大島渚監督



2013年1月18日(金)

「『愛のコリーダ』ってなんだ?」
父が唐突に聞いてきた。

家ではほとんど一日中テレビがつけっぱなしになっている。
昨日はどのチャンネルでも、大島渚監督の訃報を流していた。
それで、『愛のコリーダ』と何度も耳にしたのだろう。

「映画の題名。」
「コリーダってなんだ?」
父はかぶせて聞いてくる。
「しらない。」
傍にiPhoneがあったから、いつものようにウェブで調べることもできたが、
『コリーダ』は調べなくてもいいと思った。

更に何か聞かれると困るので、
そそくさとストーブの石油を補充しに行ってしまった。

【愛のコリーダ】は、ニューヨークで見た。
たしか、【愛の亡霊】との二本立てか、二週続けて見たのだったか。
確かヴィレッジという地区の小さな映画館で上映したと思う。

ニューヨークに一年足らず滞在した。
私は二十代だった。
そのころ、【愛のコリーダ】と【ピンク・フラミンゴ】は
見るなら絶対海外で、と思っていた。
※【ピンク・フラミンゴ】は大島監督の作品ではありません。

若かった私は、この二つはどうしても見ておかなければならない、と思った。
よくストーリーは知らなかったが
なんとなく評判だけは知っていて、
若いうちに、できるだけ早く見なければ、と
なぜか思っていた。

その後、随分経って。
東京の下北沢という町に短編映画だけを上映する
『トリウッド』という映画館ができ、
そこで大島監督の初期の短編映画の特集を見た。
なんとなく覚えているのは、
【明日の太陽】と【ユンボギの日記】。
【明日の太陽】では、すごく若い十朱幸代が、可愛らしかった。
【ユンボギの日記】は、当時芸能人のようにテレビに出ていた大島監督が、
若い頃、こんなにシリアスで胸の詰まるような、
それも実験的な短編映画を撮っていたことが、
どうしても重ならなかった。

テレビや新聞では、いろいろな恐ろしい事件を喧しく、
時に過剰に、興味本位で報道している。
---それは、当事者にしかわからない
---表には浮かび上がらない事情が双方にあるはず
---当事者を責める、裁くことはできない。できるのは、起こったことを憎むだけ
という考えを、若いころから持つようになったのは、
大島映画の影響も幾分あるに違いない。



私と大島渚監督との間には、とてつもなく大きな距離があるが、
たった4本ぐらいの映画を見ただけで、
なんとなく、どこかですれ違った、という感じもしている。

サウンドトラックのカセットテープを買って、
音が伸びるまで聞いた【戦場のメリークリスマス】。
いつか映画を見るのだろうか。

そういえば、去年の6月頃、
harukiiのために自分で最初に作ったイメージマップ。
いろいろな雑誌から、ブランドのイメージに合うだろという写真を選んで、
切り貼りした。
その中に、大島監督が真っ赤なストールを巻いた写真があった。
harukiiのストールも巻いてほしかったと思う。

photo by ホンマタカシ (C)SWITCH


ご冥福をお祈りいたします。
合掌。


※『コリーダ』とは、闘牛という意味のスペイン語(=corrida)だそうです。

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