2012年7月10日(火)
NYの展示会に出ることに、最近決まった。
今月の24日から3日間、Javits Convention Centerという展示会場で開かれる
生地の見本市だ。
この展示会が、harukii のデビューとなる。
それが決まって、
今発注しているサンプルの作製を早めてもらい、
英語版のウェブサイトも、日本語版に先駆けて作ってもらっている。
織物は、準備工程が非常に多いため、
ストールのサンプル一枚でも、作るのに一か月以上かかる。
7種類のストールのうち、間に合うのは半分くらいかも知れない。
この時期は、秋物の納品と、春物の展示会サンプルの生産に
工場さんはフル稼働している。
展示会が早まったからといって、工場さんの工程が縮まるわけではない。
そこのところを無理を言って、せめて3種類ぐらいはNYに持って行けるよう、
お願いしている。
ウェブサイトも、構成する素材がまだ揃わず、制作者に迷惑をかけている。
せめてホームページだけでも英語版を作ろう、と頑張って頂いている。
その構成要素の一つが、ブランドを紹介するコピーだ。
harukii が何をするブランドで、何を一番売りにしているか。
それを、短く端的に表さなければならない。
古くからの友人に、プロの翻訳家がいる。
日本人である。
彼女は、日本語にも非常に精通している。
もちろん、日本語はネイティヴだから日本語を知っていて当たり前だが、
精通するということは、ただ話せる、ということではない。
文法的なルールを熟知し、言い回しの「格」を使い分ける。
彼女にかかると、まず私が提出した日本文から
丸裸にされる。
英語は日本語と比べると、非常に実際的、直截的である。
だから、読み手に伝わりやすい文章にするには、
曖昧な表現があってはならない。
「誰にむけたメッセージか」
「何が一番の、他社に負けない売りなのか」
「それは、どうしてなのか」
ということが端的、かつ明確に言及されていなければならない。
それは、商品やブランドのコピーしかり。
逆に言うと、
英語で読むとあっさり、すんなり入って来る文章が、
日本語に訳されると、「押し」が強すぎて引いてしまう。
そんなにガンガン言われると、ちょっと厚かましいおもてしまうわぁ。
日本語は、ぼんやりふわふわ、
辺りの「なんとなくのムード」を表現した方が、ずっと伝わりやすい。
で、最初に私が彼女に提出した文章が
ぼんやり、ふわふわ型だった。
自分でもかなり気に入っていた。
プロの翻訳家の彼女は、まずそれを私に付き返してきた。
「意味がわかりません。」
「英語の直訳のような日本語を送りなさい。」
「何を伝えたいか、箇条書きのようにして挙げてみなさい。」
やってみた。
いやはや。なんというか。
こんな色気のないメッセージ、
大丈夫だろうか。
しかし、時間はない。
メールで送ってみた。
プロの彼女は、すぐさま英語に整えてきた。
そう。整えてきたのだ。
しかし、さらりと読み流されるような文章だ。
いったい、何を一番伝えたいのかが、
伝わってこない。
熱がないのだ。
ははーん。これだな。
つながってしまった。
このぼんやりふわふわ型は、すなわち私の思考回路なのだ。
harukii の準備作業をしてきて、いつも突き当たるのがこれ。
一生懸命 harukii を伝えようとするのだが、
相手の顔には「??」が広がる。
一生懸命私の脳みその中を探っているのが分かる。
私が熱くなる沸点はどこかと、あの手この手で引き出す。
しかし、なかなか見えてこない。
そして、私も「一番熱くなるのは、どこなんだろう」と
分からなくなってくる。
相手が最後に、「つまりこういうことなんですね」
と言葉にしたものは、
あぁ、そうかもしれない、とも思うし、
なんだか違うようにも思う。
なんとも頼りない気持ちになってくる。
本当の核心というものは、どこにあるのか。
それをむき出しにするのは、難しい。
核心といつもちゃんと向き合う訓練をしないと、
自分を誤魔化す方向に行ってしまう。
それはなぜか。
私は、幼いころからずーっと、すごい怖がりだ。
石橋を叩いて割ってから、「アーこれで安心」と思うタイプだ。
核心に触れると、自分自身に責任を取らなければならない。
責任を取るということは、
自分の中で更に孤独になるということだ。
「私」を構成するいろいろの要素の中で、
「核心」と「責任」だけを一人歩きさせるということ。
行き先が分からず、暗闇の中にそれらを歩かせるということが怖くて、
いつも核心に触れる前に目をつぶり、自分を麻痺させる。
それが、習い性になってしまっている。
この一、二か月の間に
このことが明らかになってしまった。
もう、しっかり自覚した。
自覚したからには、逃げてはいけない。
ラララ、わったしはおっくびょうもっのなのよ~、
だけれど、そーれは返上よ~♪
これからも石橋は叩き続けるが、
割った後はその割れ目をじっくり見て、割れない石橋を作り直して、
大手を振って渡るぞ。
私に「それは、つまりどういうことなんだ」と
粘り強く問い詰めてくれた方たちに。
本当に、感謝してる。ありがとうを何度も言いたい。
英語のコピーは、その後、
彼女がコピーライターとしてのセンスを発揮して、
とても明確で、しかもチャーミングな文章となって戻ってきた。
でも、まだまだ「核」が足りない。
それは、harukii がもっともっと成長しなければならないということに
他ならない。
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