睨む



2012年9月24日(月)

テレビをほとんど見ない生活をしているが、
先週の木曜日、たまたま相撲の取り組みを見た。
ちょうど、中入り後。
『満員御礼』という垂れ幕が下がる。

この垂れ幕は、本当に満員の時に下がるらしい。
といっても、桝席の売れ具合が90%以上の時に下げるということだ。
それも、きっとその時々で違うのだろう。

一時期、力士たちの不祥事が重なったり、相撲協会の黒い部分が取り沙汰されたりして、
相撲人気が急降下したことがあった。
相撲放送も自粛していた。
きっと客席は閑散としていたことだろう。
国技なのに。
それが、満員御礼が下がるほど、人気を盛り返している。
それは、きっとモンゴルを筆頭に外国人力士たちが実力で強くなり、
相撲の取り組みを面白くして、盛り上げてくれているのだろう。


外国人力士の多さに目を見張る。
もう、半数以上が外国人ではないか、と思えるほど。
その中でも、モンゴルの人が一番多いように思う。
モンゴルの人は、言われなければ日本人力士と区別がつかない。
こっちとこっち、どっちが日本人?と
密かに自分の中で日本人当てゲームをした。

夕方6時ちょっと前、強い力士たちが出る頃。
優勝争いをしている力士たちの取り組みが始まる。
客席もだんだん熱気を帯びてくる。

『日馬富士(はるまふじ』という力士が土俵に上がり、
四股を踏み始めた。
優勝候補らしい。
この人の顔は知っていたが、モンゴル人だとは知らなかった。
モンゴル語を話すのか。
きっと上手なんだろうな。
日本語を話すところを見ていないのだが、
なぜだか、日本語の方が上手な気がする。
そんな親しみやすい顔だ。
それに、どこか優しそうな顔立ち。
お友達になれるかもしれない。
こういう人、おとなしい顔して
ジョークは最高に可笑しかったりするんだろうな。
結婚しているのだろうか。
ボーイフレンドにしてあげてもいい。
一緒に美味しいお寿司屋さんに行きましょう。
最初は銀座がいいわね。

塩をまいて、蹲踞の姿勢に入る。
相手を睨みつける。
ひぇ~~。
すんごい顔だ。
怖い。
いや、怖いなんてものじゃない。
もしこの顔で道で睨まれたら、私はもう命がないものと覚悟する。

これは日本人じゃないな。
日本人はスポーツでここまであからさまに相手を睨みつけないだろうな。
これまで時々相撲の取り組みを見かけたことがあったが、
これほどの怖い顔は見た記憶がない。
いや、怖い顔とというより、「睨みつける目」というべきか。
スポーツを通り越して、怒りや憎しみが伝わってくる。
「勝つ」という意志以上に、「お前を殺る」と脅しているような
そんな目つき、顔つき。

あぁ、スポーツなら、こんな顔して許されるんだ、と思った。

日常生活では、こんな顔、めったにすることはない。
見ることもない。
社会ルールでは、したらアウト、されてもアウト。
社会人として生きていけなくなる。
だから、みんな我慢する。飲み込む。
そうしてそのうちに、こんな強い意志を持たないように心が馴れていく。

でも、日本以外の、特に大陸の人たちのDNAの中には
『闘う』ということが強く存在するのだろうと感じた。

日馬富士の心の中は見えないけれど、
日本人よりも遥かに強い気持ちで、この一番に臨んでいる気がする。
スポーツの場面でなら許される、
ルールに則った殺し合い、という表現しかできないような
日馬富士の睨み。

ほかのスポーツでも、外国の選手は、こういう顔をするのだろうか。
日本人はポーカーフェイスを美徳とし、
表情に表さずに、技のすごさを発揮する、というのが美しいと思っている。
いや、スポーツにも美しさを求める、というところが日本の流儀だ。
それは、すごく若い人にまで深く根付いている気がする。

でも、スポーツであれ何であれ、プロであれば、これが仕事である。
仕事なら、それに真剣であればあるほど、勝つということに貪欲、
死に物狂いであるのが当たり前である。
日馬富士は、真剣に仕事をしているのである。
仕事なら、こういう顔をしていいのである。

私はこんな顔つきで、仕事をしているだろうか。
いや、もちろん相手を睨みはしない。
それに、私の場合、勝負する相手は商売相手やお客様ではない。
競争相手でもない。
私の相手は、素材と時代と、自分自身である。
ねじ伏せるようなことが勝ちではなく、
それに寄り添い、お互いに高まることが勝ちである。
ただ、どんな勝ち方にせよ、そのために死に物狂いであるか。
うーん。うーん。うーん。
まだまだだ。


相撲に流入した外国人の血。
日本の心技体の美という枠の中で、
外国人力士の強さがいかんなく発揮されている。
素晴らしいことだ。
血は混ざって強くなり、優れていく。
相撲はもっともっと、面白くなるかもしれない。

残念ながら日馬富士の優勝決定戦は見なかったが、
すごくいい試合だったと聞いた。
あれよりもっともっとすごい睨みを利かせたのだろう。
それは見たかったな。
そして、きっと今は普通の優しい、
親しみやすい顔に戻っているに違いない。

ウィキペディアによると、
日馬富士の好きな言葉は、『なんでやねん』。

やはり私の「睨んだ」とおり、いいセンスしてる。
しかし同時に、
二人の女の子のパパであることも分かってしまった。
四日間の片思いは、あっけなく終わった。


日本相撲協会公式サイトより

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