2012年12月28日(金)
おお、そう来たか。
湯たんぽのお湯を入れ替えようと、階段を降りている途中、
父が私を呼ぶ声が聞こえた。
「なあに?」
顔を出すと、さっき寝付いたと思った父が、
床の上に半身を起している。
「メガホンを作る紙をくれ。」
「・・・・・」
足腰がめっきり弱くなった父は、
ストーブを付けたり、かゆみ止めを塗ったりと
自分の用事をするためにいちいち起き上がるのが
とても億劫になっている。
トイレに行くのでさえ、一仕事だ。
だから、細かい用事を何でも誰かに言いつけたい。
いつもは近くにいる母を呼ぶ。
「おーい、おーい。」
母は24時間、夜中でもなんでも、いつでも呼ばれている。
台所にいても、お風呂に入っていても、
寝ていても、呼ばれる。
台所で水を流していると、聞こえない。
お風呂で居眠りをしていても、聞こえない。
あんまり呼ばれるので、
聞こえていても、時々聞こえないふりをする。
そうすると、今度は私を呼ぶ。
できるだけ対応するが、私も時々聞こえないふりをする。
そこで、確実に自分の声が誰かに届くように、
父が思いついたのが、『メガホン』。
丁度さっき切り取ったばかりの、2013年カレンダーの表紙がある。
これなら、丈夫で適当な大きさだ。
紙を持っていく途中、「メガホン作るんだって」と母に囁いた。
母はぷぷっと吹いた。
「聞こえないわよ。」
父に紙を渡すと、上手にくるくる丸め、
丁度いい具合にメガホンを作り上げた。
「ちょっとやってみて。お流しやってるお母さんが聞こえるかどうか。」
私も少し楽しんでいる。
「おーい、おーい。」
確かに、メガホンを通した声の方が大きい。
さっそく母のもとに確認に行く。
「聞こえた?」
「聞こえない。」
母は、洗い物の手を休めない。
「聞こえないんだって。もっと大きな声出さないと。」
父も力を入れる。
「おーーーい、おーーーい!」
「聞こえた?」
「聞こえない。聞こえていても、聞こえない。
お流しやっている時は、聞こえない。」
そうか。
それじゃぁ、聞こえない。
でも、母のコメントは父には伝えない。
せっかく作ったメガホンだ。
しばらく大きな声を出して使ってもらおう。
「あの時あの一言を聞いてあげればよかったと、今でも後悔している。」
こういう言葉を何度か聞いたことがある。
亡くなる直前に頼まれた些細なこと。
やろうと思えばできたのに、
忙しくて、または面倒くさくて聞いてあげなかった。
それが、いつまでも後悔として胸に刺さっている。
それは、さぞかし辛いだろうな、と思う。
もし今父が「背中を掻いてくれ」と頼んでくるのを無視したら、
一生後悔することになるかもしれない、と思わないでもない。
でも、でも。
私は今から決めている。
「そういう後悔はしない。」
後悔しないために何でも言うことを聞いてあげる、というのではない。
その逆で、用事を言いつけられて、
それがもし父が最後に発した言葉になったとしても、
それを無碍にしたことで、私は後悔することはしないでおこう、という
きわめて健康的な決心である。
「それを聞かずに、自分の用事を優先したことが、
その時、その場面で、最高の選択」
それは正しいと思っている。
その他の選択はなかったのである。
「あれをあの時やってあげれば、、、」どうなったわけでもない。
取った行動が一番正しい。
お風呂に入る。
冷えた体を温めて、身も心もリラックスし、居眠りさえしたくなる。
そんな時に、「おーい、おーい。痒いんだ。何とかしてくれ」と呼ばれたとする。
自分の快楽と、父の快楽。
どちらが大切かと言えば、自分だ。
今は自分を楽しませるべき時間だ。
もしそれが、「おーい、おーい、息苦しいんだ、死にそうなんだ」という声だったとしても、
結果として、自分の快楽を優先した自分は、正しい。
そのときは、それをしなければいけないのだ。
もし『胸騒ぎ』というものがすれば、
自分の快楽を中断して、父の元に行けばよいだけの話である。
その『胸騒ぎ』を感じるか感じないかは、
もうカミノミゾシル領域である。
それにだ。
先に逝くのは父と決まっているわけではない。
今この瞬間何かが起こって、私の方が明日の朝には
閻魔さまの前で、極楽か地獄かの宣告を受けているかもしれない。
自分の方が先に逝くようなことがあれば、
この瞬間の快楽が、己のラスト快楽となる。
それは、もう「生まれてよかったこの人生」の最高の幕引きとなる。
そのためにも、自分のことは常にシアワセにしておかなければならない。
何の根拠もないが、雲の上に行ってしまった人たちも、
私の意見に賛成してくれる気がする。
「そうなのよ。あの時あの子は用事を聞いてくれなかったけれど、
そんなに気に病むことじゃないのよ。
でも、それを今はもう伝えることができなくて、困っちゃってて。
あんなに自分を責める必要なんて、な~んにもないのにね。
あはは。」
そんな感じだと思う。
私は
【あの時あの一言を聞いてあげればよかったとは思わなくていいのだ同盟】
を作りたい。
もしその会員になる人が10名いたら、
きっとその同数の人(霊魂?)が雲の上で会員になってくれるだろう。
だから、いつも倍の会員数になる。
きっと、見る見るうちに会員数は膨れ上がる。
特典も例会も規範も何にもないけれど、
なかなか良い会ではないだろうか。
父が、作ったばかりのメガホンで、
私の名前を連呼している。
「おーい、いいお湯かぁ? 死んでないか?」
私は、なんだか湯船から急いで出て、
「ちゃんと聞こえたよ」と言ってあげたくなった。
地獄と極楽のシステムを詳しくお知りになりたい方は、
こちらをどうぞ。
とても分かりやすく説明されています。 〉〉〉
★音が出ますから、お気を付けください。
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