してはいけない約束




2012年11月30日(土)

昨日のブログで、今日は【いい竿の日】と決めこんだのだが、
竿も洗濯のことも一つも思い出さずに
一日が過ぎた。
竿への感謝は、明日に回そう。

今日は一日中、外出をしていた。
東京の街路樹も、この頃の急な冷え込みで、
やっと色づき始めたようだ。
そして、私は今まで我慢していたダウンコートを
ついに解禁することにした。

ダウンコートを着だすと、
お気に入りのウールのコートは着なくなる。
すごくお気に入りで、もう10年以上も大切に着ているウールコート。
最近、夏の後の残暑が長く、
ウールコートが似合う季節は、毎年11月に入ってからになってしまった。
そして、11月に入ると、寒さの増し方に加速度がつく。
初冬を楽しむ時間が短い。
ウールコートの出番も短くなる。

もっと着たいウールコートだが、
11月も終わりになると、もう我慢できない。
ダウンの魅力に降参してしまうのだ。

私のダウンは、かなり長い。
くるぶしまで隠れる丈がある。
私が住んでいる東京では、
着ているのも売っているのも、あまり見かけない。

実は、7年前までダウンコートを持っていなかった。
軽さと暖かさは魅力だったが、
買うとそればかり着てしまうことが分かっていたので、
手を出さなかったのだ。

しかしその冬。
年末にニューヨークに住む姉のところに行く用事が出来てしまった。

NYに行くからには、やはりダウンをゲットしなければならない。
なにせ、NYは青森と同じ緯度。
『津軽海峡冬景色』と同じくらい寒い国。
上野発の夜行列車を降りると、雪景色の国なのだ。
そんな街で売っているダウンコートは、
見かけ倒しの薄っぺらい商品は無いはずだ。
本当に暖かくないと、命にかかわる。
何でもすぐに「スーしましょ♪」(告訴しましょ♪)という国では、
命に関わるようなことがあったら大変だ。
ダウンコートは、防寒一番、ファッション二番のはずである。

私はNYでのメインの用事はそこそこに、
ロング丈のダウンコートを探し回った。
さすがNY。
読み通り、デパートにはロング丈が鈴なりに掛けてあった。
いくつかデパートを回り、
ついに、これぞと思うダウンをゲットした。

ダウンをゲットしたら、私のNYでの目的は達成されたも同然。
東京の毎日の仕事で疲れ切っていた私は、
NYのクリスマスもお正月も記憶がないほどに
姉のところで毎日眠り呆けた。

いまもとても重宝して着ているそのダウンコート。
東京で、ショート丈のダウンを買い足しもせず、
私は今年もさっそくロング丈を着込んでいる。

街ゆく女性は、ほとんど膝上の薄いダウンを
軽やかにおしゃれに着こなしている。
そんななかで、津軽海峡にも行けるような完全防備の私は、
ちょっと浮いているかもしれない。
でも、そんなこと全く構わない。
暖かいのが一番シアワセ。

お気に入りのウールコートは、
きっと来年の4月頃までお休みに入る。
でも、本当は4月になると、もっと春らしいものが着たくなって、
結局このコートはこの冬もう腕を通さないかもしれない。
ごめんね、ウールコートさん。
ちょっと小春日和の日があったら、絶対着るからね。
ちょっと待っててね。

私は、ウールコートに、
してはいけない約束をしてしまったのかもしれない。





いい○○の日



2012年11月29日(木)

今日は、【いい肉の日】だそうだ。
確か11月22日は【いい夫婦の日】だった。
ならば、11月は【いい○○の日】をたくさん作りやすい。

と思って、やってみた。

11月9日   いい句の日
11月13日  いい胃酸の日 / いい遺産の日
11月14日  いい石の日
11月15日  いい囲碁の日
11月16日  いい色の日
11月18日  いい厭の日
11月20日  いい楡の日
11月23日  いい兄さんの日
11月24日  いい西の日
11月25日  いい二号の日
11月30日  いい竿の日

考えれば、もっと出るだろう。
一体何を祝うのかわらない日だらけ、
とにかくそれを思って、祝ったり感謝したりすればいいのだ。

毎日何か「いい○○」があるかもしれない。
素晴らしい月だ。
とやっと気が付いたら、明日は11月の晦日だ。
明日は【いい竿の日】。
いつもたくさんの洗濯物をぶら下げてくれる竿に
感謝してみよう。




かゆみとダイエット



2012年11月28日(水)

さっき、隣の部屋でつけっぱなしになっていたテレビで
「かゆみの原因」を話していた。

冬になると肌がカサカサになり、痒くなる。
寝ている間にかきむしり、シーツに血が点々、という日もあった。
一昨年までの私である。

昨年の6月に低血糖症という診断を下されて、
ダイエットを始めたことは、以前に書いた。
体調が悪くなったのがきっかけで、
徹底的な血液検査をしてもらい、
そこでいろいろな数値が
「あららあ、だめじゃない、こんなのじゃ」な具合だった。
そこで始めた、かなり真剣な食餌療法。

内容は、高血糖症の人と同じ食餌療法だ。

どんどんとるべきもの
・蛋白質
 肉、魚、卵、乳製品、大豆製品

絶対取ってはイケナイモノ
・血糖値をすぐ上げるもの
 砂糖、果実、白米、小麦粉、日本酒、ビール、ワイン

なるべく控えるもの
・カフェイン、アルコール
 コーヒー、日本茶、紅茶、ウーロン茶、アルコール類全般 

昨年の6月5日を境に、白米を玄米にし、
パンは全粒粉100%のもの、
うどん、ラーメンを止め、
お菓子を我慢し、お酒を断った。
間食はナッツとチーズ。
カフェインも摂らなくした。
そして、「全然足りない」といわれた栄養素を
サプリメントでガバガバ摂った。

体調は緩やかに緩やかに、
行きつ戻りつしながら、大分良くなった。
そして、気が付くと、冬のあのひどいかゆみが、
全くどこかへ消えていた。

今年も、まだかゆみが来ていない。
何しろ、肌があまり乾燥していない。
肌がすごく柔らかくなった気がする。

血液が完全に新しくなるまでには、3ヶ月かかる。
だから、血液検査も3か月ごとにしている。
もうすぐ食餌療法を始めて、6回目の検査結果が分かる。

私が行っている食餌療法とかゆみが関係があるのかどうかは分からないが、
血液の質は絶対に良くなっているはずである。
血液の質が良くなれば、かゆみも治まるはずである。
多分。

かゆみでお困りの方は、
3か月間だけ、徹底的なダイエットをしてみてはいかがだろうか。
クリスマス、お正月を乗り越えるのは容易ではないが、
本当にひどいかゆみの方には、
私は薬を飲んだり塗ったりするより、断然お勧めする。

痒くないって、本当に楽よ~♪





冬の赤



2012年11月27日(火)

趣味で野菜を栽培されている方から、
たくさんの野菜を頂いた。
大根や白菜に混ざって、
こんな鮮やかな色が目に飛び込んできた。



赤トウガラシのブーケ。
真っ赤というにふさわしい色。
見ているだけで、活力がわいてくる。

こんなブーケを飾っておいたら、
悪魔や邪気は、一目散にどこかへ退散するだろう。

自然界の色は、時にドキリとさせるくらい強くて鮮やかだ。
故意には出せない色。
特に赤は難しい。
私にはまだまだ手が出せない。





月曜日と雨



2012年11月26日(月)

本当に、打って変わって、というのがぴったりな今日の天気。
一日中雨が降り続いた。
上空の気温がもっと低ければ、みぞれになっているだろうと思われるような、
ベシャベシャと降る雨。
氷雨というのだろうか。
昨日の抜けるような青空が嘘のようだ。

私が中学生だった頃、
カーペンターズというアメリカのグループの歌が流行っていた。
確かその頃、来日したのだっだと思う。
来日記念のベストアルバムが、うちにあった。

その中の一曲。
【雨の日と日曜日は】
そこで繰り返し歌われるフレーズ。

Rainy days and mondays always get me down.

雨の日と月曜日は、いつも気分が沈んでしまう。


中学生のころは全体の歌詞は分からず、
この部分だけ覚えている。
それ以来、月曜日で雨の日は、
必ずこのフレーズが頭に浮かぶ。

ウィキベディアに、この曲をカヴァーしているアーティストが並んでいる。
そこに、Sarah Vaughan(サラ・ヴォーン)の名前があった。
早速調べてみると、あった。YouTube。

>>>

彼女が歌うと、
カレン・カーペンターが歌う曲とは、全く別物となっている。
完全にSarah節だ。
若いころのSarahなのだろう。
私は、もっと大人のSarahで聞きたい気がする。

とにかく、雨の月曜日をなんとかやり過ごすためには、
音に酔ったりして、少し演出することが必要だ。






撮影



2012年11月25日(日)

今、harukiiのウェブサイトの更新を準備している。
雰囲気をがらりと変えるつもりだ。

いまあるのは、たった一ページのサイト。
一ページだけでも、いろいろ決定するのに、試行錯誤して
やっとのことで作った。
たった一ページだが、
訴える力は大きかったと思っている。

これから作るのは、商品説明も入った、
何ページにも渡るサイト。
今より、情報量が増える。
そして、イメージも変わる。

変えるには、私なりに勇気が要る。

harukiiのブランドイメージを、より分かりやすくするための更新だ。
それが成功することを祈っている。


今日はそのための撮影だった。
吉祥寺にお住いのご夫婦の全面的なご協力を頂いて、
そのお住まいまでお借りして、お二人を撮影した。

お玄関、お庭、縁側。
いろいろな場所で、お二人にストールを身に付けて、
カメラの前に立って頂く。
晩秋の光りが、とても柔らかく差し込んでいた。
お庭の手入れされた木々が、
ご夫婦のお顔に優しい影を作っていた。





午後からは、場所を移して、善福寺公園へ。

秋晴れに紅葉が映え、とても美しい。

飛行機雲も、応援してくれた。


池のほとりで「会話をして下さい」というカメラマンさんのリクエストに、
楽しく談笑されるお二人。

何を話していらしたのだろう。
楽しげで、柔らかな雰囲気。
まるで、映画の一シーンを見ているような、
そんな錯覚に陥った。
いつまでもこのまま見ていたいと思った。
私たちはみな、とても幸せな気持ちになった。





揺れ



2012年11月24日(土)

揺れた。
6時ちょうどに、かなりしっかりと揺れた。

あ、大きいと思った。
木造の築三十数年という家の、二階は、
他の家より揺れたのかもしれない。

揺れはすぐおさまり、
「あぁ、大きくならずによかった」と思った。
阪神や新潟や東北の地震を体験した方々は、
少しの揺れでも怖いだろう。
こんなはっきりした揺れの時は、どんなに怖いだろう。

これぐらいの揺れで、どこかで被害が出ているのだろうか。
電車が止まったり、停電になったりしているのだろうか。
植木鉢が落ちたり、ランプが倒れたりして、
だれかが怪我をしているのだろうか。

地面や海の深いところで、
地球がどうしても我慢ならずに、伸びをする。
その姿勢を保っているともっと具合が悪くなるから、
首の筋を伸ばすように、腰を少し回すように、
地球はその姿勢を調整する。
それが、私たちの済む地上に大きな揺れとなって伝わる。

たまたま日本はその姿勢の調整をする位置の上や近くにあるらしい。
というより、その調整を繰り返しながら、
日本という国土が出来上がった。
そして、私たちは、たまたまその土地に生まれ、暮らしている。

たまたまであるが、こういう風に考えると、
なぜかそうあるべくしてある。
生まれるべくして生まれた、
選んで生まれてきた、という気にもなってくる。

地震があるたびに、
何ごとも、揺れないものはない、ということを実感する。
どっしりと動かない、安定して決して揺らがない、というものは、
この世の中にはないのだ。
安心して寄りかかった木も、岩も、山も、大地も
すべてが揺れる。
粉のような人間が揺れ続けるのは、当たり前だなと思う。

揺れることに文句を言ってもしょうがない。
揺れることは自然なのだ。
揺れることは当たり前なのだ。
揺れることを畏れてはいけないのだ。

近くの通りを救急車が二台続けて走って行った。
大事に至らなければいいがと祈る。

外に出て見上げた月は、くっきりと明るかった。





静かな雨



2012年11月23日(金)

今日は朝から、とても静かな雨が降っている。

雨は、必要な場所に、必要な時、
必要な降り方で降ってくるのだと思う。

大気中に細かい粒となって浮かんでいた水分が、
気圧や気温が揃ったとき、集まって大きな粒となり、
重量が大きくなり、地上に向って降りてくる。

そして、また気圧や気温の条件を整えて、
目に見えないほどの細かい粒となって、上昇し、
大気の中に戻っていく。

空と地上を行ったり来たりするもの。
天と私たちの間で、何かを運ぶもの。
水は、水自身と一緒に、私たちに何かをもたらし、
そして、再び何かを上に運んでいく。
そんな風に思える、今日の静かな雨である。

南の空が明るくなってきた。
もうすぐ太陽が顔を出すだろう。
水が天に上がっていく準備ができたのかもしれない。


photo by rla579




♪ 童は見たり、野中のばら



2012年11月20日(水)

なぜか、何のきっかけがあったのか、
全く分からないが、
今日はこの歌が、頭の中で何度も鳴っている。

♪ 童は見たり、野中のばら
 清らに咲ける、その色愛でつ
 飽かず眺む。
 xxx匂う、野中のばら。

xxxの部分が、どうしても思い出せない。
他の部分さえ、合っているかどうか覚束ない。

こういう時に便利なインターネット。
早速検索、検索。

ありました。
ゲーテの作詞。へぇえ、知らなかった。
きっと小学校の音楽の時間に習ったんでしょうに、
すっかり忘れています。

作曲は、シューベルト版とウェルナー版がある。
今日私の頭の中でなっているのは、シューベルト版。
ウェルナー版って、どんな曲かしら?

これもインターネットの便利なところ。
クリックすると、聞こえてきた。

あ、これも馴染みのある旋律。
小学校の時は、こちらの方が好みだったように記憶している。
ウェルナー版の方が滑らかで、ちょっと大人っぽい。(小学生にとって。)
シューベルト版は、単純に明るく、
NHKの『お母さんといっしょ』にでも出てきそうなメロディ。

随分と大人になった今は、どちらが好きだろうか。
うーん、どちらも、甲乙つけがたい。
なんて、私ごときに甲乙つけてもらっても、
シューベルトもウェルナーも片腹痛いことだろう。

いろいろな情報の波にもみくちゃにされる生活をしていると、
シューベルトの単純な明るさは、とても有難い。
また、ウェルナーの滑らかな旋律は、
心を癒してくれる。
大人になるって、好きなものが増える、のかもしれない。

で、冒頭のxxxの部分。
日本語の訳詩は、近藤 朔風(こんどう さくふう)という人のもの。

1
童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)

清らに咲ける その色愛(め)でつ
飽かず眺(なが)む
紅(くれない)におう 野なかの薔薇

2
手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇
手折らば手折れ 思出ぐさに
君を刺さん
紅におう 野なかの薔薇

3
童は折りぬ 野なかの薔薇
折られてあわれ 清らの色香(いろか)
永久(とわ)にあせぬ
紅におう 野なかの薔薇

xxxの部分は、紅だった。
匂うといっても、薔薇の香りが匂っているのではなく、
「紅い色が、美しく照り輝いている」という意味の「匂う」だろう。

明治のころの歌詞は、とても美しい。
言葉の選び方が、何と言えばいいのだろう。
情緒豊かで、たおやか、とでも言おうか。

この歌詞を文語体、と読んでよいのかわからないが、
話し言葉ではない。
話し言葉ではない歌詞の曲など、
最近では全く作られていないのではないだろうか。

誤解を恐れずに言うと
私は『君が代』の歌が、大好きだ。
この歌を幼いころ、最初に聞いたときから、
きっとずっと好きだったのだと思う。

まず、あの旋律が好きだ。
なんとも厳かで、豊かで、西洋音楽に無い音階だ。
不思議な終わり方をする。
「和音を付けられない」と聞いたことがある。
編曲しにくいのだ。

そして、詩も大好きだ。
『君』が誰、または何を指すのか知らないまま、
または考えないままで、
ただ美しい歌詞だなぁと思ってきた。

  君が代は、
  千代に八千代に
  さざれ石の巌となり
  苔のむすまで

英語に訳したら付けなければならない主語、動詞が
出てこない。
もちろん、それは今発見したことだが、
日本語特有の、曖昧で、中途で切ってしまう言葉の使い方が、
子供の心に優しく、美しく染み入ってきたのだろう。

今でも『君が代』を聞くたびに、
その優しさ、美しさは色褪せることなく私の中に入って来る。
私にとっての『君』は、
あなたであり、私であり、地球であり、宇宙である。
すべてが永遠に続く、という意味である。
そんな、宇宙の大命題のようなことを、
この短い言葉で表してしまうなんて、
昔の人の芸術性の高さに、恐れ入ってしまう。

様々な考え方、思いがあろうと思うが、
願わくば、『君が代』が国家として、
これからも永く歌われ続けてほしい。



経理のお仕事



2012年11月20日(火)

今日は世田谷区役所まで、
年末調整の仕方、法定調書の書き方の説明会を聞きに行ってきた。

申請やら控除やら、いろいろな保険料やらなんやらかんやら。
今社員は私一人なので、私だけのことを考えればいいのだが、
それでも、頭の中がいっぱいになって、
欠伸ばかりが出て仕方がなかった。

会社員だったころは、こういうことに無頓着で、
提出しなければならない用紙も、ギリギリになって経理の方に渡していた。
何度か催促されたこともあった気がする。

いまそれをすべて管理しなければならない立場になると、
社員の多い会社は、とても作業が煩雑だろうと思う。
それも、年末のお給料までにすべて計算して、
書類を作成しなければならない。
時間との戦いだ。
社員が必要書類を提出しなければ、
それで経理の人の作業が止まってしまう。

一人一人事情の異なる社員について、細かい書類を作る。
それなのに、経理の人は小言も文句も言わず、
もくもくと集中して作業されていた。
今思えば、もっと書類を早く提出すればよかったと、
深く反省する。
年末調整だけでなく、日頃の経費申請の書類にしても何にしても。

ほんとうに、その立場にならないと、分からない。
想像力なんて、かけらもなかった私。

S.Hさん。
今は経理のお仕事をしばらくお休みされているようですが、
在職中は、本当にお世話になりました。
至らぬ社員で、本当に申し訳ありませんでした。
私はこれから、年末調整に挑戦します。
でも、きっとすぐに音を上げて、
税理士さんにSOSを出すのです。
情けない私です。
S.Hさん。
本当に、有難うございました。



いつまでも忘れないように



2012年11月19日(月)

All About スタイルストアさんのページ。
harukiiのストールの在庫が何枚になっているか、
一日に何度もチェックする。
やはり、とても気になる。
少し時間があると、iPhoneでSafariのページを開く。

在庫の数字が一つ減るだけで、
とても嬉しい。
商品を一枚買って頂くって、なんと嬉しいことなんだろう。
どんな方が買って下さったのだろうか。
女性だろうか。
何歳くらいの方だろう。
どこに住まわれているのか。
ご自分用か、それともプレゼント用か。

もしその方のお名前やご住所が分かれば、
飛んで行って、お礼を申し上げたいくらいだ。

あんなに沢山ある商品の中から、
harukiiのストールを、それもインターネットの写真を見ただけで選んで
そして、購入ボタンを押して下さる。
なんと有難いことだろう。

商品を最初に出荷した日と同じように、
この感動、この気持ち、いつまでも忘れたくない。

私は愚かだから、いつか忘れてしまうかもしれない。
愚かだから、きっと忘れてしまうだろう。
でも、忘れてはいけない。
そのために、私はこのブログに綴っておく。

今日のこれは、自分自身のためのブログ。
いつまでも忘れたくないことの記録。


 勿忘草の花 (ウィキペディアより)









織ネームの玉留め



2012年11月18日(日)

今日の東京は、日差しに恵まれ、暖かかった。
昨日は一日強い雨が降ったので、
今日は余計にその暖かさが嬉しかった。
もうすでに冬だと決め込んでいる私も
「秋に昇格してもいいな」と思ったくらいだ。

部屋に差し込む光の中で、
今日は一日、札付けをした。

透明な袋に入っている商品を
少しだけ引っ張り出す。
全部引き出さなくても札が付けられるように、
作業した方が、袋の口のほうに織ネームが来るように
入れて下さっている。
これで、柔らかくて扱いにくいストールを袋に入れ直す作業が、
ずっと楽になる。
細かい配慮に、頭が下がる。

織ネームに糸ロックスを通す。
生地の糸が細く、
そして、ガーゼのようにゆるく織られているので、
糸を引っかけないように
細心の注意を払いながら作業を進める。

そこで、どうしても目が行ってしまう、織ネームの玉留め。


いままで、こんなに丁寧な織ネームの付け方を見たことがあっただろうか。
私は普段、商品のネームは取ってしまう方なので、
ネームの付け方は良く見る方だと思う。

生地の織り方がしっかりしているものや、
糸が太くざっくりおられているものは、
ミシンで付けてあることが多い。
繊細な生地には、やはり手で付けてある。

でも、こんなに小さく、しっかりと、
そして可愛らしく付けてあるのは、
とても珍しいのではないだろうか。

私はこの作業をして下さっている方たちの顔を思い浮かべてみる。
いつも丁寧に、手早く作業を行う女性たち。
この女性たちの仕事如何で、
商品の格が上がったり下がったりする。
織ネームは、その一貫の作業の仕上げ。
お化粧で言えば、最後に差すひと筆の紅のようなもの。
その一瞬まで緊張が持続されていれば、
商品の仕上がりは、格段に良くなる。

この玉留めは
harukiiへの応援メッセージのように思える。
そして、子を嫁がせる母親の気持ちのようなものにも思える。

「頑張ってね。」
「大切にしてもらいなさいね。」
「優しく温めてあげなさいね。」

私はいつも札付けの作業をしながら、
このメッセージを噛みしめる。




時間



2012年11月17日(土)

時間の感覚が、ますますおかしくなっているような気がする。
1年という長さが、本当に短い。
1日だって、あっという間だ。
1時間は、瞬きひとつ。

だけれど、1分間時計を見つめていると、すごく長い。
1分って、こんなに長いのだったかしらと、驚く。
だから、10分、いや5分も時計を眺めていることはできない。

こんなに長い1分間なのに、
それが60も集まっているのに、
なぜか1時間はあっという間に過ぎてしまう。
もちろん、1時間時計を見つめていれば、
その長さに辟易するだろう。
私は5分で寝てしまう。

でも、何か仕事をしていると、本当に時間は飛んでいく。

なぜ何もしないと、時間はとても長く感じられ、
何かしていると、足りないほど短く感じられるのだろう。

今日はアメリカにEMSでサンプルを送る用事があり、
荷造りをした。
イメージでは1時間後にはすべての準備が整って、
出かけられるはずだった。
だけれど、実際にやってみると、とても単純な細々した作業に
時間を取られてしまう。
サンプルのサイズを測ったり、重さを量ったり、
品番をとって、それを札に付けたり、
畳んだり、入れたり、貼ったり、、、。
そして、輸出用の書類を作ったり。

自分で思っている作業時間と、実際の作業時間が合っていない。
これは昔からだから、私の癖なのだろうが。
でも、それにしても、本当に時間が飛んでいく。

明日で会社を登記して、6ヶ月が経つ。
この半年間、毎日毎日は、
そんなに色々なことをしたような感覚無く過ごしてきたが、
でも、振り返ってみると、信じられないような変化があった。
本当に多くの方と関わりを持ち、
多くの新しい知識を得、
多くの場所に連れて行って頂いた。

半年前、ブログを書き始めた。
その当時のことを読み返してみる。
ほんの一か月ぐらい前のことのように、その時の感覚が思い出される。
何も変わっていないことに、ホッとしたり、
何も成長していないことに、がっかりしたり。

そして、あれからまだほんの少ししか進んでいない、という想いと、
こんなところまで来てしまった、という想い。
全く違うことなのに、
自然に私の中に共存する。

これからまた半年経って、
「ああ、もう会社設立から一年か」と思うとき、
私は多分、今と同じように思うのだろう。

私は変わっていない。
私は成長していない。
まだ少ししか進んでいない。
でも、こんなところまで来てしまった。

きっと、来てしまったというのは間違いだろう。
連れて来てもらった、というのが本当だろう。
連れて来てくれたのは、
これまで知り合った多くの友人、知人、仕事仲間。
そして、家族、親戚、私自身。

結局、時は一秒、一分の積み重ね。
仕事も人生も、その時その時の細かい作業の積み重ね。
いまこうしてコンピューターに向っているのも、
ブログを書いているのも、
半年前を思い起こしているのも、
その積み重ねの中の、薄い一枚。

半年後、一年後、三年後、十年後を想いながらも、
一つ一つの、単純な、そして細かい作業を丁寧に行っていこう。
十年後の私は、その集大成となるはずだ。





【お知らせ】 GOOD DESIGN EXHIBITION



2012年11月16日(金)

来週は三連休ですね。
皆さん、どのようなご予定を立てていらっしゃいますか?
紅葉を楽しみに出かけられる方も多いと思います。

そんな中、
角ばった【G】のマークで有名な、GOOD DESIGN(グッドデザイン)の受賞作品が、
東京ビッグサイトで発表されます。



GOOD DESIGN EXHIBITION(グッド・デザイン・エキジビション)
東京ビッグサイト 東4ホール
2012.11.23(金/祝)~11.25(日)
10:00~19:00(入場は30分前まで / 最終日のみ16:00終了)

会場の中には、秀でたデザインの商品が、所せましと並びます。
ウェブサイトで写真を見ましたが、
なんだか壮観です!

そして、そして、All About スタイルストアさんが
会場内でお店を出されるそうです。
会場で展示されている商品は、買うことができないのですが、
このスタイルストアさんでは、購入可能なのです。

GOOD DESIGNの本年度の受賞商品や、過去の受賞商品の中から
人気の高かったものが販売されるのだそうです。

そして、スタイルストアさんが通常販売している商品も
同時に販売されます。

ということは。。。?

はい。その通り。
harukii の『ぼかし染シルクカシミヤストール』も並びます!
色は、スタイルストアさん限定色の【グレー】と【マロン】の二色。
サイズはLとS。
〉〉〉

インターネットの画面では感触が分かりにくいので、
この極上の柔らかさをお確かめいただける絶好のチャンスです。
ぜひご来場いただき、ストールを触って、その柔らかさを感じてみて下さい。
きっと、「え? なにこの柔らかさ???」と驚かれるはずです。


もしこの連休、何も予定がない方。
会場全体が素敵なアイディアやデザインで溢れている
GOOD DESIGN EXHIBITIONに出かけてみませんか?



GOOD DESIGN EXHIBITION

All About スタイルストア



こちらページを印刷して会場に持っていくと、
1000円の入場券が、なんと500円になるそうです!

そして、スタイルストアさんでは、会員のお客様先着150名様に
無料チケットをプレゼントしているそうです!




続々々・FAX電話機



2012年11月15日(水)

昨日、予定通り、光通信の工事が終わった。
時間通りに工事の方がおいでになり、
二人一組で、手際よく配線を行い、
一時間もかからずに終了した。

新しいFAX番号も支給された。
電話番号とはまったく異なる番号だ。
NTTの電話番号と違って、
こちらで選ぶことは全くできない。
それは、仕方がない。

で、いよいよ使えるか、というと、そうはいかなかった。

工事の数日前に、KDDIから機械が送られてきた。
多分、モデム、というようなものだろう。
現在のADSLにも、レンタルのモデムが送られてきたから、
光にも専用のモデムが必要なのだろう。

だが、同じ箱が二個も入っている。
開けてみると、内容は全く同じものだ。
KDDIから事前に説明はなかった。
念のために中を確認すると、
契約書のようなものがそれぞれに入っていて、
契約番号が違う。
一つは現在使っている電話番号で、
もう一つは、まったく知らない番号。
きっとこれが新しいFAX番号なのだろう。

番号一つに一つのモデムが必要なのか。
ふうん。大げさな感じだ。

あ、でも、回線の差込口は一つ。
工事で差込口は二つになるのだろうか。

で、実際に工事の方がいらっしゃると、
「ハブはご用意いただいていますか?」と仰る。
「ハブ?」
「はい、ルーターが二台ありますので、ハブが必要になります。」

HUB(ハブ)というものは、なんとなくわかる。
一台のHUBに差込口が数個有り、
パソコンなど、数台の通信機器を使う場合、
この一台のHUBに差し込んで、回線を共有する。

そう。HUBのようなものが必要なことは、想像がついていた。
で、それは工事の方が準備して下さるものだと思っていた。

「KDDIでは、HUBは販売していないんですよ。
このリストの中にある商品ならau光りに対応しているので、
お客様にご準備頂くんです。」
「準備するって、どこで買うんですか?」
「家電量販店なら売っていますよ。」

光回線の申し込みをした時、窓口の方は、HUBが必要とは言って下さらなかった。
ちゃんと一台の電話機で、電話専用番号とFAX専用番号を使い分けたい、という
こちらの希望を伝えたにもかかわらず。
いや、希望が伝わったから、ルーターは二台届いたし、
二つの番号も支給された。

「それは、窓口の人の手落ちですねぇ。
今日HUBがあれば、接続できたんですけどねぇ。
でも、お客様がご自分で接続しやすいように、ご説明いたします。」

工事の方は、とても分かりやすく教えてくださった。
私もなんとなくHUBの役割が分かっているので、
どのように線を繋ぐかは、割と想像できた。

でも、忘れないうちに、早く買ってこなくちゃ。

それで、今日さっそく渋谷のビックカメラで、
au光に合うHUBというのを購入してきた。

さぁ、いよいよ接続!

となるはずだったが、どうしてこうなるのか。
またしても前に進まなかった。

これは、誰にも文句の言えないこと。
うっかり者の私のミスだ。

渋谷のビックカメラを出てバスに乗り、
自宅近くの停留所に降りた。
そこは、スーパーマーケットの目の前。
そこで、荷物を植え込みの脇に置き、
自宅に電話をして、何か買っていくものはないか聞いた。

電話を切り、頼まれたものを買って、
意気揚々と家に戻った。
さて、いよいよHUBの接続、、、と思ったとき。
ない。
ビックカメラの手提げ袋がない。
HUBの入った袋がない。

あ! スーパーの、あの植え込みの脇だ。
あそこで電話をかけて、袋をそこに置いたままスーパーに入り、
買い物を済ませて帰ってきてしまった。

すぐにスーパーに引き返した。
ない。
ない。
どこにもない。

スーパーに入り、店員さんに聞いてみる。
「あのう、忘れ物の届け出はありませんか?」
これこれ、こんなふうなものをここに置き忘れて、と説明する。

「いやぁ、届けはありませんねぇ。
もしかしたら警備員さんが回収してしまったかもしれません。
すみませんが、あとで電話を頂けますでしょうか。」

今すぐ確認してもらえないのだろうか、と思いつつ、
電話番号をもらって、一旦自宅に戻った。

言われた通り、再度スーパーマーケットに確認の電話を入れてみる。

「あ、先ほどの方。
いえ、やはり、そういうものは届けられていませんねぇ。」

はぁー、そうなのか。

「時々、交番に直接届ける方がいらっしゃいますよ。
近くの交番に聞いてみてはいかがでしょうか。」

早速交番に電話をした。
届けはないという。

私の不注意なのだ。
小さいころからなおらないクセ。
手に複数の荷物を持つと、どれか一つ、どこかに置き忘れる。
今まで傘をどれだけ無くしたことだろう。

HUBはまだ手元にない。
もう一度買うことになるのだろうか。

一応明日、交番に届けてみよう。

HUBを拾った人は、何に使うものか分かるのだろうか。
丁度HUBを買わなければ、というタイミングの人が拾ったならいいけれど、
そうでないのなら、交番に届けてくれるといいなぁ。

淡く儚い期待を持ちながら、
でも、明日また買いに行くんだろうな。
FAXへの道のりは、また少し遠のいてしまった。


FAX電話機

続・FAX電話機

続々・FAX電話機

続々々々・FAX電話機




続・コンピューターのご機嫌



2012年11月14日(水)

コンピューターの機嫌が悪いと書いたら、
ディスクのクリーンアップをしろ、
デフラグをしろ、というアドバイスを頂いた。

画像データを大量に外に放り出したことで、
かなりコンピューターの機嫌は良くなったが、
私の掃除モードのスイッチが入ってしまった。
出来る掃除は、とことんやる。
(実際の掃除は、そうでもないのだが。)

ディスクのクリーンアップ、と検索してみた。
やり方が出ている。
これは簡単。
すぐに終わった。
これは、時々コンピューターの方から
「クリーンアップしますか?」と聞かれて、
そのたびにやっている気がする。

次に、デフラグの方法を検索してみた。
これもすぐにやり方が分かった。
でも、あらあら。
「これには時間がかかる」、と書いてある。
「セットしたまま寝てしまう」、とも。

それに、事前にバックアップを取っておいた方が良いらしい。
デフラグって、何か事故が起こる危険があるのかしら。

ということで、今日はパソコンは店じまい。
デフラグしたら、明日から動作は、パッパッパーっと
なるのかしらね。




続々・FAX電話機



2012年11月13日(火)

案外、早くつながりそうだ。
光回線。
申込みをして工事まで1.5ヶ月から2ヶ月かかると言われていたが、
約三週間後の明日、工事に来て下さる。
よかった。

よかったことは重なる。
工事に来て下さるので、掃除をした。
「四角い部屋を丸く掃く♪」派の私でも、
今日は特に念入りに、四角い部屋をより四角く掃除機を掛けた。
なんだか空気もきれいになったみたい。
アロマ入りキャンドルなどを焚いてみる。
ふんふん。
俄かに清らかな部屋になった。

コンピューターの掃除もした。
調子が悪いとブログで愚痴を言ったら、
各方面から
「デスクトップに何でもかんでもおいてあるんじゃないか」
「データを溜めこみすぎているんじゃないか」
「なになにじゃないか」
「かにかにじゃないか」と
ジャナイカ・ビームを浴びまくった。

たしかにたしかに。
随分前に、デスクトップに書類やデータを置いておくと、
コンピューターの立ち上がりが遅い、と聞いたことがあり、
それ以来、私のデスクトップは綺麗にかたずけられている。

しかし、NIKONを買って以来、撮り溜めた画像が、
ピクチャの中に、ほとんど削除されず保存した会った。
きっとこれがすべてを遅くしていたのだろう。
さっそく、SDメモリーカードに、画像を移した。
そしたら、皆さんのご指摘の通り、
コンピューターのご機嫌は、あっという間に元通りになった。

やっぱり人間も機会も、貯め込んではいけないのね。
人間の体内から老廃物が出て行ったり、
掃除をして誇りを掃きだしたりすれば、気持よくなり、効率も上がる。
機械もそれと同じことですね。
低気圧は、、、あんまり関係なかったのかしらね。

光通信の工事のお蔭で、私の部屋はすっきり、
コンピューターはサクサク。
そして、私の頭の中には爽やかな風が吹いている。
明日光回線が開通したら、
新しいFAX番号をもらえる。
そして、いよいよ【ボイスワープ】を使えるようになる。

どんなFAX番号になるのだろう。
覚えやすい番号だといいな。


FAX電話機

続・FAX電話機






小さい秋みつけた



2012年11月12日(月)


秋が深まってきた、という声を聞くようになった。
あちこちで紅葉が始まったらしい。

東京の住宅街でも、夏に咲いた花が樹の上で実を結んでいる。

秋になると頭の中になり出すこの歌。
歌詞を書き出してみると、とても不思議な歌だ。



『小さい秋見つけた』

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ 澄ましたお耳に
かすかにしみた 呼んでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色
とかしたミルク わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
昔の昔の 風見の鳥の  ぼやけたとさかに
はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた


作詞 サトウ ハチロー
作曲 中田 喜直


歌詞の解釈や、作詞者のおいたちなど、インターネットでいろいろ出てくるが、
それを詮索する気はあまり起きない。
ただ、こうやって歌詞を書き出してみると、
歌詞の持つ独特のリズム感、
そして選ばれた単語の繊細さに驚く。

小さい子供の目に映る、季節の移ろいの情景は、
きっと小さい驚きの連続なのだろう。
それを特別大人に伝えることをせず、
ただ見て感じている子供が、ここにいる。

どんな子供にも、小さい秋は来ているのだろうな。
初めて秋を迎えている友人の赤ちゃんは、
何を見ているだろう。





低気圧の一日は



2012年11月11日(日)

昨日に引き続き、まだコンピューターの調子が悪い。
今日は雨も朝からずっと降り続いているし、
気温も低い。
右の頬には、久しぶりに吹き出物もできた。
食欲もない。
なんとなく、調子が上がらない日曜日だ。

コンピューターの動きがスローなので、
ついつい居眠りをする。
気が付くと、コンピューターも眠っている。
私に付き合ってくれなくてもいいのに。
機械も低気圧が影響するのだろうか。

二日前に撮った近所の写真。
やっとこの辺りにも秋が来た。
体感的には、冬だけど。

この写真を見て、一緒にはればれとした気持ちになろうよ、
コンピュータ君。









コンピューターのご機嫌



2012年11月10日(土)

この頃、急にコンピューターの調子がおかしい。
しょっちゅう固まってしまう。

ウィルスチェックをしても、悪いところは検出されない。
原因が全く分からない。

きっと製造元のカスタマーサービスに電話をしても、
なかなか繋がらないんだろうなぁ。

自力で何とかしたいが、インターネットでヒントを探そうにも、
すぐフリーズしてしまう。

これは愛機iPhone4で書いているが、
やはり長文は入力しづらい。

私と同じで、
私のコンピューターも寒さに弱いのかも。
どこを温めれば機嫌よくなってくれるの?

とにかく、今日は休ませてあげよう。
明日は元気になってね、
私のコンピュちゃん。




続・湯たんぽ礼賛



2012年11月9日(金)

五日前に書いた『湯たんぽ礼賛』のブログを読んだと、
メールが来た。
そして、私が寒がっている背中の肩甲骨の間は、
【霊台】(れいだい)というツボだと教えてもらった。

早速インターネットで調べてみる。

あった、あった。
すごくたくさん出ている。

【霊台】 左右の肩甲骨を結んだ線の中央から5㎝ぐらい下に位置する。

うーん、私が寒いのは、この霊台から始まって、上の方にも広がっている。
あ、対のようなツボがもう一つある。

【神座】(しんざ) 左右の肩甲骨を結んだ線の中央から5㎝ぐらい上に位置する。

そうそう、そこもすごく寒い。
ふうん、下のツボから上のツボまで、その一帯全部が寒いけれど、
ツボが二つもあったんだ。

ツボなので、針やらお灸やらで治療するようだ。
単に温めてもいいらしい。
私の湯たんぽ療法は、合っていた。
もちろん、貼るカイロも効果的だし、ドライヤーで温めても良いらしい。

で、何に効くのかといえば、
睡眠障害、腰痛、気管支炎、ぜんそく。
それから、ココロの病気にもすごく効果的らしい。

私の場合は、何だろう。
高校三年生の時に気管支炎を患って以来、風邪をひくと咳が出やすい。
腰痛はそろそろ気を付けなければならないお年頃だ。
寝つきは良いが、夜中に必ず起きる。
それは、熟睡ができていない証拠だろう。
そして、自慢ではないが、ストレスにはめっぽう弱い。

なんだ、湯たんぽで温めるの、すごくいいんじゃない。
知らないで行っていたツボ療法。
あらためて今日から、ちゃんと続けてみよう。



続・ケットーチ



2012年11月8日(木)

本当に、5時間かかる検査だった。
前の晩10から、食べ物を一切摂らず、
口に入れる物は水か白湯だけ。

結局私は甘いものの夢は見ずに、
検査当日どうしても外せない仕事の約束を入れてしまっていて、
検査はキャンセルしなければならない、
という夢を見て、目が覚めた。

クリニックは朝10時から始まる。
10時と同時に入り、問診票に記入し、
検査の同意書にサインする。
途中、気分が悪くなる人もいるそうだ。
そんな大変な検査なのか?
血を採るだけじゃないのか?

そう、血を採るだけだ。

まず最初にブドウ糖を飲む。
全くサイダーと同じ味だ。
そして、腕に針を刺し、血を採っていく。

10:25
10:40
10:55
11:25
11:55
12:25
12:55
13:25
14:25
15:25

合計10回採血をする。
採血するたびに、
・血圧
・体温
・脈拍数
を測る。

途中、気分が悪くなったり、何か変調をきたしたら、
用紙に記入する。

私は幸い、何も起こらなかった。
途中、体温と血圧が少し上がったが、あとは何事もなく過ぎて行った。

することがないので、メールをチェックし、
ネットをチェックし、
そして、本を少し読んだ。
30分置きに採血するので、なかなか忙しい。
寝るといっても目をつぶるだけ。
眠りに落ちそうになると、次の採血の時間が来る。
本を読もうとするが、やはり眠気が襲う。
そうこうしているうちに、
5時間が経ってしまった。

検査の結果が分かるのが、1か月後。
その間、甘いものを食べるようか、我慢しようか、と考えながら、
クリニックを出た。

新宿駅までの道すがら、ここは素通りできない、というお店が見えてきた。

【追分だんご】

食事制限を始めて、甘いものを断ったときに
顔ぐらいの大きさの巨大な大福餅を、親せきの叔父が美味しそうに頬張り、
口の周りを真っ白にしている、という夢を見た。
どうも私は大福餅が好きらしい。
食べるなら、粒あんの豆大福だ。

お店に吸い寄せられるように入った。
粒あんの豆大福と、この季節の商品なのだろう、
栗大福とが一つずつ入っているパックがあった。
自分では食べないが、家族にお土産に買っていこう。
家族が美味しそうに食べるさまを見て、満足しよう。
そうしてまで買いたい、美味しそうな大福もちだった。

その後、右手に見えてくる伊勢丹に入る気力も出ず、
空腹で重い体と足を引きずって、私は一路家路についた。
おみやげに喜ぶ家族の笑顔を思い浮かべながら。

さて、私のケットーチの結果はどう出るだろう。
一か月後が楽しみだ。


ケットーチ

「続々・ケットーチ」




隠居宣言記念日



2012年11月7日(水)

母と遅い夕飯を食べている。
それを父が見ている。
早くに夕飯を済ませた父は、もう寝るまですることがない。
母と私の会話に、時々茶々を入れ、暇をつぶしている。

ごちゃごちゃと何やらたわいもないことをしゃべっている途中で、
父が口をはさむ。

「お前の事業は来年の今頃になったら、一人前になるか」

時々、父はこういうことをいきなり投げかけ、ドキッとさせる。

時には、
「売り上げはどうだ。」

時には
「今期の利益はどれだけある。」

それは、たいがい楽しく食事をしている最中である。

口の中のものを飲み込んで
「いえ、まだ始まったばかりだから。
なんとも、その、あの。。。」
もごもごする。

で、先ほどの「来年の今頃」に続く言葉があった。

「お父さんは来年には、お前にすべてを任すぞ。」
「え? どういうこと?」
「来年からは、一家を養え。
お父さんは、もう終わりにする。
いろいろな家計のことやら何やら、もうできない。
男85歳。もうお終いの年齢だろう。」


昔の日本には、隠居制度というのがあった。
家長がある年齢になると、自分で隠居という身分に退く。
そして、家督を継ぐ者に家長の座を渡す。
それは、家族の中での取決めであり、また公にも知らされた。
そして、武士の場合は、その雇い主であるお城に、その報告がされ、
新たに石高が決められるである。
詳しいことは知らないが、ざっとそのようなものだった。

現代にはそういう制度はない。
家業を継ぐ、という場合は、似たようなことが行われ、
対外的にもそれは公表されるが、
一般の家庭で、公表しない。
はっきり、「今日から家長の座を譲る」と宣言する家庭も
どれだけあるのだろうか。


仕事から退く。
それを多くの人が経験する。
自分で線を引き、引退するのである。
それは、スポーツ選手など、
まだ若く、やる気に満ちている人にとっては
大変つらいことだろう。
しかし、そこを乗り越えれば、第二の仕事人生が待っている。

また、年老いて、もう十分社会にも家族にも貢献した、
という満足がある人には、
引退は一抹の寂しさがあるが、
労働から解放されるという楽しみも大きいだろう。

しかし、父の今日の宣言は、それとは意味が違う。
父は、自分の脳みそが正確に機能しなくなってきたことを
自覚している。
それを家族の前で悲観してみせることはないが、
時々無言で宙を見て何かを考えている時、
父はきっと、物事が即座に判断できなくなった事実を噛みしめ、
今後の身の振り方を考えているのだろう。

「自分の知的活動は、そろそろ終わりに近づいている。
完全に終わる前に、引き継ぎをしなければならない。」

そういうところは、蔑にしない人である。
責任の所在をあいまいにしない。
責任を全うできないと自覚したら、
それを潔く認め、次の人にきちんと引き継ぎをする。
そういうところを、私は父として、大人の男性として
とても尊敬している。

しかしそれを、父は今日不意に、私に宣言したのである。
私がチキンのから揚げを頬張っている時にである。

「えー、来年なんて、早すぎるー。」
などと言って、はぐらかす。
そんなこと急に言われても困る。
いや、父は急にではなく、来年の話をしているわけで、
父としては、自分の頭がはっきりしているうちに
引き継ぎたい、という考えなのであろう。

知的活動から退く、という宣言をするということは、
いったいどういう気持ちなんだろう。
自分はだんだんボケてきた。
人間として、尊厳を持って生きる時間が限られてきた。
これからどんどん分からなくなる。
家族のことも分からなくなる。

そういう風に思い始める、ということは、どんな気持ちなんだろう。
想像以上にすごく淋しいに違いない。
不安で、哀しいに違いない。
少しボケているから、そんなに心配するほど深刻には考えていない、と
娘としては思いたいが、
それはこちらの甘えである。
それでは、思い切って宣言した父の想いに対して、申し訳ない。
しかし、私にはまだその宣言を受け止める準備ができていない。

明日になれば、父は今夜自分が言ったことなど、
忘れているかもしれない。
そして、また同じことを繰り返すかもしれない。
これから、何度でも『引退宣言』があるだろう。
それも、夕食のたわいもない会話の途中に。

次に『宣言』が言い渡されるとき、
私は何と答えようか。
また同じようにはぐらかすか、
それとも、「分かりました、任せてください!」と
とりあえず口先だけで返事をするか。
父には、私の心の中が見えているのだろうか。

こんな頼りない娘に、一家を託す宣言をしなければならない父に
私は申し訳なさでいっぱいになる。
せめて、この日を父の『隠居宣言記念日』として
しっかり心に刻んでおこうと思う。
来年の今頃、また父が「来年になったら、お前に、、、」と
同じセリフを繰り返してくれることを願いながら。









ケットーチ



2012年11月6日(火)

今日は、東京は一日雨が降っている。
静かな雨なのに、
家の中にいても、雨が降っている気配がするのはどうしてだろう。
どこかの家で、雨だれの音がし出した。
規則正しく、何かの板の上に落ちている。

今日は一日パソコンに向かっていた。
エクセルの表とにらめっこし、あちこちの数字を持って来て、
足したり引いたり掛けたり割ったりして。

何時間も格闘しているのに、
まだ、全体がすっきりとしているわけではない。
道半ばだ。
でも、もう眼も頭も疲れてきた。
休憩を取る。

私はひと息つくとき、
お茶を飲み、ナッツを食べる。
お茶は、オリジナルブレンドのハーブティだ。
・柿の葉
・どくだみ
・いちじくの葉
・よもぎ
・すぎな
・大麦
・鳩麦
・そば
これらを、適当に混ぜて煮出す。
それをポットに入れて、一日中飲んでいる。
最近、少し生姜も混ぜ出した。
ちょっと辛みがあって、味のアクセントになっている。

ナッツは適当に、アーモンドやカシューナッツ、マカダミアなど。
これは、塩無しを選んでいる。

コーヒーや緑茶が大好きで、がぶがぶ飲んでいた。
甘いものも年を取るにつれて好きになり、
中でもチョコレートとアイスクリームは常備していた。
それを極力、いえ全くといっていいほど摂らなくしたのは、
去年の6月頃。

「ケットーチが低い可能性が大です」
新宿のクリニックの院長先生はそう言われた。

「血液検査で、多項目調べたところ、
通常の値よりかなり低いのが、●●と●●と●●と●●と●●、、、
かなり高いのは●●と●●と●●と●●、、、」

私の血液の評価は【D】だった。
一番悪いランクだ。
まぁ、そんなに。
どうしてかしら。

その原因が、血糖値が低いと思われる、ということだった。
血糖値を正しく測るには、5時間、30分置きに血液中の血糖値を測る、
という検査をしなければならない。
そんな大それた検査をしなくても、
私の血液検査の結果で、十分わかる、と言われた。

で、血糖値が下がりすぎないようにするために、
糖分とカフェインは摂らないように、というキビシイご指示を頂いたのだ。

それから1年半。
私はかなりいい子だった。
まぁ、最近少しは緩んできたが、
それでも、言いつけは極力守った。

明日の夜から食事を止め、
明後日、私はいよいよ、その5時間検査を受ける。
『血糖値が低い可能性が大』という曖昧な診断ではく、
本当に血糖値が低いのかどうか、調べて頂こうじゃないの、と
袖をまくりあげ、鼻息荒く、血を採ってもらうのである。

もし血糖値が低いのではなかったら、どうしてやろう。
ショートケーキ、チョコレート、シュークリーム、アイスクリーム、
大福、カステラ、スキヤキ、
それらを全部目の前に並べて、
白い炊きたてのご飯にイクラを山盛りに乗せて
大きな口を開けて食べてやろう。

さぁ、いらっしゃい。
カモーン、血糖値検査。
この18ヶ月の努力の結果を、見せつけてあげる。
どこからでもかかってらっしゃい。

きっと今晩も明日も、甘いものの夢を見るだろうなぁ。
採血の針、一度で刺さってくれるといいなぁ。


続・ケットーチ

「続々・ケットーチ」



秋の夜長につらつらと



2012年11月5日(月)

難しくて答えが出ないことがある。

先週、イギリス人の父子に質問された。
「日本では、電車の中で会話しているのは許されて、
どうして携帯電話はだめなのか?」

その時、私は咄嗟に答えた。
「一方だけの会話が聞こえると、
相手が何を言っているか、気になってしょうがないから
イライラするんじゃない?」

実は、咄嗟に考えついたわけじゃない。
私も常々、同じ疑問を持っていた。
どうして会話だと大声でも許されて、
携帯電話は眉を顰められるのだろう。

そして、上記の答えをとりあえず導き出したのだ。
これが合っているとは思っていない。
ただ、答が見つからないのだ。

私も電車の中で携帯電話で話されて、
不愉快にならない、というわけではない。
やはり、聞いていてあまり気持ちの良いものではない。
どうしてなんだろう。

仮に二人の大人が、私の隣の席で、
聞くに堪えないような噂話をしていたり、下品な話を
泡を飛ばして話していたらどうだろう。
もちろん、聞きたくはないが、「止めてください」とお願いするまでには至らない。
そういう会話と、携帯電話でビジネスの内容と思われる話を聞くのでは、
どちらが不快だろう。
面白いことに、どちらも不快だ。
携帯電話の方も、同じくらい不快だ。
そして、携帯電話の方がイライラする。

なぜなんだろう。

公共の場で個人的な行為をしているからだろうか。
例えば、電車の中の大っぴらな化粧直しもそれに通じる。
できれば、人目に付かないところでやってほしい。

ああ、そうか。
電話もお化粧も、人目に付かないところでやるべき、と思っているからなのか。
そうだ、そもそも電話は会話と違って、
今までこそこそやっていた。
家庭の中でも、部屋の隅とか、廊下の端とか
階段の下とか、
家族の耳に入らないような場所でしていた。

だから、受話器を耳に当てた瞬間、
「人目に付かずにやるべき行為」に代わってしまうのではないだろうか。

では、もし仮に。
電車の中で、隣同士に座っている二人が
携帯電話でお互いに話していたら、私はどう感じるだろうか。
二人はお互いの目を見ず、前を向いて話していたら、
それは不愉快だ。
すぐに止めて、普通にしゃべってほしいと思う。

では、二人が向き合って、
自然におしゃべりを楽しむのと同じような雰囲気で、
ただ耳に携帯電話を当てているだけ、という光景だったらどうだろう。
うーん、可笑しい光景だ。
だが、前者の状態よりも不快ではない。
でも、頭は混乱するだろう。
「この二人はお互いに会話をしているのだろうか、
それとも、偶然にお互いの相槌が合っちゃっただけなのだろうか。」
しばらく混乱し、じっと観察し、
「あー、二人で電話で会話しているんだ」と判断する。
そして、「何のために? あほちゃうか?」と思うが、
はて、不愉快に思うか、というとそれはなと思う。
イライラせず、かえって楽しめるかもしれない。

とすると、一方的に話している状態を見る、または見せる、というのが
どうもイライラの原因のようだ。

そうなんだよ。
最初っから分かっているじゃないか。
だから、どうしてその「一方的」がイライラの原因なのかを探っているんじゃないか。
全くイライラするなぁ。

まぁ、そう焦らずに。
せっかくここまで来たんですから、もうちょっとですよ。


我が家の固定電話は、99%母宛である。
電話が鳴ると母が受話器を取る。
そして、「あら~、こちらから電話しようと思っていたんです~」などと始まり、
長電話に突入する。

父は、昔から必ず
「Who is he?」と子供たちに聞く。
なぜか、英語だ。
私たち姉妹はしばらく母の一方的な会話を聞いて、
「あぁ、あれはSheよ。○○おばちゃんからね。」
「ちがうちがう、××おばちゃんよ。」
などと、当てっこをする。
(うちには、おばちゃんが10人ぐらいいる。)
だが、電話が長引くと、父の機嫌が悪くなる。
「なんだ、だらだらしゃべって。もっと要点だけしゃべれ。」
となり、もっと長引けば、
「勝手に作るな、話を!」と大きな声で怒鳴る。

相手がだれか見当がついていて、話の内容も凡そ見えているのに、
やはり、電話の会話は聞いていると不愉快になる。
だったら聞かなければいいのに、と思うのだが、
なぜかどうしても耳をそばだててしまう。

思うに。

私の最初の回答は、あながち間違ってはいないのではないだろうか。

「相手の声も全部聞こえて、会話の筋がすべて見える」

このことで、私たちは心の安定が図れる。
そして、他人の会話を聞くようでいて聞かないことができる。
しかし、こちらの声しか聞こえなければ、会話が完結せず、
気になってしょうがない。
相手の話が聞けない会話は、不安になる。
全部聞けて、やっと無視ができるのだと思う。

あ、初めから内容がチンプンカンプンな、例えばスロバキア語だったら、
携帯電話でも気にならないか?
うーん、どうだろう。
体験してみないと何とも言えないが、
やはり、相手の声が聞こえないとイライラするんじゃないだろうか。
いつかそんな場面に遭遇しないだろか。

さてと。
電車の中で携帯電話で話されても、不快に思わないようにするには
どうしたらよいか。

いっそ、相手の声がまわりに聞こえるようにしたらどうだろう。
電話の向こうの相手も、電車の中でこちらのみんなが聞いている、
ということを意識していれば、
そうみっともない話もしないだろう。
かえって普段より丁寧な口調になるかもしれない。
聞いているこちらも安心だ。
それに、場合によっては、電車の中の人が全員で
人生相談に乗ってくれるかもしれない。

うん。
これからは、電車で携帯電話で話している人がいたら、
相手の会話を勝手に作り上げてしまおう。
そうすれば、かなり落ち着いて時間を過ごせるんじゃないかな。

でも、残念ながら、東京では車内で電話をする人がめったにいなくなった。
だから、あんまり心配する必要はないのだ。
ここまで考える必要もなかった。
なんだ、つまんない。
あー、電車で長電話する人、乗ってこないかなぁ。

photo by rei





湯たんぽ礼讃



2012年11月4日(日)

あんまり寒い寒いと思っていたら、
どうも風邪を引いているようだ。
いくら体を温めても、背中がゾクゾクする。
くしゃみと洟が交互に出る。
寝ると変な夢を見る。

そもそも寒くて眠れない。
松前漬のように布団やブラケットを重ねても、ちっとも温かくならない。
そんな時に重宝するのが、湯たんぽだ。

うちには、夜間電力を利用した温水器が設置してあり、
蛇口をひねると、熱湯がいつでも出る。
だから、湯たんぽを用意するのは簡単だ。

湯たんぽを、背中の下に入れて寝る。
足元じゃない。
ちょうど肩甲骨の間ぐらい。
ここが私のホットスポット。
ここさえ温まれば、すべてがバラ色。
過去の後悔も、未来の不安も消え去る。

こんなところに湯たんぽを入れても、寝にくいでしょう?
そう、その通り。
私が使っているのは、プラスチック製の固いタイプ。
お湯がたっぷり入って、長時間冷えにくい。
体が硬い私には、この無理な姿勢が少し痛い。
熱があれば、もっと痛いだろう。
でもちょっとストレッチも兼ねていると思えば良い。
この状態では、まだ眠らない。

背中が十分温まり、そろそろ眠くなってきたところで、
湯たんぽを外して小脇に抱える。
背中の下は湯たんぽで温まっていて
最高に気持ち良い。
これでやっと眠りに入る。
眠りは浅く、やはり妙な夢を見る。
さっきは、六角精児さんがバスに乗るところだった。

湯たんぽは、暑くなりすぎたら、
自然に体から離せるのが良い。
目が覚めると、何処かへ行ってしまっている。
それでもまだ仄かに温かい。
また引き寄せて、抱えて寝る瞬間がまた良い。

湯たんぽ、お勧めです。
あ、でも本当に具合の悪い時は、貼るカイロを付けます。
湯たんぽじゃぁ痛すぎて、重すぎて。

そう言えば、我が家の温水器の上に、
毎晩必ず猫がくる。
いつも大体決まった時間だ。
野良なんだろうな、きっと。
この場所は、暖かいに違いない。
猫にとっての湯たんぽだ。
最初はこちらの気配に反応していたけれど、
近頃は平気でグウグウ眠っている。
これからグッと寒くなるから、
ここでしっかり暖まっておいで。



追記:
結局、今日は湯たんぽでは温まりきれず、
背中にカイロを貼り、市販の風邪薬を飲みました。
湯たんぽは礼賛しますが、
万能というわけではありません。
残念!








私を雪山から救助してくれるものは



2012年11月3日(土)

あぁ、なんということだろう。
ひと月前まで、あんなに暑かったのに、
今日などはダウンコートを着たいぐらいに寒い。

「夏と冬とどちらが好き?」

私は永い間、「断然夏!」と答えてきた。
なにせ、寒いのが苦手である。
寒いと、身体が固まる。
思考も固まる。
何もしたくなくなる。
そして、眠くなる。
そう、熊やカエルと同じモードに入るのである。
それが、だいたい11月から始まって、
次の年の4月いっぱいは続く。
だから、一年のうち6ヶ月はぼーっとしていることになる。
時には、6月の梅雨寒の時も寒がる。
コートをしまうのは、7月に入ってからだ。

そして、いつもなら猛暑もなんのそので過ごし、
また11月に入って、「寒い寒い」と言い出すのである。

ところが、今年はその猛暑に耐えられなかった。
猛暑の方もバージョンアップして酷暑になったが、
それ以上にこちらの体力が落ちてきた。
そうなると、8月から9月も好きではいられない。

「夏と冬とどちらが好き?」
今年は、どちらも大嫌いだ。

なんとしよう。
機嫌よく過ごせるのが、5月と10月だけになってしまった。
そんなぁ。
一年に2ヶ月しか調子よくないなんて、どうしよう。
それは短すぎる。
この先生きる年数がどんどん少なくなるのに、
10ヶ月もぼーっとしてはいられない。

これは、とにかく寒い冬をなんとかしなければならない。

体温を上げるといいと聞いた。
体温を上げれば、血圧も上がるかもしれない。
そうすれば、眠くなくなる。
そうだ、体温を上げよう。
さて、どうしたら上がるのか。

『生姜』がいいと聞いた。
身体にすごく良いらしい。
手に入れるのも楽だ。
嫌いじゃないし。
そうだ。今年は『生姜』だ。
生姜を集中的に摂ってみよう。
生姜焼き、湯豆腐に生姜のすりおろし、生姜紅茶、、、
あと何があるだろう。
とにかく生姜。なんでも生姜。
そうして、体温を上げることに専念しよう。

そして、せめて冬眠モードに入るのは、
12月から3月の4ヶ月に縮めたい。
いや、目標は高く、1月と2月の二か月間だけ。
お正月とバレンタインは、どうでもいい。
他のみなさんが楽しんでくだされば、私は幸せ。
私の一年は、3月に始まり、11月で締める。
そう、そういうふうにしよう。

私は明日から、生姜女に生まれ変わり、
「あ~、暑いわ~。暖房消してよ~」といえる女になります。

と、これを書きながらも、寒さに背中を丸め、
ううつらうつらしている。
「だめだ! 寝ちゃだめだ! 目を開けろ!」
雪山ので遭難している気分だ。
生姜さん。
あなたは、本当に私を救助してくれますか。

ショウガの絵 ウィキペディアより





2013春夏 シルクカシミヤ平織ストール #4



2012年11月2日(金)

10月のとても気持ちの良いある日、
秦糸染工場でharukiiのシルクカシミヤのストールを染めるところを
見せて頂いた。

いつものように、気持よく掃除された工場内。

今日染めて下さるのは、Marron(マロン)。
栗色のような色だ。
それをぼかし染めにする。
秦さんは、写真を撮りたいという私のリクエストのために、
事前に地染めをしていて下さった。
そして、これから濃い栗色を染める。
染めたくないところは、白い紐でしっかりと縛ってあり、
栗色の染液が浸み込まないようにしてある。

 染液の温度を上げながら、手でストールを浸していく。

 何度も上げたり、
 下したり、を繰り返す。

途中、頃合を見計らって、
更に染液を足し、濃い色に染める。
染液の色は、黒に近くなった。
 再び上げたり、
 下したり、を繰り返す。
どうだろう。しっかり染まっているだろうか。
 染まり具合をちょっと見てみる。
染液の温度が上がってきたので、
ちょっと素手で扱えなくなってきた。
 ワイヤーに吊り下げ、
 コントローラーで上げ下げする。
 染液の温度は100℃に近い。
あ、秦さん、いつの間にか眼鏡を外した。
そう、湯気で曇って見えないからね。
 そろそろ染まっただろうか。
 ちょっとだけ端を切って、水に晒し、
ティッシュに包んで、ぎゅっと絞ってみる。
ティッシュに色が付かない。
これは、染料が完全に繊維の中に入り込んだ証拠。
やっと染めあがった。
そして、黒に近かった染液は、薄口しょうゆのお吸い物のように
薄くなっている。
 染液から上げたばかりのストールを水に浸す。
 そして、じゃぶじゃぶ洗う。
 ずっと腰を曲げたままの状態で、作業が続く。
 さぁ、やっと余分な色が落ちたかな。
ここからがお楽しみ。
白い紐を解いて、ぼかし具合を見る。
秦さん、ちょっとワクワクしている。
 さぁ、どうなったか。
紐を解いて、再びじゃぶじゃぶ。
余分な染液を完全に落す。
 洗い終わったら、遠心分離機のような脱水機にかけて、
一気に脱水。
 ここから水が出なくなるまで、しっかり絞る。
 さぁ、できましたよ。
 まだ湿っているストールを持って、秦さんが表に出る。
ぱーっと開いて見せてくれた。
あ、しっかりと染まってる。
面白い染め分け。
これは、秦さんのセンス。
一枚一枚、染具合が変わる。



明るい光の中で、Marronを広げてもらった。
すごくモダンな柄になった。

秦さん、渾身の出来。

三代目の彼は、お父さんがやっていなかった生地染を自分で始めた。
染料や薬剤の種類、そし分量、そして入れるタイミング、
それに染液の温度や染時間など、
いままでいろいろなことを試行錯誤して、
その末に、ここまで辿り着いだのだという。

そんな秦さんの手で、こうやって一枚一枚、ストールが染められていく。
世界に一枚だけの手染めのストール。
温かさと柔らかさ、
そして味のある染具合は、手染めならではのものだ。


◆こちらの商品は、【harukii オンラインショップ】で購入できます。
 L、S、XSの3サイズそろえております。
 また、他にも色違いがございます。