ちょうどいい



2012年8月23日(木)

物欲があまりないほうだ、と思っている。
そもそも、むかしからあんまり物に執着がない。
幼いころ、いやかなり大きくなってからも
姉と「貸す、貸さない」で良く大ゲンカしたが、
それは、物への執着ではなく、
互いの領有権を断りなく侵害した、ということへの
腹立たしさにすぎない。

一度、大好きだった「ネコちゃん」のアップリケが付いた
デニム地の手提げを、母の旅行に貸してあげたら、
途中で知らない人にあげてしまって、戻ってこなかった。
その時は、泣いて喚いて、悪態をついて、
大騒ぎしたことを覚えている。
良く考えてみれば、「私に断わりもなく」という一点で
悔しくて怒ったのかもしれない。

ものへの執着と言えば、その一つしか覚えていない。
だから、今ここに、小学生のころから失くさずに持っている
白檀の扇子を改めて見ると、
なぜ失くさなかったのか、不思議だ。





どういう経緯で私の手元にあるのか、全く覚えていない。
サイズもデザインも、完全に大人仕様。
むせるような、強い香り。
当たり前だが、全く子供の持つような代物ではなかった。
幼い私は、大切にしなければいけないもの、
大人になってから使うもの、と決め込んだのだろう。
いつも身近な、どこかにあった。

時々夏になると出してみて、バッグに忍ばせてみる。
だけどそのたびに、「まだ似合わない」と思っていた。

やっとこの扇子を持ってもおかしくない歳になった。
香りはほとんど抜け、最初ついていた房飾りもどこかへ行ってしまった。
ところどころ欠けているし、汚れてもいる。
色もきっとかなり焼けてしまっているのだろう。
それでも、広げて風を送ると、
白檀のほのかな香りがする。
暑苦しい夏には、これくらいの香りがちょうどいい。

子供に与えたくらいだから、決して高級品ではないだろう。
しかし、今の私にはちょうどいい。
きっと、だから無くならないで手元にあるのだろう。
これからも、ずっと使うのだろう。

どこかで扇子屋さんを見つけたら、ちょっとお色直しに出してみようか。
絹のリボンを換えて、綺麗な新しい房など付けて。

いや、この古びて味の出た木肌には、
新しい房は、きっと気恥ずかしい。
このまま、何も変えないで、使っていこう。
きっと、このままが、ずっといつまでも、ちょうどいい。





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