潤い



2012年8月1日(水) 6:00 日本時間

昨日の夕方、東京に戻ってきた。

成田から都内に戻る車窓から見える風景は
むせるような緑、緑、緑。
いつもこのとき思うのは、日本は水の国だということ。

これ、春や夏だけではない。
葉がすっかり落ちてしまっている季節でも、そう思う。
成田空港から出た途端、
あ、潤っている、と感じるのだ。
この安心感は、何にも代えがたい。

潤うと安心する、というのは、人間の生理なのか
それとも、日本に生まれ育ったからなのかは、分からない。
しかし、今回ニューヨークに9日間滞在し
一番恋しかったのが、
この空気の潤いだった。
いや、空気だけではないかもしれない。

ニューヨークは暑いといっても、空気は日本よりよっぽど乾いている。
日陰に入れば、体感温度はずっと低くなる。
そして、町全体が石でできている。
古い建物も石やレンガ。
新しい建物はコンクリートとガラス。
緑が育つ余地がない。
雑草も苔も生えていない。

人は渇きを癒しに、公園に集まる。
公園には大きな樹が茂り、芝生が敷かれ、
噴水からは水がふんだんに噴出している。

しかし、それらはすべて人工的に作られたものである。
街の中にそれらは自然に存在できないのだ。

展示会が終わった後、
ストール作りの参考にするため、
街や人を見続けた。
ニューヨークの人たちは、
衣服の色や素材にも、潤いを求めている気がした。
原色に近い赤、黄、青。
乾いた石やコンクリートにの中で、はっきりとその存在を主張するような色を選ぶ。
素材も、柔らかく、肌にまとわりつくように。
それは潤いを渇望しながら、街全体と闘っているようにも見える。

街行く人の歩く速度は、昔と比べてかなりゆっくりになったけれど、
その表情も少し穏やかになったけれど、
そこから発されるものは、強い。


同じようにビルが立ち並ぶ東京。
街ゆく人が選ぶ色や素材は、世界の流行に沿っているとはいえ、
自然の緑、水に溶け込む色や素材を選んでいる。
街と闘う必要はない。
身を護る必要もない。

私がもし25年前に渇望した通り
ニューヨークに住み続けていたとしたら、
どうなっていただろう。

いや、きっと住めなかった。
だから、日本にすぐに帰ってきたのだ。


もし人が生まれ変わるということがあるのなら、
私は過去に、ニューヨークに住んでいたことがある気がする。
それほど、街に違和感はない。
しかし、その人生を楽しんでいたかどうかは、今になると疑問だ。
きっとニューヨークの生活とは違うものを、今回の人生で体験したかったのだと思う。
そして、日本を選んだのだ。
潤いであふれている日本を選んだのだ。
今は、そんな気がしてならない。

日本はこの数日間、
昼間は焼けつくような日差しと湿度の高さだと聞いた。
それを思うとちょっと憂鬱になる。
暑くて夜中に目が覚めて、冷房をつけた。
朝起きて、窓を開けたら、すでに気温は高くなっている。
もう一度冷房のスイッチを入れようとして、やめた。
この湿った空気をやっと味わえるのだから。
東京に帰ってきた。




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