秋の夜長につらつらと



2012年11月5日(月)

難しくて答えが出ないことがある。

先週、イギリス人の父子に質問された。
「日本では、電車の中で会話しているのは許されて、
どうして携帯電話はだめなのか?」

その時、私は咄嗟に答えた。
「一方だけの会話が聞こえると、
相手が何を言っているか、気になってしょうがないから
イライラするんじゃない?」

実は、咄嗟に考えついたわけじゃない。
私も常々、同じ疑問を持っていた。
どうして会話だと大声でも許されて、
携帯電話は眉を顰められるのだろう。

そして、上記の答えをとりあえず導き出したのだ。
これが合っているとは思っていない。
ただ、答が見つからないのだ。

私も電車の中で携帯電話で話されて、
不愉快にならない、というわけではない。
やはり、聞いていてあまり気持ちの良いものではない。
どうしてなんだろう。

仮に二人の大人が、私の隣の席で、
聞くに堪えないような噂話をしていたり、下品な話を
泡を飛ばして話していたらどうだろう。
もちろん、聞きたくはないが、「止めてください」とお願いするまでには至らない。
そういう会話と、携帯電話でビジネスの内容と思われる話を聞くのでは、
どちらが不快だろう。
面白いことに、どちらも不快だ。
携帯電話の方も、同じくらい不快だ。
そして、携帯電話の方がイライラする。

なぜなんだろう。

公共の場で個人的な行為をしているからだろうか。
例えば、電車の中の大っぴらな化粧直しもそれに通じる。
できれば、人目に付かないところでやってほしい。

ああ、そうか。
電話もお化粧も、人目に付かないところでやるべき、と思っているからなのか。
そうだ、そもそも電話は会話と違って、
今までこそこそやっていた。
家庭の中でも、部屋の隅とか、廊下の端とか
階段の下とか、
家族の耳に入らないような場所でしていた。

だから、受話器を耳に当てた瞬間、
「人目に付かずにやるべき行為」に代わってしまうのではないだろうか。

では、もし仮に。
電車の中で、隣同士に座っている二人が
携帯電話でお互いに話していたら、私はどう感じるだろうか。
二人はお互いの目を見ず、前を向いて話していたら、
それは不愉快だ。
すぐに止めて、普通にしゃべってほしいと思う。

では、二人が向き合って、
自然におしゃべりを楽しむのと同じような雰囲気で、
ただ耳に携帯電話を当てているだけ、という光景だったらどうだろう。
うーん、可笑しい光景だ。
だが、前者の状態よりも不快ではない。
でも、頭は混乱するだろう。
「この二人はお互いに会話をしているのだろうか、
それとも、偶然にお互いの相槌が合っちゃっただけなのだろうか。」
しばらく混乱し、じっと観察し、
「あー、二人で電話で会話しているんだ」と判断する。
そして、「何のために? あほちゃうか?」と思うが、
はて、不愉快に思うか、というとそれはなと思う。
イライラせず、かえって楽しめるかもしれない。

とすると、一方的に話している状態を見る、または見せる、というのが
どうもイライラの原因のようだ。

そうなんだよ。
最初っから分かっているじゃないか。
だから、どうしてその「一方的」がイライラの原因なのかを探っているんじゃないか。
全くイライラするなぁ。

まぁ、そう焦らずに。
せっかくここまで来たんですから、もうちょっとですよ。


我が家の固定電話は、99%母宛である。
電話が鳴ると母が受話器を取る。
そして、「あら~、こちらから電話しようと思っていたんです~」などと始まり、
長電話に突入する。

父は、昔から必ず
「Who is he?」と子供たちに聞く。
なぜか、英語だ。
私たち姉妹はしばらく母の一方的な会話を聞いて、
「あぁ、あれはSheよ。○○おばちゃんからね。」
「ちがうちがう、××おばちゃんよ。」
などと、当てっこをする。
(うちには、おばちゃんが10人ぐらいいる。)
だが、電話が長引くと、父の機嫌が悪くなる。
「なんだ、だらだらしゃべって。もっと要点だけしゃべれ。」
となり、もっと長引けば、
「勝手に作るな、話を!」と大きな声で怒鳴る。

相手がだれか見当がついていて、話の内容も凡そ見えているのに、
やはり、電話の会話は聞いていると不愉快になる。
だったら聞かなければいいのに、と思うのだが、
なぜかどうしても耳をそばだててしまう。

思うに。

私の最初の回答は、あながち間違ってはいないのではないだろうか。

「相手の声も全部聞こえて、会話の筋がすべて見える」

このことで、私たちは心の安定が図れる。
そして、他人の会話を聞くようでいて聞かないことができる。
しかし、こちらの声しか聞こえなければ、会話が完結せず、
気になってしょうがない。
相手の話が聞けない会話は、不安になる。
全部聞けて、やっと無視ができるのだと思う。

あ、初めから内容がチンプンカンプンな、例えばスロバキア語だったら、
携帯電話でも気にならないか?
うーん、どうだろう。
体験してみないと何とも言えないが、
やはり、相手の声が聞こえないとイライラするんじゃないだろうか。
いつかそんな場面に遭遇しないだろか。

さてと。
電車の中で携帯電話で話されても、不快に思わないようにするには
どうしたらよいか。

いっそ、相手の声がまわりに聞こえるようにしたらどうだろう。
電話の向こうの相手も、電車の中でこちらのみんなが聞いている、
ということを意識していれば、
そうみっともない話もしないだろう。
かえって普段より丁寧な口調になるかもしれない。
聞いているこちらも安心だ。
それに、場合によっては、電車の中の人が全員で
人生相談に乗ってくれるかもしれない。

うん。
これからは、電車で携帯電話で話している人がいたら、
相手の会話を勝手に作り上げてしまおう。
そうすれば、かなり落ち着いて時間を過ごせるんじゃないかな。

でも、残念ながら、東京では車内で電話をする人がめったにいなくなった。
だから、あんまり心配する必要はないのだ。
ここまで考える必要もなかった。
なんだ、つまんない。
あー、電車で長電話する人、乗ってこないかなぁ。

photo by rei





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