2012年9月2日
久しぶりにまとまった雨が降っている。
気温をぐっと下げてくれる雨は、とても嬉しい。
このところ、全く雨が降らず、熱暑が続き、
東京は砂漠のように乾ききっていた。
道路もビルも太陽の熱を吸収しきって
カラカラの状態だった。
だから、今日の雨をきっと
ものすごい勢いで吸い込んでいることだろう。
もっともっと、もっと降れ、とばかりに。
ヘチマもゴーヤも、すごい。
何日も全く雨が降らないのに、
少しばかりの地面から、
しっかり水を吸い込み、
ものすごい勢いで葉や蔓を伸ばしている。
ヘチマの葉など、直径30㎝はあろうかと思われる。
それが、わっさわっさと繁っている。
そして、この時期、やっとゴーヤの実が生り出した。
出来始めの時はあまりに小さくて、
光りが葉に遮られて分からなかったが、
15cmくらいになって、やっと生っているのが分かった。
こちらはもう少し大きくなっている。
お店に出回っている大きさの、2/3くらい。
ここで、一本収穫!
はやして、さっとお湯に通した。
鰹節をかけて、ほんのちらりとお醤油をかけて。
噛むのが申し訳なくなるような、幼い柔らかさ。
ほんのりとした苦味。
身体に沁み渡っていくよう。
ありがたい気持ちになる。
『はやす』という言葉。
実は、今初めて使った。
この言葉は、祖母が使っていた。
野菜を手に取り、「これはやして食べようかね」という風に。
調べてみると、日本海側の地方で現在も使われる方言で、
「切る」という意味。
漢字は「生やす」らしい。
そして、これは方言ではなく、古語なのだという。
「切る」ということばが縁起が悪いため、その逆の言葉を使ったとか、
また、手を加えて何かを新たに生み出す行為に「生やす」を使ったとか。
祖母は幼いころ金沢で暮らした。
その時に多分使っていた言葉なのだろう。
今の金沢の人も使うのだろうか。
私は小学校を金沢よりもずっと南の町で過ごしたが
聞いたことはなかった。
両親も言わない。
だから、いままで使ったことはない。
でも、このゴーヤの写真を見たら、
なんだか使ってみたくなってしまった。
古い言葉には、なぜか分からないが、優しい響きがある。
祖母の使っていた言葉には
そのほかにも、たくさん古語がそのまま残ったものがあるのだろう。
その後東京で長年住んだ人だったが、
晩年まで方言は残っていた。
またゴーヤを一本採ってきて、
今夜もはやして食べようかね。
祖母の大きな手を思い出す。
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