルは、ブランド名を織り込んであるものだが、
必ず付けなければならない、ということはない。
ないのだが、これがないと、洗濯表示のラベルを付けるところが見当たらない。
ネームがない場合は、直接商品に付ける、または貼ることになる。
harukiiのストールは、柔らかさを身上にしているので、
とてもデリケートだ。
特に春夏商品は薄く作ってあるので、どんなに粘度の弱いシールでも、
剥がすときに商品にダメージを与えないとは限らない。

なので、布製のネームをしっかり縫い付け、
そこにラベル類を紐で通す。
いわば、ラベル類の止まり木のようなものなのだ。
だから、デザインより機能を重視する。
このネームにぶら下げるものが多くなればなるほど、
重力がかかり、商品を痛めてしまう。
しっかりと厚手に、そしてなるべく小さく、
でも、紐を通すゆとりはあり、
作業をして下さる方が扱いやすい大きさでなければならない。

ラベル類は、お客様は一度確認したら、使用する前に取ってしまう。
そして、ネームもおそらく外してしまう。
要は、工場からの出荷から、卸先の倉庫と小売店さんの店舗を経て
お客様の手元に渡るまで、しっかりと商品についていれば、
あとはお役御免、となる。

と、思っていた。
そうしたら、ラベルを作る会社の方が、
「いやいや、織りネームは外さない方が多いですよ」と仰る。
「そのブランドが気に入って買っている方は絶対外しませんし、
そうでなくても、織りネームはワンポイントになって、
ある方が魅力的だからです。
私は、取りませんよ。」
「へぇぇ、そうなの。皆さん、付けたままなの。」

このご担当者さん、かなりの伊達男である。
シルバーのアクセサリーをさりげなくつけている。
ついでなので、ストールを巻いてみてもらった。
ス・テ・キ。良くお似合い。
やっぱり、男性にもピンクはいいなぁ。

で、デザイナーさんにも同じことを聞いたら、
同じような答えが返ってきた。
この方は、下げ札まで捨てずに取っておくという。
へぇぇ。

さて、そうなると、考え直さなければならない。
機能はもちろん最優先だが、デザインも重要になってくる。
いや、かなり重要だ。
外さない、となると、ストールのデザインの一部になってくる。
ネームはどんなに小さくても、案外存在感が大きい。
特にストールのデザインがシンプルだと、ネームは目立つ。
これを悪目立ちさせるわけにはいかない。

改めて、織り方、色、大きさ、形、すべてを見直す。
デザイナーさんが、紙で見本をいろいろ作って下さった。
それを実際にストールに当ててみて、
あれこれ思案する。

ほんの2-3㎜サイズが違うと、印象は全く違う。
ごく僅かな色差でも、商品全体の格が上がったり下がったりする。
いや、織りネームって、すごい力を持っている。
改めて見直した。

なんとも幸運だったのは、紙のプロであるデザイナーさんは、
すでにアパレルのお客様をお持ちで、
あるブランドのこういう付属物のデザイン一式を作った経験があるという。
だから、織りネームのことについても、随分お詳しい。
もう、デザイナーさんと、業者さんが直接話して下されば、
話はスイスイまとまっていく。

そして、三か月前、ロゴのデザイナーさんと
毎日熱いやり取りをして、
粘りに粘って生み出して頂いた、harukiiのロゴ。
これがあるから、ネームだって下げ札だって、
きっとこれから作るであろうパッケージだって、
ピタッと決まるところが絶対に見つかる。
あの時、粘ったことが大正解だった。

harukiiの土台がだんだん固まってくる。
それを支えるのは、関わって下さる方々の熱情。
ほんとにほんとに、私は幸運だ。
この幸運は、harukiiの商品を通して、世の中に還元していきたいと思っている。

あ、イケメンの担当者さんから、もうメールの返事が来た。
さぁ、仕事開始の時間だ。
今日もがんばるぞ~!

ラベル類を織りネームに付ける時に使う、プラスチックの紐。




英語と日本語



2012年9月27日(木)

約1か月前から、あるニューヨークのお客様と、
メールのやり取りが続いている。
取引のお話である。

必要があって、日本語に直した。
往復書簡の和訳である。
英語が得意でない(と思われる)方に読んで頂く必要が出てきたからだ。

内容はビジネスに関することなので、
日本語訳の質、つまり自然な日本語になっているかどうかは脇に置き、
内容を正確に、かつ迅速に訳すことを心掛けた。

一度に受け取るメール文が、非常に長い。
一番長いメールで、1100単語、5300文字もある。
ビジネスの重要かつ細かいことまで記されているため、
どの部分も端折れない。
早く訳して渡さなければ、でも誤解のないようにきちんと訳さなければ、と
かなり焦って訳した。

で、四日前に送ったその和訳を、再度読み直してみた。
やはり、ぎこちない日本文である。
『直訳日本語』というあれである。
誤字脱字もある。
まぁ、仕方ない。
ネイティブの高度な英語を、辞書を引き引き訳したにしては
なんとか流れのある文章になっている。

その和訳を読み終わってみると、
ぎこちない日本文にもかかわらず
すっきりと、爽やかな感じがした。
理由は分かっている。
常に主語、目的語がはっきりしたまま文書がつながっているからだ。
それによって導かれる動詞も、その二つの名詞の関係をより鮮明にさせる。

長年英語に携わっていると、
このことが日常のストレスをかなり軽減してくれることが分かっている。
反対に、それらが明確ではない会話や文章に触れると、
「それは、誰が、誰にやってもらったの?」と
常に探ったり問い詰めたりしなければならない。
日本語は、話したり書いたりしているうちに、
それが長くなればなるほど、主語や目的語、動詞さえ変ってしまって、
内容が逸れたり、不鮮明になる。
そのことで、私の頭は疲れてしまう。

以前このブログで、「私の思考は曖昧だ、焦点が絞れていない」などと反省した。
それは、まだまだ改善されてはいないのだが、
こうやって英文を日本語に直したりしてみると、
私の日常会話やメール分は、
日本語においても、かなりしつこく
主語、動詞、目的語をはっきりさせているのではないかと思う。

日本語としては、少しクドイかもしれない。
このブログは会話ではないので、そのへんは曖昧な文章も多いと思うが、
特に仕事でメールの文章を書くときは、
誤解が生じないように、主語、動詞、目的語をはっきりさせる。
そこまで言わなくても伝わるだろうな、と思っても、書く。
勢い、英語の直訳文のようになる。
加えて、文章はなるべく短く、端的に、というのを目指しているから、
実は送信する前に何度も見直して、修正や削除を繰り返して、
結局時間がかかっている。
きっと、神経質な人だと思われているだろう。
それは、全く構わない。
不明点があったり、誤解が生じて、何度もメールをやり取りするより、
ずっと効率的だからだ。

本当は、メールのやり取りは、すべて箇条書きで終わらせたい。

・件名: ご都合伺い (MTG希望)
・希望日時
  ●月●日 ●時~●時
  ●月●日 ●時~●時
  ●月●日 ●時~●時
・希望の場所: 無 そちらに合わせます。
・MTGのテーマ: Lady GAGAの激太りとダイエットの経済効果
・ご返信待つ。
・以上

こういうメール、憧れる。
簡単で、時間のロスが少ない。
余白が多くて、読みやすい。
一目で要件が分かる。
そう、電報のような文章。
これが一番いい。
文字数に課金されたら、きっとこうなるのだろうか。

といいながらも、今日も「平素は大変お世話になっております」から
メールを書き始める。
季節のご挨拶なんかもちょっと入れたりする。
丁寧語をあちこちにちりばめ、
「~~させて頂きます」の大安売り。
そして、文章はだらだらと長くなる。

いつの日か、メール箇条書きが当たり前にならないかなぁ。
でも、文字ごとに課金されたら、、、
それは困るなぁ。。。





高揚感 Ⅲ



2012年9月26日(水)

またまた、フェイスブックで紹介されている記事で、
すごいものを見てしまった。

知らないうちに、東京駅の駅舎が新しくなっているという。
そして、その完成を記念して行われた、壮大かつ緻密なイベント。
ニュースで紹介されていたらしい。

言葉は要らない。
見逃した方、行けなかった方は、この動画をご覧ください。

充分にそのすごさが体験できます。
   ↓↓↓↓↓ クリックして下さい。

★最初のイントロが長いです!
1分15秒ぐらいを飛ばしてみて下さい。
そこから、すごいことが始まります。
音も絶対にONにしてください。
(最初に企業のCMが流れるかもしれません。)

主催     JR東日本
企画・制作 NHKエンタープライズ

この7人の若者たちは、今を時めくクリエーターたちなのでしょう。
『今』がぎゅうぎゅうに詰まっています。


Bravo!

こちらもすばらしいので、ぜひどうぞ。


「高揚感 Ⅰ」

「高揚感 Ⅱ」


利休鼠



2012年9月25日(火)

東京に二日間、たっぷり雨が降った。
猛暑の間に乾ききってしまった町が
充分な水を吸い込み、やっとしっとりした。
木々も草花もコンクリートも
さぞホッとしていることだろう。

今朝は気温もぐっと下がり、
高原の朝のような清々しさがある。
空は曇っている。
まだ降るかもしれない。


小学生の時、利休鼠という言葉を知った。
北原白秋作詞の「城ケ島の雨」という歌の歌詞にある。


雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ


随分大人の歌なので、口にして歌ったわけではないが、
何となく気になった歌である。

その『利休鼠』という言葉と、
♪舟はゆくゆく~ から長調に転調する部分が好きだった。

しかし、全体には短調で、暗く重い歌だ。
幼いころは、短調の歌が苦手だった。
明るくて軽い長調の歌の方が好きだった。
それで、暗く鼠色で鬱陶しい情景から、
舟が視界に入り、空が晴れていくような、そんな転調部分に
ホッとしたのだろう。

その時にぼんやりと想像した『利休鼠』。
父親が酔っぱらうとよく、
「利休鼠だ、わかるか? 
城ケ島には雨が多いんだ。
その色が、利休鼠色なんだ、わかるか?」と、
私の太ももをバシッと叩いた。
おそらく、「こういう微妙な、繊細な色の表現がわかるのは、大人だけなんだ」と
子供である私に自慢したかったのだろう。
本当の利休鼠がどんな色か、父は知っていたのだろうか。

私は私で、城ケ島というところはいつも雨が降っていて、
全体が灰色なんだ、という情景を勝手に想像していた。

利休鼠という色を調べてみると、緑がかった灰色とある。
ふーん。なんとなく想像できる。
その色の綸子の着物が浮かぶ。
上品な色だ。
合わせる帯や帯締め、帯留めなど、次々に装いの世界が広がる。
おしゃれな色だ。
あ、私は着物は着ません。ただ、想像するだけ。

緑がかった灰色だとすると、
この歌を作ったときは、春か夏だったのか。
城ケ島に生える樹や草が緑に燃えていたのかもしれない。

と思って調べてみたら、作詞したのは1913年(大正2年)10月27日とあった。
晩秋である。
緑はもうかなり深く、くすんでいただろう。
もうちらほら紅葉も始まっていたかもしれない。

そこに降る雨を『利休鼠』と表現したのは、白秋28歳の時。
若くして才能を発揮し、時代の寵児になっていたのだが、
隣家の人妻と不倫騒動を起こして、世間から糾弾され、
傷心の底にいた。

死ぬことも考えたという28歳の若者には、
目の前に霞む城ケ島の緑が、さぞ暗く重いものに見えていただろう。


それに、♪船はゆくゆく~から長調に転調するメロディを付けた、
梁田貞(やなだ ただし)というひとは、すごい。
この一節があったから、この歌はここまで有名になったのだと思う。
これが、全体が短調のままだったら、
美しい歌には仕上がるだろうが、救いのない嘆き節に終わってしまう。
それに、この曲はほぼ一日でつけられたというから、驚きだ。
芸術は、一気にものすごいエネルギーで生まれるのか。


あとひと月で、本当の城ケ島の利休鼠を見られるかもしれない。
雨の日、城ケ島まで足を運んでみようか。


城ケ島公園の上空からの写真
神奈川県ホームページより >>>


(東京世田谷では、湿りをもたらした雨だったが、ちょっと離れただけなのに近郊の町、県にはひどい被害をもたらした今回の雨。被害に遭われた方、お怪我をされた方に、心よりお見舞い申し上げます。)



睨む



2012年9月24日(月)

テレビをほとんど見ない生活をしているが、
先週の木曜日、たまたま相撲の取り組みを見た。
ちょうど、中入り後。
『満員御礼』という垂れ幕が下がる。

この垂れ幕は、本当に満員の時に下がるらしい。
といっても、桝席の売れ具合が90%以上の時に下げるということだ。
それも、きっとその時々で違うのだろう。

一時期、力士たちの不祥事が重なったり、相撲協会の黒い部分が取り沙汰されたりして、
相撲人気が急降下したことがあった。
相撲放送も自粛していた。
きっと客席は閑散としていたことだろう。
国技なのに。
それが、満員御礼が下がるほど、人気を盛り返している。
それは、きっとモンゴルを筆頭に外国人力士たちが実力で強くなり、
相撲の取り組みを面白くして、盛り上げてくれているのだろう。


外国人力士の多さに目を見張る。
もう、半数以上が外国人ではないか、と思えるほど。
その中でも、モンゴルの人が一番多いように思う。
モンゴルの人は、言われなければ日本人力士と区別がつかない。
こっちとこっち、どっちが日本人?と
密かに自分の中で日本人当てゲームをした。

夕方6時ちょっと前、強い力士たちが出る頃。
優勝争いをしている力士たちの取り組みが始まる。
客席もだんだん熱気を帯びてくる。

『日馬富士(はるまふじ』という力士が土俵に上がり、
四股を踏み始めた。
優勝候補らしい。
この人の顔は知っていたが、モンゴル人だとは知らなかった。
モンゴル語を話すのか。
きっと上手なんだろうな。
日本語を話すところを見ていないのだが、
なぜだか、日本語の方が上手な気がする。
そんな親しみやすい顔だ。
それに、どこか優しそうな顔立ち。
お友達になれるかもしれない。
こういう人、おとなしい顔して
ジョークは最高に可笑しかったりするんだろうな。
結婚しているのだろうか。
ボーイフレンドにしてあげてもいい。
一緒に美味しいお寿司屋さんに行きましょう。
最初は銀座がいいわね。

塩をまいて、蹲踞の姿勢に入る。
相手を睨みつける。
ひぇ~~。
すんごい顔だ。
怖い。
いや、怖いなんてものじゃない。
もしこの顔で道で睨まれたら、私はもう命がないものと覚悟する。

これは日本人じゃないな。
日本人はスポーツでここまであからさまに相手を睨みつけないだろうな。
これまで時々相撲の取り組みを見かけたことがあったが、
これほどの怖い顔は見た記憶がない。
いや、怖い顔とというより、「睨みつける目」というべきか。
スポーツを通り越して、怒りや憎しみが伝わってくる。
「勝つ」という意志以上に、「お前を殺る」と脅しているような
そんな目つき、顔つき。

あぁ、スポーツなら、こんな顔して許されるんだ、と思った。

日常生活では、こんな顔、めったにすることはない。
見ることもない。
社会ルールでは、したらアウト、されてもアウト。
社会人として生きていけなくなる。
だから、みんな我慢する。飲み込む。
そうしてそのうちに、こんな強い意志を持たないように心が馴れていく。

でも、日本以外の、特に大陸の人たちのDNAの中には
『闘う』ということが強く存在するのだろうと感じた。

日馬富士の心の中は見えないけれど、
日本人よりも遥かに強い気持ちで、この一番に臨んでいる気がする。
スポーツの場面でなら許される、
ルールに則った殺し合い、という表現しかできないような
日馬富士の睨み。

ほかのスポーツでも、外国の選手は、こういう顔をするのだろうか。
日本人はポーカーフェイスを美徳とし、
表情に表さずに、技のすごさを発揮する、というのが美しいと思っている。
いや、スポーツにも美しさを求める、というところが日本の流儀だ。
それは、すごく若い人にまで深く根付いている気がする。

でも、スポーツであれ何であれ、プロであれば、これが仕事である。
仕事なら、それに真剣であればあるほど、勝つということに貪欲、
死に物狂いであるのが当たり前である。
日馬富士は、真剣に仕事をしているのである。
仕事なら、こういう顔をしていいのである。

私はこんな顔つきで、仕事をしているだろうか。
いや、もちろん相手を睨みはしない。
それに、私の場合、勝負する相手は商売相手やお客様ではない。
競争相手でもない。
私の相手は、素材と時代と、自分自身である。
ねじ伏せるようなことが勝ちではなく、
それに寄り添い、お互いに高まることが勝ちである。
ただ、どんな勝ち方にせよ、そのために死に物狂いであるか。
うーん。うーん。うーん。
まだまだだ。


相撲に流入した外国人の血。
日本の心技体の美という枠の中で、
外国人力士の強さがいかんなく発揮されている。
素晴らしいことだ。
血は混ざって強くなり、優れていく。
相撲はもっともっと、面白くなるかもしれない。

残念ながら日馬富士の優勝決定戦は見なかったが、
すごくいい試合だったと聞いた。
あれよりもっともっとすごい睨みを利かせたのだろう。
それは見たかったな。
そして、きっと今は普通の優しい、
親しみやすい顔に戻っているに違いない。

ウィキペディアによると、
日馬富士の好きな言葉は、『なんでやねん』。

やはり私の「睨んだ」とおり、いいセンスしてる。
しかし同時に、
二人の女の子のパパであることも分かってしまった。
四日間の片思いは、あっけなく終わった。


日本相撲協会公式サイトより

Bloggerの表示の仕方について



2012年9月23日(日)

(※ Bloggerの表示の仕方は、2013年3月16日に新しく変更されました。)

このブログは、Blogger(ブロガー)というレンタルブログサービスを使って書いている。
BloggerはGoogle(グーグル)という、アメリカの会社によって運営されている。

このサービスを利用する際、説明はほとんど日本語に翻訳されているので、
書く立場として不便を感じたことはない。
ただ一つ、ブログの表示方法についてだけ、良く分かっていなかった。

私は、ブログの原稿を書くページで「ラベル」というものを時々つける。
ラベルは、各ブログの文章を、内容別に分類するための
見出し、のようなものである。

付けているラベルは、一つ。

・お知らせ

しかし、せっかくラベルを付けているのに、
ブログを表示しても、そのラベルが見えない。
だから、分類ができない。
それで、解決策として、タイトルの最初に「お知らせ」と付けることにした。

ある時、画面の左上にある、【Sidebar】という項目をクリックしてみた。
この赤い矢印の指すところだ。

クリックすると、下にずらずらっと英語の単語が出てきた。
その一つをクリックしてみると、
あらあら、ブログの表示の仕方が全く変わってしまった。
いろいろある。楽しいじゃない。
全部で7種類。

このブログを読んでくださっている方々は、
どの表示を選ばれているのだろう。


~各表示方法について、簡単な説明~

【Classic】 クラシック
最新のブログを先頭に、一番最初のブログまで、
すべて一ページに収められている。
だから、右のスクロールを使うと、
そのページで、一気にすべてのブログが読める。

【Flipcard】 フリップカード
ブログに使用されている写真が、各ブログ一枚ずつ並べてあって、
それにマウスのポインターを合わせると、
その写真がひっくり返って、ブログのタイトルと日付が表示される。
それをクリックすると、本文が読める。

【Magazine】 マガジン
「写真+ブログタイトル+日付+本文の最初の一文」が
セットで表示される。
写真は大きめ。
そのセット枠の中のどこかをクリックすれば、本文が読める。

【Mosaic】 モザイク
ブログに使用されている写真が、各ブログ一枚ずつ並べてある。
Flipcardとの違いは、Mosaicの場合、写真の大きさが不揃いで、
モザイク模様に見える。
写真をクリックすると本文が読める。

【Sidebar】 サイドバー
左側にブログのタイトル一覧が表示され、
右側に選んだブログの本文が表示される。

【Snapshot】 スナップショット
写真のアルバムのように、写真が貼り付けてある。
FlipcardやMosaicと違うのは、ブログ内で使われている写真が、
すべて並べられている。
写真をクリックすると、本文が読める。

【Timeslide】 タイムスライド
ブログが書かれた月ごとに、分類してある。
各月のブログが二つ、写真、本文の書き出し共に
かなり大きく表示されている。
・・・と思っていたのだが、よく
見ると月ごとにまとめられているわけでもない。
そして、大きく表示されているブログが
どういうルールで選ばれているかもわからない。
つまり、Timesliedについては、よくわからない。


さて、そこで疑問なのは、最初に書いた『ラベル』のこと。
ここまで表示の仕方を一つづ確認したが、
ラベルが出てこない。

もう一度Classicから一つずつ見直してみると、、、

あった!

上から二番目の【Flipcard】には、さらにサブメニューがある。
赤い丸のところである。

この中の【Label】をクリックすると、
画像の並び順が変わって、
待望のラベル分類に変わる。

やった。
やっと見つけた。
これか。これだったのか。
こうやって表示すれば、ラベルごとに並べられるのね。

ブログの数が溜まってきて、自分で過去のブログを探すのに一苦労していた。
これからは、まめにラベルを付けて、分類しよう。

さっそく、ラベルを三つ増やすことにした。

・harukiiについて
・商品に関するお話
・生産地のお話

(ラベルを付けるので、ちょっと時間を頂きます。)

ラベルを付け終わった。
全部でブログが120話。
そのうち、ラベルを付けたのが50話。
そのほかは、ただのよもやま話。
それも、70話もある。
これにはラベルを付けていないが、
Bloggerの方で勝手に【none】というラベルを付けてくれている。

あぁ、これでやっとすっきりした。
やっと古いブログの検索がしやすくなる。

。。。と思ったが、どうも使いづらい。
整理整頓ができた、という満足感がない。

理由が分かった。
それは、ラベルで分類されていても、【label】での表示は写真のみ。
タイトルの一覧にはなっていない。
そうすると、内容が一目で分からない。
写真を一つ一つクリックして、本文を確かめないといけない。
これは、ちょっと、どころか随分不便だ。
検索には役に立たない。

結局私は、いつもの【Sidebar】で表示することになる。

Bloggerさん。
次のバージョンアップでは、ラベルの分類を、タイトル表示にしてくださいね。
お願いしますよ。


※ご注意: この表示の仕方は、パソコンで見る時に限られます。携帯電話やスマートフォンでは、【Classic】表示だけのようです。


(※ Bloggerの表示の仕方は、2013年3月16日に新しく変更されました。)




2013春夏 シルクカシミヤ平織ストール #3



2012年9月22日(土)

ビッグサイトの展示会のあと、すぐにご商売の話を頂いたお客様がある。
最終日にそのバイヤーの方がいらしたとき、私の印象に深く残った。

私より二回りほど若く見えるその方は、とても美しい女性だった。
若いけれども商品の見方はプロのそれで、
言葉や振る舞いには、確かな自信が溢れている。
それでいて、謙虚さとわずかな甘酸っぱさを持ち合わせている、
とても魅力的な女性だった。
名刺を頂いて、さもありなんと合点した。
インターネットの情報サイトで有名な会社の方である。
国内外の商品を何百、何千と見ている方である。
商品の見方に無駄がないのは当たり前である。

展示会のあとお礼のメールをお出ししたら、すぐにご返事が返ってきた。
「お取引きを考えたい」と。
心の中で、密かにガッツポーズである。
誰が見ているわけでもないので、堂々とすればいいものを、
なぜか密かにこぶしを握る。
わたしはつくづく小心者である。

お話は順調に進み、今ほぼお取引は決まりかけている。
今回、その卸先様のために、別注色でストールを染めようと思っている。
別注色というのは、そのお先にだけに卸す色である。
もう、わが社にとっては最初のお客様なので、
特別格である。わたしも舞い上がっている。

わが社では、シルクカシミヤの糸を使った平織のぼかし染めのストールを
11月に発売開始する。
静かにharukiiの商品がデビューするわけだが、
もしこの卸先様とのご商売が決まれば、
同時に発売となる。
静かにスタートする予定のharukiiだが、クラッカーの少しは鳴らしたい。
マーチングバンドは無くても、くすだまの一つも割りたい。
それをしない代わりに、そのお客様に別注色をプレゼントする。
お客様のサイトでのharukiiデビューに花を添えるためである。
harukiiを買いたいと思って下さるお客様は、
もちろん地味なharukiiでお買い上げ頂けるし、
そちらの華やかな情報サイトの方でもご購入頂ける。

その別注色でのサンプルを、大至急工場さんに作ってもらわなければならない。
色指示は、こちらから色サンプルを送る。
昨日、その色を選び、その日宅配便に載せなければならなかった。

ちょっと用事があって、色選びの作業を変った場所で行った。
病院の待合室である。
時間がなくて、そこで行うことになってしまった。

外来用ではなく、入院病棟のその待合室には、
幸いにも、先客がなかった。
ストールを広げ、色を塗った画用紙のカードを広げ、
母と二人であれやこれやと、楽しみながら色を選んでいた。

そこへ、小柄なご婦人が杖をついて入ってこられた。
黄色いパジャマをお召しなので、入院されているのだろう。
こちらはトーンを落とすでもなく、夢中で色を選んでいる。

と、そのご婦人がこちらに話しかけられた。
「染色ですか?」
「はい、ストールを染めるんです。」
「そうですか。綺麗な色ですね。私も昔、織物をやっておりました。」
「まぁ。そうなんですか。」
それからしばし、そのご婦人との会話を楽しんだ。

ご婦人は、こちらの手にしているピンクのストールを
「美しいですね」と何度も褒めて下さった。
「ちょっと掛けてご覧になりますか?」
この柔らかさ、軽さを感じて頂きたくて、そう申し上げてみた。
ご婦人は嬉しそうに、「いいですか?」と仰る。
黄色のパジャマの上に、ピンクのシルクカシミヤをふわりと巻いて差し上げた。

うわぁ。
お肌が急に明るくなった。
表情も軽くなられた。
そして、黄色のパジャマにピンクが似合うこと!
その場が急にぱーっと明るくなった。

厚かましくも、ずうずうしくも、ご病気で入院されているそのご婦人に
「写真をお撮りしても宜しいでしょうか?」と尋ねると、
その方は快く「どうぞ」と仰る。
すぐにiPhoneを取り出し、シャッターを押した。
写真をお送りしたいと申し上げると、すぐに住所を教えて下さった。

来週月曜日には退院される由。
今日明日が長い入院生活がいよいよ終わる、最後の週末、ということだ。
そんな入院の疲れなど微塵も感じさせない、
聡明で美しいご婦人だった。

つくづく思う。
このシルクカシミヤのストールは、美しい女性を引き寄せる。
不思議な力を持っている。
畳んでおいたらその魅力は分かりにくい。
女性の首の周りに纏わって、初めて俄かにその魅力を発揮する。
なんとも不思議なストールである。

その後、教会でボランティアをされているお話などを楽しく伺って、
ご婦人は病室に戻られた。

私は再び色選びの作業に戻った。
私より二回り違う、あの女性と、
そして、私の母くらいの年齢のこの女性と、
二人の美しい人に似合うよう、とイメージしたら、
色選びの作業は、一層楽しくなった。

その後無事に「これだ」と思える二色を選び、その日の宅配便で発送した。
どんなストールに仕上がってくるか、楽しみだ。

シルクカシミヤ平織ストール Pink

なんといっても、これが一番すごいこと



2012年9月21日(金)

いろいろ差し迫ってきた。
harukii 2013春夏商品の発売スケジュールが固まってきたからだ。

11月中旬までに、二つの商品の販売を開始する。
通常、春夏商品というと、1月のセールシーズンを終えた直後から発売が開始になる。
しかし、もし間に合えば今年のクリスマスにプレゼントとしてお使い頂きたいと思った。
そのころにぴったりな商品があるからである。
その商品を皆様の元に早く届けたいと思った。
そのため、最初の計画より、かなり早く販売をスタートすることに決めた。

その商品は、シルクとカシミヤを混ぜて作った糸で織ったストールを、
ぼかし染めにしたもの。
長いバージョンと、短い正方形のバージョンの2品番で発売する。

東京はやっと秋らしくなり、一雨ごとに気温が下がる気候になってきた。
日中はまだまだ暑く、ノースリーブで過ごせてしまうが、
11月ごろには、きっとかなり涼しくなっているだろう。
その時季、薄くて温かいストールが、大活躍してくれるだろう。
今、工場さんにこの商品を大急ぎで生産して頂いてる。


温暖化してきた日本では、昔の11月はかなり寒く、
もう冬と呼んでも良いぐらいだったが、
いまは晩秋くらいの気候だろう。

『秋深き 隣は何をする人ぞ』と読んだのは、誰だっけ。

インターネットで調べてみる。
松尾芭蕉。
元禄7年(1674年)9月28日作。
51歳。
丁度今頃作った句なのか。
実際の気候はどうだったかは分からないが、
もっともっと気温は低かったのだろうと思う。

この日、芭蕉は俳席を設けていたが、
体調が悪く自身は参加できず、この句を俳席の場所に書き送った。
その後芭蕉は完全に床に伏してしまい、
起き上がって作った句は、これが最後となってしまった。

病床で伏したまま作った最後の句は、

『旅に病(やん)で 夢は枯野をかけ廻る』


辞世の句ではなく、生前最後の句。
芭蕉はもっと生きるつもりだった。
しかし、この句を作った4日後、10月12日に帰らぬ人となった。

この時代の人たちの、なんと一生の短いことか。
芭蕉は51歳のこの時季に、病気で亡くなってしまった。
病床で秋の哀愁を読み、生きる希望を縷々として持ち続けながら、
病に勝てずに息を引き取った。

私もこの秋、同じ歳になる。
そして、会社を立ち上げ、ブランドをスタートさせ、商品を発売する。
言ってみれば、二度目の人生をスタートさせる。
何という時間の違い。
環境の違い。
身体の違い。

芭蕉の時代には、個人ができることが今よりもっともっと少なかった。
それだけに、生きることがことがシンプルで、
一つのことに集中し、深くまで関わっていただろう。
決して今の時代の方が良くなった、とは言えない。
生活や文化の質、人間の質、で言えば、悪くなっているのかもしれない。

ただ、この歳になっても、全く新たな夢と希望を持ち、
そして、それが実現できるということは、
やはりとても恵まれている。

私は一人で会社を興した。
やろうと思えば、何でも一人でできてしまう。
情報も道具もすべて揃う。
時間をかければ、知識も技術も高まる。

でも、その分だけ、一つのことが浅く薄くなってしまう。
良い商品を考え出して、実際に作り、お客様の手元に届ける、
という一連の作業の中で
一番私が力を注ぎたいところ、私しかできないところに
パワーが十分に注がれなくなってしまう。

私はそれが怖い。
芭蕉の時代のように、自分がやるべきことは単純に、
その分深くじっくりと行いたい。
そうして初めて、お客様に必要とされる、良い商品を世に送り出すことができる。

だから、自分がやらないことをなるべく多く作り、
仲間にお願いしている。
そのことが得意で優れている仲間に、そのことに集中してもらって、
深く掘り下げてもらう。

今、そんな仲間がたくさんいる。

・商品の設計をし、生産をしてくれる人
・ウェブサイトをデザインし、操作してくれる人
・販売のアイディアを練ってくれる人
・ロゴを作ってくれる人
・商品に付けるタグやパッケージをデザインする人、それを作る人
・展示会のブースをデザインし、作ってくれる人

今後きっと
・商品の写真を撮影してくれる人
・商品を身に付け、写真に写ってくれる人
が見つかるだろう。

そして、これが一番すごいと思うのだが、
・これらの人たちを、私に紹介してくれる人
が必ずいる。
求めなくても、必要なときに必ずその人が近づいてきて、
私に必要な人を紹介してくれる。

そう、すべての人が、紹介で知り合った人ばかり。
自分からドアをノックした人は、一人もいない。
これは、ホントに、ホントに、本当にすごいことではないだろうか。
こうして書き出してみると、
あまりのすごさに、眩暈がしそうなほどだ。

今、338年前に病の床に就いた芭蕉のことを想ってみる。
才能に溢れ、まだまだ句を作り続けたかった芭蕉の悔しさを想像する。
障子の外の高い秋空を眺めながら、
隣家の音に耳をそばだて、
衰えていく身体と会話する老人のこころを想像する。

やはり、私はとても恵まれている。
同じ高い空を見て、私にはそれを美しいと思う以外に感情はない。
とても恵まれている。
私がするべきことは、この仲間たちの力を商品に結集させ、
お客様に丁寧にお渡しすることだ。
そして、仲間の力に感謝することだ。

芭蕉の句が、それを今再確認させてくれた。
ありがとう。松尾芭蕉。
あなたもきっと、今私に必要な仲間だったんだね。


松尾芭蕉像 (葛飾北斎画)
ウィキペディアより


2013春夏 シルクカシミヤ平織ストール #1

2013春夏 シルクカシミヤ平織ストール #2





空からの贈り物



2012年9月20日(木)

昨日の夕方、6時少し前、
東京日本橋は人形町にいた。

用事を終えてビルを出たら、
見上げた雲が、夕日に美しく染まっていた。


立ち並ぶビルの間から覗く黄金色の雲は
一度に心の緊張を溶かす。
立ち止まって、しばらく空を見つめていた。

車に気を付けて、時折空を見上げながら、水天宮の駅に向った。
人形町通りに出る。
その瞬間、空が全く別の表情を見せた。

虹だ。
優美に大きく弧を描いている。

いつ振りだろう、虹を見るのは。
もう覚えていないくらい昔のような気がする。
あぁ、本当に虹色だ。
どうか、消えないで。しばらく見せて。

夢中でiPhoneのシャッターを押した。

液晶と空と交互に見ながら、
私はもっと虹に近づいていきたい衝動を抑えた。

虹の端が、あんなに強く光り輝いている。
ああ、このビルたちの向こう側に行きたい。
あぁ、大きな雲がかかってしまった。
右端がかすかに光を放つ。
もう、これで見えなくなるのか。

大きな雲がゆっくり風に吹かれて退いていった。
再び現れた虹は、もう光りが弱まり、消え入りそうだった。
それでも虹は、優美なままだった。

この後また大きな雲が虹を覆い隠し、
そして虹は全く消えてしまった。

きっと、これから私に、すばらしく幸せなことが起こるのだろう。
そんな風に思える虹だった。
ありがとう。



へちま 2012



2012年9月19日(水)

9月も後半に入ったのに、まだ成長の勢いが止まらない、
うちのへちま。

 ぐんぐん伸び、どんどん芽を付け、
ひゅるひゅる蔓を伸ばし、
 次々と花を咲かせている。
小さい蕾にきっちりと畳みこまれた花弁は、
ある朝ぱーっと開花し、
 無数の名もない虫を陶酔させ、
そして、午後には散ってしまう。

ただ命をつなげるための、圧倒的なエネルギー。

ヘチマの花を見ていると、
「何難しいこと考えてんの。人生もっと単純よっ」と
喝を入れられている気になる。
そう、人生はもっとシンプルなはずだ。


続・へちま 2012


続・石



2012年9月18日(火)

義兄がいる。
たしか、三つ年上。

奇集癖がある。
というより、物を捨てない癖というべきか。

姉の家には、物が溢れるようにある。
私から見ると、要らないようなものばかりである。
姉もそれにはうんざりしている。
が、本人にはどれも大切なようである。
姉の家に行く毎に、何かが増えている。
そして、何も減っていない。
3年前だったか、国を越えての引越しをした時が最大のチャンスだったが、
ほぼすべて持って移動したように見える。

義兄が留守の時、姉はこっそり何かを処分しようと試みる。
だが、いざ捨てようとすると、何から捨てていいのか分からない。
どれかは、やはりすごく大切だろう、と思うからである。

困ったことに、義兄の職業は芸術家である。
芸術家にとって大切な物の価値は、常人には分かり辛い。
というか、ほとんど分からない。
姉にとっては、おそらくすべてが不要のものだろうが、
それを手に入れた経緯や、喜びなどをそばで見ているだろうから、
やはり、黙って捨てるには勇気が要る。

これ、捨てたら怒るだろうな。

そして、出したり入れたりする。
多分そんなことを一日中やって、
せっかくの兄の留守を台無しにしているのだろうと思う。

で、そんな一日が始まろうとするある日、姉は私にメールを送ってきた。

「ここにあるジャンクをきれいさっぱり捨ててしまおうと数日前から企んでいたが、、、」

写真が添付されている。



私の四日前のブログを読んだのだろう。
捨てようと思っていたジャンクを礼賛する人物が、
身内にもう一人いた、というわけである。

「水と油のような二人に共通点あったとは、桃の木だ」、とメールは続く。

水と油というのは、おそらく義兄と私。
水と油というのは言い過ぎだ。
ただ、義兄の話を聞いていると訳が分からなくなるから、
難しい話はしないだけのことである。
いや、どんな簡単な話もすぐに難しくなるので、
なるべく話をしない、と言った方が正しい。

「桃の木」というのは、多分「驚き、桃の木、山椒の木」の真ん中だけを取ったものだろう。
どうして真ん中だけなのか、全く分からない。
この姉のメールも、たいがい不可解である。
いつもかなりの推理力と読解力を要する。
これで日本語の講師をしている。
かなりの強行突破派である。

で、ジャンクだ。
さぁ、こまった。
なかなかいい品ぞろえだ。
姉の家は、陽がさんさんと入る。
外には、山が見える。
とてもいい窓だ。

こんな大きな窓があったら、私も同じように拾った石をズラーッと並べるだろう。

たしかに、石たちはあの家のジャンクの一隅を飾っている。
この石たちがなかったら、窓辺はすっきりするし、
第一、掃除が楽だ。
他のガラクタも、だいたいこのテイストだ。
それが無造作に放置してあって、見た目が悲惨な状態になる。
でも、一つ一つクローズアップすると、それぞれがなんとも味があるのだ。
きっと、石以外のものも、彼にとっては愛着のある大切な物なのだろう。

いやいや、いけない、いけない。
そんなことでは、家の中にスペースがあっても足りなくなる。
姪を酸欠にすることはできない。

よし、わかった。
姉よ。
こっそりその石、まとめて段ボールに放り込みなさい。
捨てる必要はありません。
すべて私が引き取ってあげよう。

そのかわり、石だけだからね。
他のは、すべて私にとってもジャンクだから。
石だけだからね。



義兄にかかると、あんなに上品で美しかった猫が、
飢餓状態のどら猫みたいな風貌になる。
これが、義兄の愛の表現。
この絵の猫はどこかユーモラスで、ひょうひょうとしている。
実際の猫にはそんな風な感じは見受けられなかった。
やはり、私には分からない。

きっと、石に対しても、私と全く違ったアプローチをしているのだろう。
それを「共通点」と言い切る姉に対して、私は強く抗議したい。

‘石好き’にもいろいろあるのです。一緒にしないで下さい。

しかし、なかなかいい石揃えである。
本当に引き取ってもいいと、考え始めている。
ただ、石たちにとっては、この広い窓辺にいるほうが
よっぽど幸せだろうね。


「石」





OIL (オイル)



2012年9月17日(月・敬老の日)

今日は敬老の日。

「我が家には老人はいない」という有難い一言で、
うちでは何も変わったことのない月曜日となる。

「老いる」というと、私は京都の『OIL』というバーを思う。
英語で【油】という意味だ。
知人がやっている。
もっと言えば、友人のご主人がやっている。

私は、『OIL』が開店する前から知っている。
このご夫婦、もともと東京に住んでいらした。

ある日電話で、「ダンナが京都に移り住む」という報告を聞いた。
もともと京都にルーツのある方なので、帰るのは不思議ではない。
お仕事も、東京でないと出来ない、というものでもない。

そのうち、すばらしくカッコいい家を見つけて、
ご主人だけ京都に移り住んだ。
友人は自分でも東京に仕事を持っているので、
二つの土地を往復する生活を始めた。

またある日、友人の電話で、「ダンナがジャズバーを始める」という報告を聞いた。
東京の自宅に巨大なスピーカーがあり、
かなり音にこだわった方だとは知っていた。
でも、今の仕事とは全く畑違い。
うまくいくのだろうか、と少し心配だった。

そして、友人の電話のたびに
「いい物件が見つかった」
「いい職人さんが見つかった」
「いいカウンターの一枚板が見つかった」
「いいドアが見つかった」
「いいランプが見つかった」
と、見つかった話ばかり聞かされて、
一向に開店の気配がない。
友人と二人で「このまま、開店準備で終わっちゃうんじゃない?」と
笑っていた。

しかし、ある日本当にオープンした。
もともと、アートというかデザインというか、
ものすごく鋭い感性が求められる仕事をしている方なので、
その内装の拘りようは、半端ない。

そのご主人の仕事ぶりを知っている。
まぁ、その美意識の高さには驚かされる。
東京にいる時、何度かお会いした。
べつに怖い人ではない。
こちらを脅すわけでもない。
無口、というわけでもないが、おしゃべりでもない。
ただ、その仕事振りを知っているので
こちらが勝手に緊張する。
友人が席を立つと、「行かないで」と目で追ってしまう。

そんな人が拘りに拘ったバーであるから、
もう、私なんかは緊張しっぱなしになるのだと思っていた。

ある日、京都に行くことになって、
いよいよそのバーに足を踏み入れた。
もちろん、友人がいる時に。
それも、幸運にも昼間に行くことになった。
明るいのが救いだ。

広い。
空気が流れている感じ。
広いうえに、開放的な広いテラスもある。
ここから大文字の火が見えるそうだ。

テーブル席がある。
ソファもある。
そして、聞いていた長い長いカウンターがある。
その中に、マスターがいつものニットキャップをかぶって立っている。

「あ、いらっしゃい。」
ことさら微笑むわけでもないが、
柔らかい歓待の気持ちが伝わってくる。
なんだ、こわくないじゃない。
気持ちのいい空間に、私はすぐに吸い込まれていった。

日を置いて、別の日。
今度は夜に行ってみる。
カウンターには、常連さんがいる。
端の方に座る。
マスターは、常連さんと話している。
ちょっと、ホッとする。

お客様と、声高に話すわけでもなし、
聞き手に徹するでもなし、
ごく自然体でマスターはそこにいる。

そのやり取りを景色の一部としながら、ウィスキーを口に入れる。
レコードの音が大きいのは仕方がない。
私は普段まったく音楽を聞かない生活をしている。
だから、大きいスピーカーの音には慣れていない。
それに、ここはジャズバーなのだ。

そのうち、マスターが目の前に立つ。
まぁ、目の前というより、隣の常連さんと私の間の、ちょっと私寄りに立つ。
斜めに立つ。
「どうですか。最近。」
いつものように、ボロリとこぼれるような話し方。
「まぁまぁです。」
「まぁまぁですか。いいですね。」
「いいですか。」
「いいですね。まぁまぁが一番ですよ。」

だいたい、そんな会話だ。
すでに心はゆったりと緩んでいる。

京都の町中にある、この贅沢な空間。
そして、夜景。
そして、このカウンター。
そして、この音楽、インテリア。

すべて計算しつくされたような中にいて、
気持ちの良い‘抜け感’がある。
それは、このカウンターの中にこのマスターがいるからだろう。

この『OIL』というバー。
宣伝も何もしていないが、
今では、京都の中で完全にポジションを確立したようだ。
「本当の大人のバー」という。

空気が油のようにとろりと緩やかに流れ、人や物の間で潤滑剤になるようなバー。
京都にこのバーがあることが、本当に嬉しい。



Cafe / Bar OIL
京都府京都市中京区白壁町 442 FSSビル 6F (麩屋町通)
075-241-1355



※今日のブログは『OIL』のマスターに断わりなく書いているので、
もしかしたら後で削除することになるかもしれません。その時は、あしからず。

>>> その後、めでたくマスターの承諾が得られましたので、
削除しなくても済むようになりました♪





iPhone 4



2012年9月16日(日)

道具は、割と長持ちする方だ。
あまり傷を付けずに保っている。

小学校の6年生の時、友達のランドセルが
ひどく型崩れし、色も剥げて、傷だらけになっているのを見て、
どうやったらああなるんだろうと、不思議に思っていた。
別に特に丁寧に扱ってきたわけではないが、
6年間の使用で、友達のランドセルと私のランドセルは、
全く違う形状になっていた。
私のランドセルは、買った時と似たような形を保っていた。

大人になった今でも、それはあまり変わらない。
だから、長持ちする。
お蔭で、道具は比較的ちゃんとしたものが買える。

手ごろな価格のものは、使い勝手に満足できないことが多い。
そうすると、使わない。
結局、その上の機能が付いたものがすぐに必要になってくる。
なので、少し無理をしてでも、最初に満足な機能が付いている方を選ぶ。
あまり壊れたり汚したりしないので、長持ちする。
可能なら、直して使う。
安いものを買い替えるよりずっと経済的だ。

嬉しい。
久しぶりで、自分の長所を見つけた。
これは、かなり優良な長所ではないか。
「良く言えば○○、悪く言うと××」とは、言えないタイプ。
物持ちが良い、ということを悪く言い換えることはできまい。
やった。
なんだか、高い山を征服したような気がする。
「寝つきが良い」に準ずる長所。
(あ、これは特技か。)

道具を長い間使用するうちに、愛着が湧くのが好きだ。
長い間生活を共にするので、最初に選ぶときにはすごく吟味する。
どんな小さな道具だって、疎かにしない。

だから、去年携帯電話を iPhone 4 に変えたときは、とても迷った。
その時使っていた携帯電話は、ちょっとは剥げているが、まだまだ使えたし、
機能には満足していた。変える必要を感じていなかった。
ところが、友人にとても強く勧められ、
仕事の必要上どうしても変えなければならない、と
なんだかそんなふうに思ってしまって、
去年の9月に変えた。

で、使い始めると、とても便利。
まず、携帯だとインターネットのページが見づらかったが、
iPhone は PC と同じように閲覧できる。
それに、カメラの性能がぐっといい。
テキストも、キーボード配列があるので、打ちやすい。
メールも PC に来たメッセージを読めて、それも同期できる。
スケジュールも管理でき、スケジュール帳を持つ必要がない。
密かに iPhone を使っている人を見ると、連帯感も感じるようになった。

ということで、一年間 iPhone 4 と、とても仲良く過ごしてきた。
今では、離れられない相棒だ。
買ってすぐに iPhone 4S が出たが、
(もうちょっと待てば良かった)とは思わなかった。
すでに‘4’に愛着を感じていたし、これが一番と思っていた。

で、iPhone 5 である。

携帯電話からスマートフォンに変えようとしなかった一番の理由に、
「大きくて重い」ということがあった。
荷物が重くなるのが、すごく嫌だ。
それに、電話が大きくて仰々しいのもかっこ悪い。

以前、知人が Nokia のかなり小さい携帯電話を持っているのを見て、
(あぁ、すごくいいなぁ)と思っていた。
電話会社を変えるのも面倒なので購入しなかったが、
かなり羨ましかった。
小さい電話を耳に当てて、さりげなく仕事の話をする。
カッコいい。
今でも、電話は小さければ小さいほどいいと思っている。

まだ iPhone に変えてから1年しかたっていないので、
私の買い替え周期から言うと、1/10ぐらいだろう。
まだまだこの愛機と離れるつもりはない。
でも、ちょっとだけ気になって、‘5’の機能を確かめる。

うーん、インターネットの速度が高まったらしい。
それはいいが、今の速度でも満足している。
薄くなった。少し。
そして画面が大きくなった。いや、長くなった。
それは、機体が長くなったということ。
結局、重さは変わらないのかもしれない。
カメラの性能は? これは良くわからない。
でも、Nikonのデジカメ一眼も買ったし、
iPhone のカメラは今の性能で十分。
やはり、‘4’から変更するほどの魅力はない。
‘4’と私の仲はこの程度じゃ脅かされないのだ。

でも、こんな動画を見つけた。
こんなのが次に出ちゃったら、どうしよう。
かなり薄くて、ルックスはGOOD。
それに、こんなことできちゃったら、すんごく便利。
多分、、、おそらく、、、きっと、、、買っちゃうだろな。

〉〉〉  (最初に他社のコマーシャル動画が流れる場合があります。)

これが出るまでにはかなり時間がかかるだろうから、
安心して‘4’と一緒にいよう。
これからもよろしくね。私の4ちゃん。







豊穣の秋が来た



2012年9月15日(土)

昨日、我が家に新米が届いた。
 故郷石川の白山でとれたお米。

米粒が透き通って、ぴかぴか光っている。

母がさっそく豆ごはんを炊いてくれた。
実は、この1年以上、白米をほとんど食べていない。
健康のために、玄米に変えたのだ。
幸いに玄米を美味しく頂けるので、苦痛に思ったことはない。
この間、白いご飯を食べたのは、ほんの数回。
主にお寿司を頂くとき。

初物だからと、久しぶりに白米を口にする。

甘い。
すごく甘い。

お米って、こんなに甘いものだったのか。

そして、お豆も甘い。
すごく甘い。

大根の糠漬けをバリバリ噛む。

合う。
ものすごく合う。
お米とお豆と、そして糠の酸味と塩辛さ。
もう絶妙。

これは、もっともっと食べたくなる。
ごはんって、こんなにおいしいものだったのか。
糠漬けって、ごはんの最高のパートナー。
お味噌汁も鮭の切り身も、あれば素晴らしいけど、
なくても充分幸せだ。
日本の食生活は、本当に豊かなんだなぁ。

(あ、実はもっと贅沢なご馳走と食べました。。。)

お菓子を止め、ご飯を玄米にしてから、甘みに敏感になった。
すべての野菜に甘みがあることが分かった。

また今日から玄米に戻す。
食材の甘みを楽しむために。
そして、また次に白米を食べる時のために。

VIVA日本食!





2012年9月14日(金)

うれしいことに、最近時々アート系の展示会のご案内を頂く。
そういう知人、友人ができ、そしてそういう場所に足を運ぶようになったからだ。

頂いたご案内を見て、ウェブでギャラリーを検索する。
素敵な作品の写真が並んでいる。
それらの写真を見ただけで、満足してしまいそうになる。

石や鉄などの素材に目が留まる。
なぜか、鉱物が好きだ。
そういう素材が使ってあると、見てみたい、触ってみたいと思う。
理由は分からない。
気が付いたら、好きになっていた。

川原に行くと、石を拾ってしまう。
海ではあまり拾わない。
丸いより角ばった荒削りな石の方が好きなようだ。

手元にある石の中で、一番お気に入りはこれ。


 全長約10cm。
 ざっくりいえば、三角柱。
 こういうガクガクしたところが、好きだ。
 陰影が美しいと思う。
 錆に似た色も魅力の一つ。
 先がカーブになっているところが小憎い。
 そして、なんと。
  この石、
  立つ。

 こっちから見ると安定感があるが、
実は、三点倒立。

この微妙なバランスで、立っている。
立たせるのは、なかなか難しいが、
一度立つと、倒れない。
震度3までなら、倒れない。

この不思議なバランスで立つ石が
私はとても好きだ。
立っている姿は、神々しいとさえ思う。




じっと見ていると、なんだか可愛らしくも思えてくる。

こんなゴツゴツした、川原に落ちていた石でも
長年一緒にいると、すごく柔らかい愛情を送ってくれる。
不思議だ。

今は置くスペースがなくて仕舞い込まれている石たち。
やはり、どこかに出しておきたくなった。
窓のそばに、場所を作ろう。


続・石




にわか鉄子



2012年9月12日(水)

ちょっと必要があって、世田谷線の三軒茶屋駅を撮りに行った。

キャロットタワーに隣接する、三軒茶屋駅。
電車に乗るのに階段もエスカレーターも使う必要なし。
すごくシンプルで、気持ちがいい。

左側が入口。


始発駅には自動改札がある。
途中の駅には、改札口はない。


丁度電車が入ってきた。
降りる人は、向こう側のホームへ。


降りる側のホーム。
出口には改札はない。
全線定額なので、料金は乗車時にチャージされる。
だから、

降車した人は、こちら側にから出てもいいし、
ホームのあちら側から出てもいい。
この降車ホーム、電車に全く乗らない人も通路として使える。

風通しの良い空間。


あちら側から見ると、こういう感じ。
 左端が、素通りできる通路。
(電車の色は、さっきからちょっと時間が経っているので変ってしまった。)

 あ、出てきた。

 顔が、『じゃりン子チエ』のチエちゃんに似ている。

304-A系というのだろうか。
世田谷線ファンの方のサイトを見ると、この色は『アップルグリーン』

次の西太子堂駅は、ここから見えそうなほど近い。
いってらっしゃーい。


そうこうするうちに、次の電車がやってきた。
 さっきのと同じ色。

 お帰り、青いチエちゃん。

 何系だろう。

302-B。『モーニングブルー』だ。
確かに、爽やかな青。
秋空に映える。


炎天下、帽子もかぶらず、
ニコンのデジタル一眼を構えて世田谷線を連写する私は、
‘鉄子’に見えただろうか。

少なくとも、気分は味わえた。
ファインダーから動く電車を覗くと、
どうしてもカシャカシャ撮りたくなってしまう。
電車マニアにはならないだろうが、
確かに、ちょっと楽しかった。


世田谷線の大ファンの方のページを見つけました。
車体の色名は、そこに記載されていました。
愛する、ということはすごい力を生みますね。 >>>