恩師



2013年3月4日(月)

今日から、また新しいフェーズに入った。

*フェーズ = phase 段階、局面

恩師が亡くなった。
正確には、恩師ではない。
以前勤務していた会社の上司だ。
でも、私の中ではどうしても恩師という感がぬぐえない。

とても尊敬する方だった。
職を離れ、上司と部下という関係ではなくなった後も、
時折会っていただき、
その時々の報告をし、自分の位置を確認してきた。
そしてまた、その方も
ご自分が今何をし、どんな考えで行動されているかを、
さりげなく、ユーモアを交えて、話して下さった。

私がその師から教えて頂いたのは、仕事ではない。
仕事の仕方を具体的に教えて頂いたことはない。
その方は、シンクタンクの理事で、研究員。
私はアシスタントという立場。
あまりにも仕事が忙しく、お一人では仕事が回っていかない。
さりとて、社内の事務職の女性は、数人の研究員の事務作業を担当していたため、
研究に関する作業の手伝いは頼めない。
そこで、与えられたご自身の予算の中で、アシスタントの費用をねん出し、
雇って下さったいた。
もちろん、業績が素晴らしかったので、その費用は無理なく賄えたし、
アシスタントが一人では足りないくらいの仕事の量を抱えていらした。

とにかく、やらなければならない作業を、こなしてこなして。
いちいち私に仕事の仕方を教えている暇などない。
それでも、ご自分がやりよいように、
自然に私を馴らしていかれた。
私には教えて頂いた、という記憶は残っていない。
ただ、息が合ってきた、という記憶のみである。

それでも師と思うのは、
そのそばで、仕事ぶりを拝見しながら、
人との接し方、問題の解決の仕方、信念の通し方など、
多くのことを学ばせて頂いたからだ。

闘う男、佐久田昌治。
そんなキャッチフレーズが似合う人だった。
理不尽な要求には屈せず、先頭に立って組織を動かした。
もちろん、かかえるプロジェクトはどれもリーダー。
そして、どのプロジェクトも、最終的な締めも、ご自身でしっかりとなさった。
お客様から信頼を受け、同じところから継続的に
調査、報告、コンサルティングの依頼が来た。

理事に与えられている個室は、いつもドアを開けっ放しにされていた。
研究員が一人入ってくる。
「ちょっといいですか?」
「はいはい。いいですよ。どうしました?」
「昨日やったヒアリングで、こんな案件が出ましてね。。。」
どんな仕事をしていても、そこで作業はストップし、
身体と頭は完全にその研究員の方に向いている。

別の日。
「佐久田さん。昨日のG戦は見ました?」
「いや、見ましたよ。あればひどいね。」
同じである。完全に作業と脳みそをストップし、
スポーツ新聞を片手に入ってきた研究員の方に向き直っている。

この開け放たれた扉から、研究員がひっきりなしに入ってくる。
その度に思考と作業は中断し、ご自身の仕事は後に後にずれていく。
もちろん、私もそれにお付き合いし、
難しい研究の話やらG戦の勝敗を聞いている。

伺ったことがある。
「いつも100%受け入れていらっしゃいますが、
どうして『今忙しいからダメ』とお断りにならないのですか?」
ご自身とともに私も残業になり、週末も出勤ということが多くなり、
かなり疲れが溜まっていたころだと思う。
「そうですね~。だめって言った方がいいですよね~。」
私の質問にさえ、だめはおっしゃらない。
そして、その後も扉は開け放ったままだった。

今思えば、どんな情報も脳内の巨大な貯蔵庫にしまわれ、
必要なときに取り出せるようになっていた。
扉は心の扉でもあり、脳内貯蔵庫の扉でもあった。

開かれた男、佐久田昌治。

佐久田さんは【モーニング娘。】が全盛期の頃に
仕事をさせて頂いた。
それ以来、今までお互いのメールには必ず、「佐久田。さま」「高橋。さん」と
【。】を付けることを忘れなかった。
歌がお上手で、車の中では若者の歌もきっちりと練習なさった。
お気に入りは聖子ちゃんである。

ノリのいいオジサマ、佐久田昌治。


週末に行われた通夜、告別式には、年上の方から大学生まで、
とても多くの方が参列された。
そしてどの方もみな、心から悲しんでおられた。
若い方には、大きな心の支えを無くし、
亡くなったことをどのように受け入れればよいかわからず、
呆然とされている方も見受けられた。

ああ、こんなに多くの方の面倒を見てこられたのだ。
開きっぱなしの心と脳は、情報を受けるだけではなく、
情報と愛情を出して出して出しまくっていたのだ。

もう冷たくなったお顔を拝見し、
まったく不謹慎にも「お若い」と思ってしまった。
妙な言い方だが「やる気の漲った死に顔」。
私にはそう思えて仕方がなかった。

知の宝庫、エネルギーの塊であった佐久田さんは、
もうこんなに多くの人に一人一人対応しているのがまどろっこしくなったのだろう。
くだらないルールや価値観に縛られることなく、
ご自分の知能と魂をさらに高度な場所で役立てるため、
現生にはさっさと別れを告げられたのだ。

「私は次のフェーズに参ります。
長く闘病しているのも無駄ですからね。
お先に失礼。
これから先、あなたたちは、自分で考えてください。
私は必要なときは、いつでも教えてあげますよ。
でも、今までのように分かりやすいやり方ではありません。
そう、今までのようなやり方だと、
皆さん笊のようにザーザーとりこぼしてしまいますからね。」

「いつも私は惜しみなく教えますよ。
それを受け取るかどうかは、あなた次第ですからね。
頑張って下さいよ。
私はこっちで、もっと高みに昇りますからね。
扉は、開いたままにしておきますよ。」

「それからね、ユーモアはどんなときにも必要ですよ。
ユーモアを忘れたら、付き合いませんよ。」

佐久田さんが急に次のフェーズに移られたので、
私も急にその対応に迫られることになった。
もうメールで返事は返ってこない。
大学院の研究室に伺うこともできない。
私は常に心の中で問いかけるだろう。
「佐久田。さん。これで合っていますか?」
答はいつもきまっている。
「イイですね~。いいと思いますよ。私も元気が出ますよ。」
こういう答えが戻ってくることだけやればいいのだ。
「佐久田。さん。これで合っていますよね?」

私は佐久田さんが仕事のやり方を教える対象ではなかったが、
勝手にいろいろ学ばせて頂いた。
とても幸運なことだったのだと、
今あらためて感謝している。

佐久田。さん。
有難うございました。
そして、これからも、ますますお世話になります。
何卒宜しくお願い申し上げます。

合掌




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