キタエル



2016年1月14日(木)

本当に私の記憶力は当てにならない。
3年前の新年会に出席していた、
と思い込んでいた高校の部活動のOB懇親会。

「確かブログに何か書いていた」ということは
微かに記憶の脳に引っかかっていたので、
2013年の1月のブログを探してみた。

ところが、ちっともそんな内容の文章は見当たらない。
一応2月も開いてみたが、ここにもない。
埒が明かないので、自分のブログなのに
キーワードを入れて検索してみた。
そうしたら、新年会でなく、7月に参加していた。

あら、夏だったのね。
ふーん。
全然覚えてなかったわぁ。

改めてそのブログを読んでみると、
「久々に参加したOB会だが、これからは参加していきたい」
という気持ちが漂う文章。
それからあっという間に2年半が経ち、
先日再び久々の参加。
顔が赤くなる。

参加するたびに、
「もっと頻繁に参加したい」と思わせてくれる
とても温かい会。
今度こそ、もっと参加しよう。

今回は、OB会創立50年ということで、
大変おめでたい会だった。
そして、先輩方のご尽力によって編集された
過去の動画や画像をまとめたDVDを頂いた。

家に戻ってすぐに拝見した。
あっという間に、高校生のあの日々に引き戻された。
まるで、目の前で起こっているかのような、
活き活きとした、そして粛々とした稽古の様子。
恩師の様々なお話。
全部で1時間ほどのDVDを、
あっという間に見終わった。

その内容は、ただ淡々と、そしてごく丁寧に
多くの動画や画像が繋げられているのだが、
どの場面も私にとっては興味深かった。

その中の一つ。
特にハッとした言葉があった。
それは恩師から発せられたことば。

 教えることはできても、鍛えることは難しい。

あぁ、本当だ。
その通りだ。
私もこれまでの人生、
いろいろな場面で後輩たちに教えてきた。
しかし、決して鍛えたことはない。
それは、相手の人格をまるごと引き受けて、
自信と責任を持って、
こちらも全身全霊でぶつかること。
そういうことだろう。

私はそれをまだしたことがない。
これからも、することはあるだろうか。
多分「自信と責任」ということが大いに不足していて、
それに至っていないのだろう。

先日このブログで、今年のテーマは「勇気」と書いたが、
誰かを鍛えるということにも大きな勇気が必要である。

やはり、そこに収束されるのだなぁ。
なんとか、その壁を乗り越えたいと、
私は思っているのだ。

・・・と、再度注意深く恩師のスピーチを聴いてみると、
恩師は、こう言っていた。

 教えることはできても、伝えることは難しい。

なんだ。
私の聞き違いであった。
「伝える」を「鍛える」と聞き違えていたのだ。

恩師も、その昔自分の恩師に
「教えることはできても、伝えるのは難しい」と教えられたのだ。
「伝える」ということは「自分の気を相手に渡すこと」
技術の伝承の上に難しいのは、「気」を伝えること。
そう言うことをDVDの中で仰っている。

そうそう、恩師はちょっと滑舌がわるかった。
ふふふ。そうだった、そうだった。

この聞き違えた言葉が、一番印象に残っているなんて、、、
DVDを編集して下さった先輩には、
ナイショにしておこう。

でも、「気を伝える」と「鍛える」は、
その先はきっと同じところにたどり着くのだ。
私の耳は、それをちゃんとキャッチしたのだ。





0 件のコメント: