イチロー



2012年12月29日(土)

見てしまった。
イチローのドキュメンタリー番組。
これまでなんとなく遠ざけていた。
イチローに関すること。

とてもストイックで、自分に厳しいアスリート。
どんなアスリートでも、そういうものなのだが、
イチローには、特別にそれを強く感じる。
だから、イチローの生き方を目の当たりにすると、
気の弱い私は、気が滅入ってしまう。
去年までの私だったら、寝込んでしまうだろう。

でも、やはり気になる。
そして、今日は最初から最後まで見てしまった。

求道者ともいわれるイチローの生き方は、
7年前に見た番組の中でのイチローと、少し違っていた気がする。
イチローも変わっていたし、私も変わっていただろう。
気が滅入ることもなく、
彼の言葉や表情から目をそらすこともなく、
番組を見終えた。


最近知った言葉に、
『魂年齢』という言葉がある。
肉体年齢とは別に、個々の魂が持つ年齢。
20代で100歳以上の人もいれば、
70代で16歳ぐらい、という人もいるそうだ。
魂年齢は、歳を取らない。
ある程度の年齢で、止まってしまうそうだ。
精神年齢とは違う。
人間としての成熟、未成熟度、というのは違うらしい。

画面の中のイチローを見ていて、
「ああ、この人は、きっとまだ中学生ぐらいなのだろう」と思った。
本当に魂年齢というのがあるとするなら、
イチローはお爺さんになっても、中学生のままでいるような気がする。
魂が若いままなのだ。
そして、いつまでも若芽のように
ぐんぐん伸びようとするエネルギーに溢れているのだ。

以前イチローを見て落ち込んでいた私は、
無意識のうちに自分と比べて、
随分と年若いイチローのすごさに圧倒され、
そして時分を卑下していたことに気付く。
そんな必要は全くなく、比べる対象でもないのに、
勝手に比べて、勝手に落ち込んでいた。

でも、魂年齢という考え方を導入すれば、
自分の生き方や成長の速度とイチローのそれとを比較する必要がない、
ということが、すんなり納得できる。
腑に落ちる。
魂の質がまったく違うのだから、
比べるなんてナンセンスである。

そう考えながら見ていたせいか、
今日番組を見終わって、私が抱いた感想は、とても心地よかった。
「あぁ、イチローは綺麗な若者だ。」

ただ、彼の毎日の生活は、職人と同じだ。
同じことをこつこつと積み重ねていく。
遠回りはしない。
そして、同じように見えて、実は少しずつ工夫を加え、
より高い理想を追い続け、
いつのまにか壁を乗り越え、
次の壁を目指す。

私は職人ではないが、職人と仕事をしている。
そして、職人との仕事の仕方にも、
似たものを見出す。

以前イチローを見たときには、
自分の生活と重ね合わせてみる余裕がなかった。
でも、今日はそれができた。
そして、やはり今やっていることをこつこつと続けていこうと、
柔らかい勇気をもらった。

『魂年齢』
便利な概念だと思う。
これからどんどん使っていこう。
さて、私の魂は、いったい何歳なのだろうか。
それが分かったら、いままで疑問に思っていたことが、
なんとなく納得できるような気がする。





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