2013年3月12日(火)
春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯(うぐいす) 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる(せかるる)
胸の思(おもい)を
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か
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『早春賦』という大正2年に発表された歌である。
長野県の安曇野あたりの早春のころを歌ったそうである。
「春が来た」と聞いたのに、まだ寒くて鳴けない鶯。
「春が来た」はずなのに、毎日雪が降る寒さ。
「春が来た」と聞いてしまったために、春を待ち焦がれる強い思い。
本格的な春が来る前の、ほんのわずかな期間。
もう暦の上では春のはずだから冬とは言えない。
冬と呼べないなら、春と大声で呼びたいのだが、
それにしては寒すぎる。
心も体も春の喜びに浸る準備ができているのに、
寒すぎて冬に足首を掴まれている感じ。
暖かくなるまでの一日一日がいかに長く感じられることか。
この歌に描写されるような日々からは、もう東京の今はずっと春に近づいた。
いや、もうすっかり春真っただ中、と言ってもいいのだろう。
梅も桃も咲き、桜の蕾が膨らんできた。
ハナミズキでさえ、蕾を膨らませている。
だが、風が吹けば、やはり寒い。冷たい。
そうすると、つい「春は名のみの~」と
頭の中で早春賦が鳴り出す。
鶯はもうどこかでは初鳴きを始めたのだろうか。
この気候で、東京は「春が来た」と言ってしまうのだろうか。
それとも桜の満開時を「春が来た」というのだろうか。
もしくは、桜が散ってようやく「春が来た」というのだろうか。
夏や秋や冬は、「あぁ、今日から季節が変わった」と感じる日が必ずある。
だけれど、春だけは曖昧だ。
いつから春が始まり、いつ終わり、いつから初夏になるか。
なんとなく季節が移り変っていく。
春は、そんなあやふやな季節だ。
もしかしたら、春を一番楽しむ時間は、
それを待つ今なのかもしれない。
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