2012年11月24日(土)
揺れた。
6時ちょうどに、かなりしっかりと揺れた。
あ、大きいと思った。
木造の築三十数年という家の、二階は、
他の家より揺れたのかもしれない。
揺れはすぐおさまり、
「あぁ、大きくならずによかった」と思った。
阪神や新潟や東北の地震を体験した方々は、
少しの揺れでも怖いだろう。
こんなはっきりした揺れの時は、どんなに怖いだろう。
これぐらいの揺れで、どこかで被害が出ているのだろうか。
電車が止まったり、停電になったりしているのだろうか。
植木鉢が落ちたり、ランプが倒れたりして、
だれかが怪我をしているのだろうか。
地面や海の深いところで、
地球がどうしても我慢ならずに、伸びをする。
その姿勢を保っているともっと具合が悪くなるから、
首の筋を伸ばすように、腰を少し回すように、
地球はその姿勢を調整する。
それが、私たちの済む地上に大きな揺れとなって伝わる。
たまたま日本はその姿勢の調整をする位置の上や近くにあるらしい。
というより、その調整を繰り返しながら、
日本という国土が出来上がった。
そして、私たちは、たまたまその土地に生まれ、暮らしている。
たまたまであるが、こういう風に考えると、
なぜかそうあるべくしてある。
生まれるべくして生まれた、
選んで生まれてきた、という気にもなってくる。
地震があるたびに、
何ごとも、揺れないものはない、ということを実感する。
どっしりと動かない、安定して決して揺らがない、というものは、
この世の中にはないのだ。
安心して寄りかかった木も、岩も、山も、大地も
すべてが揺れる。
粉のような人間が揺れ続けるのは、当たり前だなと思う。
揺れることに文句を言ってもしょうがない。
揺れることは自然なのだ。
揺れることは当たり前なのだ。
揺れることを畏れてはいけないのだ。
近くの通りを救急車が二台続けて走って行った。
大事に至らなければいいがと祈る。
外に出て見上げた月は、くっきりと明るかった。
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