2015年1月2日(金)
やはり、というか案の定、というか。
昨年の今日書いていた一年の目標・テーマというものを
364日ほど忘れていた。
書いた瞬間から、彼方へ飛んでいた。
さっき読み返してみて、びっくりした。
こんなことを書いていたのか。
はずかしい。
もちろん、実行などできていない。。。
もっとあきれることに、去年の今日も
「驚いたのは、そのことを一年間すっかり忘れていた。
おそらく、書いた次の瞬間に忘れたのだと思う。
テーマを考えた時点、書いた時点で、
もうすっかり満足してしまったのだと思う」
と。
さすが私、同じことをきれいに繰り返している。
2013年も2014年も、年頭に何かを掲げ、
その次の瞬間にすっかりわすれているのだ。
もう、情けなさすぎて、涙も出ない。
ところが。
またこうやって、懲りずに一年のテーマを記そうとしている。
なぜなの、私。
どうして学習しない。
きっと明日には忘れていると思う。
分かっているけれど、書く。
364日後の私への手紙として。
2015年のテーマ
薄く積み重なる努力をする
努力をしない人は、人生を楽しめない。
そういうことに、うすうす気が付いてはいたが、
これまでずっと、遠目に横目に見ていた。
けれど、人生が残り少なくなってくると、
そうも言っていられない。
そろそろ重い腰を上げなければならないときだと思う。
腰が重いので、大した努力は初めから期待しない。
楽しんでできることを、少しだけ目標を高めに持って、
継続して行おう、ぐらいのことである。
一年後の私よ。
ちゃんとできてた?
忘れてたでしょ。
「努力」なんて言ってたのよ。
恥ずかしいでしょ。
私が努力なんて。
そして、それをきれいに忘れていたわね。
さすがね、私。
もう明日から忘れる予定の努力なので、
股に力を入れる間もなく、どこかへ消えてしまうだろけれど、
一応書いてみた。
書いてしまうと、なんとなく実行しなければならない気になってきた。
するかなぁ、しないかなぁ。
しない、かもしれないけれど、できたら嬉しいなぁ。
ただね、私。
残り少ない人生、というのは、
忘れようにも忘れられない事実なのよ。
どうする?
来年の1月2日の私は、
このブログを読んで、どんな顔をするのだろう。
もう、赤面してしまう。
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