志村ふくみさん



2012年8月15日(水)

古い友人から、本が送られてきた。
いつもたま~に、本を送ってくれる。
志村ふくみさんのことが書いてあったから。」
志村さんのことが書かれてあると、
私を思い出してくれるらしい。

ずいぶん昔、私が生地に興味を持ち始めたころ、
その作り方自体を学ぼうと、一年ほど機織りを習ったことがある。
糸から自分で染めて、着物の生地を織るのである。
絹糸には生糸(きいと)と紬糸(つむぎいと)があり、
生糸からは灰汁でセリシンを取り、
洗液を作って、糸を染めて洗って染めて洗って、
媒染剤で色を固着させ、糊を付けて、、、

生地づくりの基礎を、ここで学んだ。
この時の私は植物染色に魅入られていた。
そして、そこに興味を持つ人は誰でもが憧れる
人間国宝の志村ふくみさんを
当然ながら崇拝した。

本を読み、展示会に行き、講演を聞き、
また本を読み。
挙句に、場所も知らないのに、
嵯峨の工房の近くまで行って、うろついた。
ファンと言っていただければ良いが
こう書くとストーカーに似ている。
そう、志村さんにのめりこんだ時代があったのだ。

そのおかげで、自分の世界が広まった。
日本の工芸にも興味が出たし、
生花も習ったし、
伝統芸能についても、すこ~しだけ齧った。
ご多聞に漏れず、白洲正子さんにものめり込んだ。
ああ、あれはバブルの時代だったか。

元来が熱しやすく冷めやすいので
一気に広がったゲイジュツの世界も
広がるだけで深まることなしに
浅い色のまま私の中に定着した。

手織りを習った後、
私は無謀にも、繊維の仕事に就こうと決心してしまった。
そして、手織り教室を辞め、
テキスタイルの専門学校の夜間教室に通い始めた。

そこからは、五里霧中であったが、
なんとか繊維業界に入ることだけを思い続け、
時間をかけ、紆余曲折を経て、
今、こうしてここにいる。


繊維の仕事に就いてから、
ゲイジュツとはかけ離れた現実の世界で
あれやこれやを沢山学んだ。
原価、マーケット、在庫、予算、売上。
数字に囲まれ、納期に迫られ、
組織の一員として、猛スピードで自転していた。
志村さんは、遠い世界の人になっていた。

いつか染めようと思って冷凍保存してあったクサギの実は
とっくの昔に捨ててしまった。
母が集めてくれていた大量の玉葱の皮は
とても美しい黄金色に染まるのに、
全く使うこともなく、段ボール箱に放り込まれて、どこかに放置されている。
手織り時代に揃えた道具や糸は
長い間陽の光を浴びずに、押し入れに眠っている。
今もまだ、あのころのように芸術にどっぷり浸る余裕がない。


送られてきた本を読む。
志村さんの個所。
もう、88歳。
すごい。
まだまだ現役で、神秘的な生地を織っておられる。
その言葉一つ一つに、色と格闘してきた人の謙虚さが表れる。
巨人だ。

振り返ってみれば、
バブル経済のころと私が志村さんに出会ったころは
ぴったりと重なる。
志村さんの世界に触れることで
本当に広大な世界を見せてもらった。
そして、世の中も贅沢な美しいものをたくさん見せてくれた。
みながこぞって、美しいものを作り出し、紹介し合っていた。

あの時代、多くのことを見て、触れて、感じたのだと、
今になって分かる。
狂騒的な好景気の真っただ中にいたから得られたもの。
その時私の身体に沁み込んだものが
しっかりと私の中で定着した。
そして、長い間かけて熟成されている。
だから、こうやって今再び跳躍することができる。
その時は気づかなかったが、
すごい財産をもらっていた。

志村さんの個展を見に行ったときに
袱紗を一枚購入した。
着物なんてとんでもないが、袱紗なら買える。
バブルだったし、生活に無責任だった。
あの袱紗、どこに仕舞っただろう。
この家の、どこかにあるはず。
また原点に戻りたい。

もう一度志村さんの本を読み返してみようか。
今の私なら、あの時と全く違った感想を持つだろう。
どんな想いで読むのか。
いや、あのころのようにすらすら読み進めないかもしれない。
多分読めない。
きっと一文一文読み、感じ、打ちのめされてまた進む。
そんなふうに読むのだろう。
そんな自分に会うのも、いいだろう。
そう、いいだろう。




志村ふくみさんと娘の志村洋子さんが運営する「都機(つき)工房」のウェブサイトは、
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