2012年8月20日(月)
友人から和菓子を頂いた。
昭和を感じさせる、橙色の包装紙。
えび茶色の紐。十字掛け。
紐を解くときに気が付いた。
蝶結びだと思ったが、固結びだった。
その結び目のところだけ、平たい紐を二重にしてある。
ちょっと着流しの角帯の結びを思わせる。
解きにくいかと思われたが、案外簡単に解けた。
橙色の包装紙には接着テープは使っていない。
箱は蓋と身が分かれる、旧来の形。
紙は分厚く、しっかりしている。
蓋には熨斗紙の代わりに、
篆書で「真心」と大きく印刷された紙が掛けられている。
ここにもテープを使っていない。
蓋を開けると、秋の草花をあしらった、丸くて美しいお菓子が並んでいた。
紐を解いてからお菓子に手が届くまで、
何秒だっただろう。
さらさらと帯を解き、着物を脱ぎ、という感じで、
あっという間に中身が出てきた。
テープを剥がす必要がないだけで、すごく気分が軽くなる。
和菓子の包みを開けるほんの数秒間。
私は日本の文化をたっぷり味わった。
それは、包装の意匠ではなく、そこにかかっている人の手わざと時間の短さだ。
私は想像する。
友人がガラスケースの中のお菓子を指さし、数を伝えて注文する。
中の売り子さんは、「これですね」と確認し、
その数を取り出す。
ここから、一連の流れるような動作が始まる。
後ろの棚からそのボリュームに合った箱を取りだし、
蓋を開け、和菓子を詰める。
蓋を閉じる時に、熨斗紙代わりの紙を蓋だけに巻いて、閉じる。
「真心」という文字は、蓋の真ん中に来る。
紙もまっすぐ。
橙色の包装紙を手に取り、箱を包む。
紙が箱にまっすぐに沿うように、
余分な隙間を全く作らないように、
実は足や腰もしっかり踏ん張って、
指先と手のひら全体で、箱と紙をなぞっていく。
包んだ紙が箱から離れないように片手で軽く押さえながら、
海老茶色のテープに手を伸ばす。
いつもと同じように手を動かせば、紐はよじれずにピタッと十字にかかる。
橙色の包装紙は、箱をしっかり包んでいる。
最後に片側だけ紐の端を二重にし、
指先に少しだけ力を入れて、きゅっと固結びにする。
そしていつもの場所にある鋏を手に取り、紐をぱちんと切る。
紐の結び目は、縦横とも真ん中に来ている。
遊びも緩みもない。
出来あがった箱をもって、振り返る。
「お待たせいたしました。」
動きに悩みも逡巡もないこと、
無駄がないこと、
素早いこと、正確なこと。
このすべてが、結び目を見ただけで感じられる。
緩みのない包装紙を見ただけでわかる。
なんて気持ちがいいんだろう。
意匠の斬新さや目新しさは全くなく、本当に単純な包みと結び。
それだけなのに、このキリっとした仕上がりは
清涼な風を運んでくる。
夏のダレた心と体に、清々しい。
「包む」と「結ぶ」という基本的な動作でも
日本人は徹底して「正しさ」という美を求める。
そして、その正しい美によって、
贈り物に込められた誠意が、無言で受け手に伝えられる。
和菓子の包みを解くだけで、こんなに幸せになれるなんて。
やっぱり日本に生まれて、よかったぁと
美味しいお菓子を頂きながら、
しみじみと思う蝉しぐれの午後であった。
しみじみと思う蝉しぐれの午後であった。
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