いつでもいいでしょ。



2013年5月31日(金)


(昨日の続き)

村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んで、
何が私に責め寄ってきたのか。


それは、水泳。

主人公の【多崎つくる】くんは、週に二度の水泳を習慣にしていて、
いつもゆったりと同じスピードで、ジムのプールで30分泳ぐ。
その間に、精神が落ち着き、頭がクリアになり、
生活をリセットできる。
私の先日のブログで言うところの『家』が、
多崎つくるにとってはプールで泳ぐことなのだ。

それはまさしく、私が水泳に憧れる理由だ。
私の水の中でそんな風に自分を泳がしてみたい。
水の浮力に身を任せて、ゆったり泳いで細胞から何からリセットしてみたい。
ここ何年も、そんな風に思っている。

しかし、私の泳ぎの実力は、小学校の時のクロール25m息継ぎなしで止まっている。
息継ぎの仕方がよくわからない。
必死に息継ぎするが、ちゃんと酸素を取り込めずに、
苦しくて苦しくて、途中で立ってしまう。
ならいっそのこと、息継ぎしない方が体力を消耗しない。
そして、息が続く限り泳げば、それが25mだったのだ。
私は立てないような深いプールで泳いだことはない。

加えて、寒がりだ。
温水プールでさえ、冷たくて苦手だ。
箱根の温泉プール【ユネッサン】も、寒かった。
もう二度と行かない。

本当は今の時期、水泳を始めるには一番のタイミングだ。
真夏までに少しは泳げるようになって、
猛暑をクールに乗り切りたい。
でも、目に見えている。
もう、9月になったら寒くて寒くて、プールに足が向かなくなる。
いや、猛暑期でも、もしかしたら寒くて嫌になるかもしれない。
冬に泳ぐ人の気が知れない。

そう思って何年も過ぎている。
いや、実は始める直前までいったこともある。
数年前、頑張って自分の背中を押して、
水着を買いに出掛けたのだ。
そして試着室の自分の姿を見て、心が折れた。
「だめだ。こんな姿で人前に出られない。」

そう、それも越えなければならない高い壁。
色白で筋肉のない、怠けきった身体を水着に押し込んで、
それを人前にさらすなど、到底できない。
だめだ、だめだ、だめだ~。

でも、最近は露出度の少ない、シニア用の水着が出ているらしい。
これなら、私も着られるかも。
いや、人前に出られるかも。(人の陰に隠れながら)

せっかくベストセラーを買って、一つクリアしたと思ったら、
こんなところに「いつやるか?」が隠れていたとは。

さて、わたし。
今年は泳ぎを始めるでしょうか。
うーん。
どうだろう。
あまり自信がない。




いつやるか。



2013年5月30日(木)

やれやれ、やっと下火になってきたか。

   いつやるか? いまでしょ。

ある塾のCMから人気が出た、このフレーズ。
ラッキーなことに、このフレーズのことを知ったのは、
つい最近だ。
やれやれ、助かった。
もしピークの時に知っていたらと思うと、こめかみがキューッとなる。

このフレーズに背中を押されて、
何か新しいことを始めた人はどれだけいるのだろう。
何百人? いや何千人? それとも何万人?
ことの大小、難易は問われないので、
どんな些細なことでも、新たに始めたとすれば、
それはカウントされる。

このフレーズは、全く正しい。
文句を付け難く、清廉潔白。
そんなフレーズにこめかみを締めつけられている私の方が、
とってもハズカシイ。

かなりの年数を生きて来て、私にも経験してみたいことがいくつかあった。

・スカイダイビングをする。
・インドに旅行する。
・(海の)ダイビングをする。
・スイミングクラブに通って、泳げるようにする。
・ピアノを再び習う。
・etc....

なーんだ、今からでもできることばかりじゃないか。
そう。だから困るのだ。
するのが簡単だ。
いつでもできる。
なのにしない。始めない。動かない。
だから、「今でしょ」が脅迫のように聞こえる。

いつだっていいでしょ。
始めなくたっていいでしょ。
余計なお世話よ。

そう言い返せればいいのだが、
なんだかそうもできない強さが、このフレーズにある。
私のように感じる人は、大勢いるのだと思う。
だから、評判になったのだ。

で、私もそんな「今でしょ」に押されて、
一昨日生まれて初めてしたことがあった。

それは、話題のベストセラー小説を、話題沸騰中に買って読むこと。

今までしたことがなかった。
芥川賞や直木賞が発表された直後にその受賞作を読んだり、
最近では『本屋大賞』というのも人気があるらしい。
そういうのを聞いてすぐに買って読む、ということに
あまり、というか全く興味がなかった。

今回買ってみたのは、村上春樹の新作、
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。
たまたま立ち寄った書店の店頭にうず高く積まれていて、
私も話題になっていることは知っていたので、
まさしく「今でしょ」に背中を押されて、
生まれて初めてのことをやってみよう、と思ったのだ。
ただ、本当に最後に私の背中を押したのは、
「1800円か。映画を見るのと同じ金額だ。面白くなくてもいいか」という
心の声だった。

去年の今頃、はる希という会社を立ち上げ、
harukiiというブランドを同時にスタートした時、
私は頻繁にインターネットの検索サイトで【harukii】を検索した。
すると、検索サイトは必ず親切に
「harukiではありませんか?」と確認してくれ、
トップを村上春樹さん関係のページ紹介が占めた。
うちのharukiiはいつまでたっても出てこなかった。

だから、村上春樹さんは何となく気になっていた。
そして、いつか読むのだろうな、と思っていた。
そう、今まで一冊も読んだことがないのだ。
あの大ヒットした『ノルウェーの森』も、『ねじまき鳥クロニクル』も『1Q84』も。
どれも長編で、手を出すのが億劫だったのだ。

今回の『色彩を持たない~』も長編だと思っていた。
そうしたら、普通の厚さの一冊の本だった。
ちょっと肩すかしだった。

今まだ読んでいる途中だ。
もう少しで終わるところ。
ストーリーだけを追いかけて読むのだったら、一日で読める。
そういう読み方をすると、時折現れる作者の人生観を読み落としてしまう。
だから、ゆっくり読もうとしている。
もしかしたら、もう一度読むかもしれない。
「なぜ、この作家がベストセラー作家なのか。」
「なぜノーベル賞候補になっているのか」を知るために。
そして、その後、検証のために昔の一連の長編群を読んでみようと思っている。

内容についてはここで述べないが、
実は、一つだけ困ったことがある。
そんなに困る必要はないのだけれど。

それは、せっかく「今でしょ」に従って話題の小説を読んでみたら、
その内容の中に、また再び「いつやるか、今でしょ」と問いかける、
いや、責め寄ってくるものが出てきたのだ。

困った困った。
やっぱり気になる。「いつやるの?」
ベストセラーを買うだけじゃ、やはり許してもらえなかったのだ。
それは、何か。

続きは、また明日。



あれ? もう中古品が出ている。
早いなぁ。






私の家



2013年5月27日(月)

大人になるにつれて、自分を取り戻す場所と時間が必要になってくる。
「取り戻す」と言うからには、自分が奪われているのだろう。

その時は自分が奪われている、と自覚してはいない。
しかし、その時間が長くなると、息が上がってくる。あごも上がってくる。
肉体的には、それほど上がっていないのだが、
でも、心の中ではアップアップしている。

自分が奪われる、というのはどういうことだろう。
朝起きてから寝るまでに、いやもしかしたら寝ている間にも、
さまざまな情報が入ってくる。
24時間情報に曝されている。
そして、情報が溢れてどうにもこうにも処理できなくなることがある。
これが「自分が奪われる」という状態なのだと考えている。

そうなると、自分を取り戻す時間が必要になる。
そうしないと、精神に破綻をきたすからだ。
できれば、毎日どこか自分を取り戻す時間を持ったほうが良い。
明日の朝を元気に迎えるために、一日の最後に持つのがいいのかもしれない。
しかし、持てる時に持つ。
または、持たずにはいられないときに、持つ。
それは、一日のいつになるか、わからない。
時間の長さもわからない。
必要なときに必要なだけ、さっとそんな時間を持つ。

仕事中のパソコンの中でも良い。
家事の途中、お茶をちょっと口に含むのでもよい。
外を歩いていて、ベンチに腰かけた瞬間でも良い。

リセット。

そうだ。こういう便利な言葉があった。
リセット。
リセットするための時間と場所。
それを、私は本当のHome(ホーム=家)だと思う。
毎日寝る場所がHomeとは限らない。
自分の部屋だけがリセットできる場所とは限らない。
自分が解放される空間と時間。Home。

私にとってのHomeは、文字を読む時間。
自室でも電車の中でも、美容院のシートでもどこでも。
最近はインターネットで文字を読むことが一番多い。
しかし、本当に一番好きなのは、本を読むことだ。

好きな本を開き、その世界に没頭する。
それが、一番自分に素直になれる時間、安心できる時間だ。
しかし、現実から本の中に飛び込んで、その中にどっぷり浸るには、
しばらく時間を要する。
その直前に曝されていた情報が多ければ多いほど、
また刺激的であればあるほど、
本の中への移行には時間がかかる。
このところそんなゆとりを持てなくて、本を読んでいなかった。

インターネットの中の文字も、本当は情報だ。
そして、本の中の文字群も、大いなる情報だ。
だけれども、自分で内容を選び、そしてそれに掛ける時間の長さもスピードも、
自分で決められる。

もしかしたら、こうやって文字を書いている時間も
私にとってのHomeなのかもしれない。

さあ、今夜は久しぶりに本を読むとしよう。
上手くリセットできるいいが。



色白



2013年5月25日(土)

東京は、いよいよ日差しが強くなってきた。
一年で紫外線が一番強い季節だという。
そう聞くと、外を歩いている時、紫外線が顔を刺してくるような気がする。

SPF50+
PA++++

なんだか良く分からないが、紫外線を防止する最高の数値だということで、
ドラッグストアでこういう数字の書いてあるクリームを買ってみたりする。

この歳になったので、もう告白してもいいだろう。
私は、色白だ。
いや、正確には、色白の子どもとして生まれた。
ン十年も生きているので、もはや一目で色白とは判別できなくなったが、
子供の頃は会う人ごとに
「まあ、色が白いわね~。」
もとい。
「わぁ、色白やンね~」と言われた。
小学校の時のあだ名は、「しろぶた」。
同級生の男子が付けたあだ名た。
女の子にも、
「色白いんねぇ」と言われる。
そして、
「色の白いは七難隠すって言うえんよ。いいわんねぇ」と続く。
(石川県小松市地方は、何かと「ん」が入る。)

これを聞くと、小学生だった私は
(小学生のくせに、オバサン臭い)と思った。
【色の白いは、七難隠す】
多分親たちが使う言い回しを覚えたのだろう。
小学生はまだ社会性が発達していないので、
覚えた言葉が小学生にふさわしいかどうか、判断しない。
得意になって使う。
大人びた言葉を使って格好良い場合と、
それを飛び越えて、オジサン、オバサン臭くなる危険があることを、
分からない小学生が多いことを、
小学生の私は知っていた。

「色の白いは、、、」は、オバサン臭い言い回しに入っている。
今思っても、そう思う。
いや、大人になった私が使うもの憚られる。
いつになっても、オバサン臭い言いまわしだ。


私は特に体育の授業が嫌だった。
運動音痴であるのもその理由だが、
ブルマーを履くのがいやだったのだ。
かならず、「あし、しろい~!」とどこからか大きな声が聞こえた。
そうすると、みんなが私の二本の大根に注目する。
そして、誰かしらがぽそりと
「色の白いは、七難隠す」と続ける。

わかりました。わかりましたよ。
白いです。
七難隠してます。
隠しきれているかどうかわかりませんが、隠しています。
白いと、脚は太く見えます。
太いのが余計太く見えます。
これは、隠せていません。
だから、このほかに七難あるのです。

幼いころから、私はこの七難がいつか表に出てくるのだと、
覚悟をしていた。

もし7つしか難がない人だったら、
難がすべて隠れているのだから、完璧だ。

10個ある人は、3つが表に出ている。
3つくらいだったら、十分に美人だろう。

難が50個もある人だったらどうだろう。
たった7つ隠れたところで、あまり色白の恩恵に浴していないかもしれない。
でも、難が50個もある人なんて、そうそういない。

さて、難が14個の人はどうだろう。
7つ隠れているので、表出しているのは残り7つだ。
難が7つ見えているというのは、美人なんだろうかどうなんだろうか。
うーん、あまり期待はできない。
でも、14個ぐらいだったら、ある人は多いのではないだろうか。

自分の難がいくつあるかなんて、考えたことはない。
考えたくない。数えたくない。
でも、数えたら、14ぐらいすぐに超える気もする。
数えない、数えない。


小麦色の肌に憧れて、私は年ごろになった時に日焼けに挑戦した。
でも、惨敗だった。
ベランダで塩の入った水を霧吹きに入れて、
脚に振り掛けて、焼いてみた。
太陽にあざ笑われるように、ただ白く塩が吹いただけだった。
赤くもならなかった。

友達と伊豆の民宿に泊まりがけで行って、
海岸に何時間もいいてやけどをして、そして高熱を出して寝込んだ。
海で風疹をもらってきたのだ。
肌は黒くならずに、たくさんの水疱ができた。

それっきり、焼くのは諦めた。
しかし、そんな努力をしなくても、
何十年とたつうちに、ちゃんと「幼いころは色白だった」オバサンになってくるのだ。
『しろぶた』と呼ばれたころが懐かしい。

ふと気づく。
とすると。。。
理屈から言えば、すでに七難のうちの半分以上は表出しているはずだ。
あな恐ろしや。
それが、どれと、どれと、どれか、なんて、
数えない、数えない。

そして、まだかろうじて隠れている(と信じたい)数個の難が表に出ないように
私はSPF50+・PA++++の化粧下地クリームを買う。
外出する前に、これをたっぷり塗ってからパウダーを塗る。

「うわぁ、能面のようだ」と思いながらも、構わず塗る。
もはや、誰のために色白であろうとし、
誰のためにお化粧をしているのか分からない。
ただただ、隠れている(と信じたい)数個の難のために、
私は高いお金を出して、日焼け止めを買うのだ。

子供の前で「色の白いは、、、」というフレーズは禁句です。
教えてはいけません。
もし覚えてしまった子供がいたら、
「その七難は、良いことを100個するたびに、一つずつ消える」と
教えてください。
色が白くてもそうじゃなくても、
ヒトのクオリティは、色では決まらないと。

あ、それから、日焼け止めはたっぷり塗っても安心できません。
何度もこまめに塗らないと効果がないそうですよ。
ずぼらではだめだそうです。
ここにも、クリアしなければならない課題があったか。




【火】という字



2013年5月21日(火)

火 という字。
火星人に似ている。
いや、火星人というより、宇宙人だ。
いや、宇宙人に似ているのかどうか、実はわからない。
見たことがないのだから。

そもそも、宇宙人などと最初に名付けられてしまったが、
宇宙の生命体も、地球の人間と同じような姿を想像してしまって良いのだろうか。
【火】という字は、人間の形に似ている。
それは、当然だ。
【人】という字に、点々を付けたものなのだから。

いや、そうではなかった。
【火】という字は、炎の形から出来上がった象形文字だそうだ。
たまたま、炎の形と人という字が似てしまったということなのだ。


あ、宇宙人が人に似ていないとすると、、、
そして、生物にも似ていないとすると、、、。

そうすると、もしかしたらもう出会っている可能性もある。
こちらが想像しない形で傍にいるものだから、
気が付かないうちに目が合っている、ということもあるかもしれない。

例えば、このノートパソコンのすぐ左横にある、
古い水差し。
書道の水差したが、私は小さな花を挿すのに使っている。
これだって、宇宙の生命体が随分前から地上の降りてきて、
私の身の回りで生活している、と言われて、
全く100%否定できるものではない。

例えば、宇宙の生命体は無色透明で、
音も臭いもしない、とすれば、
この部屋に充満している可能性だってある。
数だって、1億個体いるかもしれない。


そうすると、私は始終、これらの生命体に見られていることになる。
目がないのであれば、「感じ」られているのだろう。

あら、今まで無視してきてごめんなさい。
ちっともいらっしゃると思っていなかったものだから。

水差しさんてば。
本当は水差しさんじゃなかったんですね。
宇宙からはるばるこんな部屋にまでいらして下さって、
有難うございます。
すみません、勝手に水なんかいれちゃって。
花を挿したり挿さなかったり。
水も入れたままになっているじゃぁありませんか。
おほほ。スミマセンでした。
あら、なんと。
うっすら埃までかぶっている。
どうも、どうも、失礼いたしました。
(軽く撫でて、埃を拭う。)

宇宙人さんたち。
今はとりあえずそう呼びますね。
宇宙人さんたち、今日まで気が付かなくてごめんなさい。
明日からは、ちゃんと意識して生活します。
暑いですか? 寒いですか?
どんな環境なら、快適ですか?

何々?
いつも整理整頓してあって、掃除も行き届き、
爽やかな風が通り抜ければ、
他に何も要りません。

ああ。そうですか。
やっぱりね。
そういうことですよね。


火曜日の夜。
【火】という字をじっと眺めていたら、
あれこれ妄想は膨らんだが、
結局、掃除をしなくちゃね、ということに落ち着いた。
きっと【水】を見ても【木】を見ても、
同じ結果になるのだろう。
つまり、私は掃除がすごく必要な部屋にいて、
それが気になってしょうがない。
それだけのことだ。
掃除、すれば良いだけのことだ。

明日は、頑張ってきっちり掃除しよう。
宇宙人さんたちが住み心地良くなるように。



半身浴



2013年5月19日(日)

父のお蔭で、我が家のお風呂がこの2月から新しくなった。
父が入りやすくするための改装だったが、
一番使っているのは、私ではないだろうか。

父が使いやすいようにと選んだので、
浴槽が浅い。
昨今のホテルと同じぐらい浅い。

半身浴が体に良いと言われ出してから、
もう随分になる。
最初は美容のためと、女性雑誌が取り上げたように記憶している。
今では、健康のためにどんな年齢の人も、
男性も女性も半身浴が勧められる。
私は浅い浴槽に、更に浅くお湯を張って、
長くゆっくり浸かる。
それでも、のぼせてしまいそうになる。

子供も最近は半身浴なのだろうか。
私が幼かった頃、
お風呂には肩まで浸からなければならなかった。
十分に体が温まるためには、
肩までどっぷりと浸かって、じっとしているのが一番と信じられていた。

子供は長湯が苦手だ。
それも、お湯が熱ければなおさらだ。
それで、親は子供に「100数えるまで肩まで浸かって」などと言う。
「いーち、に、さーん、し、、、、、」
最後の方は熱くて早く出たいから、
「きゅうじゅいちきゅうじゅにきゅうじゅさんきゅうじゅし、、、」
息継ぎなしで最後まで突っ走る。
余計のぼせてしまう気がする。
幼い子は、お風呂で一から百までは言えるようになる。

我が家はちょっと違った。
【十人のインディアン】を十回歌わせられたのだ。
「ひーとり、ふーたり、さんにんいるよ、、、」というあの歌だ。
あれを、しかも英語で教えられた。


One little, two little, three little Indians
Four little, five little, six little Indians
Seven little, eight little, nine little Indians
Ten little Indian boys.

おそらく父が教えてくれたのだろう。
発音はまったくもってカタカナ英語なのだが、
なぜか
「ワンリル、ツーリル、スリーリルインディアン、、、」
ツーもスリーも完全にカタカナ発音なのに、
リトルだけが英語っぽく「リル」と歌った。
父は一緒にお風呂に入ると、
「肩まで浸かって、ワンリル、ツーリルを歌え」と言った。
彼はどこでどのようにこの歌を覚えたのだろう。

私は大きくなって一人でお風呂に入るようになっても、
よくこの歌を歌った。
そして、随分経って、ある時気が付いた。

「ワンリル、ツーリル、スリーリルインディアン」じゃないのだろうか。
学校で英語を習い、ツーやスリーの正しい発音を習って、
自分では父よりよっぽど上手に歌っている気になっていた。
でも、とても基本的な複数形が抜けている。

それに気が付いてからは、私はちゃんと「インディアンズ」と複数形にして
歌っている。

この歌には二番目があって、
十人いたインディアンの男の子たちが、一人、二人と抜けていく。


Ten little, nine little, eight little Indians
Seven little, six little, five little Indians
Four little, three little, two little Indians
One little Indian boy.

最後は一人になったインディアンの男の子は、
ちゃんと「boy」と単数になっている。
私は一番しか歌わないので、そこまで気にしなかったが、
やはり昔の歌は、文法はちゃんとしているのである。

で、またまた気が付いてしまったが、
最近アメリカでは『インディアン』という呼称について、様々な意見が飛び交っており
『インディアン』を使わずに『ネイティブ・アメリカン』(アメリカ先住民)という
呼び名を使う人が多くなってきたらしい。

とすると、この歌も歌ってはいけないのだろうか。
それとも、新しい言葉に置き換えれば歌っても良いのだろうか。

ワンリル、ツーリル、スリーリルネイティブアメリカンズ、
フォーリル、ファイブリル、シックリルネイティブアメリカンズ、
セブンリル、エイリル(「エイト」も「エイ」と教わった)
ナインリルネイティブアメリカンズ、
テンリルネイティブアメリカンボーイズ。

ふー。ややこしい。
これを十回繰り返して、お風呂のたびに歌えば、
英語の早口言葉も言えるようになるだろうか。
その前に、のぼせてしまう。
私はもう大人なのだから、お風呂は半身浴に限る。








一周年を迎えました。



2013年5月18日(土)

本日、株式会社はる希は、一周年を迎えました。
皆様から頂いた養分を使い続けた一年でした。

いろいろなことがありました。

ウェブサイトをたちあげました。
ブログを始めました。
ニューヨークの展示会に参加しました。
国内の大きな展示会に2度も参加しました。
表参道のギャラリーで、単独の展示会を催しました。

大きな卸先様が見つかりました。
そして、
多くのお客様に、harukiiのストールを購入して頂きました。

すばらしい幸運が続いた一年でした。
そして、冒頭でも申したように、
多くの協力して下さる皆様から頂いた養分を少しずつ、
そして時にたっぷりと使わせて頂きました。
また、商品をご購入下さったお客様からは、
新たな養分を溢れるほど頂きました。

今日から二年目に入ります。
「気持ちを新たにして」というのはよく言われる言い回しですが、
やはり私も、気持ちを新たにしたいと、強く思います。

皆様。
まだまだ未熟なはる希、そしてharukiiですが、
これからも、何卒宜しくご指導、ご鞭撻くださいますよう、
お願い申し上げます。

株式会社はる希
代表取締役
髙橋裕子



時計の音



2013年5月17日(金)

自宅や自室の時計の音は、聞こえるものなのだろうか。

私の自室の掛け時計とは、付き合いが一年になる。
単三の電池一つで動く、ごくシンプルな時計だ。
秒針がないのに、チックンチックンと音がする。
自分で購入したのではなく、
転がり込んだ実家の和室にあったものを、そのまま使っている。

もし私がお店で選ぶとしたら、
音がしないものを選ぶ。
このチックンチックンが気になってしまうからだ。
うるさ~い!というほどでもないが、
なんとなく、耳障りだ。
音がない方が静かでいい。
時計は、今も私の頭の上で、きっちりと音を刻んでいる。

しかし、台所に掛かっている柱時計は、
音がしない。
こちらの時計は、我が家に50年以上あるらしい。
ゼンマイ式の、旧い振り子の時計だ。
大体一か月もすると、ゼンマイが伸びきって、時計は止まる。
その度に、椅子に上って時計の全面の扉を開き、ゼンマイを巻き直す。
そして、短針長針をその時の時刻に合す。

昔の時計だから、振り子が振れる度に大きな音がしているはずだ。
だが、私には聞こえない。
私の耳が悪いわけではない。
耳の感度は普通だと思う。
だけれど、この時計の音だけは、聞こえてこないのだ。
音はしている、という、。

ただ、時折、ふっと耳のモードが切り替わった時に、
確かにカッチンカッチンと、その振り子時計から音が聞こえる。

「あ、聞こえた!」
「こんなに大きな音がしているんだ。」

と思うのも束の間、また耳は普段のモードに戻り、
音はどこかにスーッと消えてしまう。

幼いころからずっと一緒に過ごしてきた音だからなのだろうか。
心臓の鼓動が聞こえないように、
台所の柱時計の音も、私には聞こえない。
15年間、この家を離れていたが、
やはり戻ってみると、音は聞こえない。
不思議なことだ。


頭上で鳴っているこの時計も、
そのうち聞こえなくなるのだろうか。

いや、残念ながら、検証はできない。
その頃には、「耳が、トオクなったから、でしょう?」と
耳元で大声で叫ばれるに違いない。






【お知らせ】『通販生活』夏号 書店発売日は明日です。



2013年5月14日(火)

【長綿ガーゼストール】の掲載されております
『通販生活』夏号の書店様店頭販売日が、
明日5月15日(水)となります。

5月10日の本ブログでも紹介致しましたが、
P85に、山梨県西桂の武藤株式会社様で生産して頂いております
【長綿ガーゼストール】が掲載されております。

(こちらをご覧ください。 >>> )


みなさま、どうぞ明日、書店にてご覧くださいませ。

株式会社はる希
髙橋裕子

5月の散歩道



2013年5月13日(月)

夕暮れにはまだ一時ほどある、帰り道。
ちょっと遠回りして、遊歩道を歩いてみた。

この遊歩道は咲き乱れる、というような植え方をしていない。
いや、植え方、というより、植えたものとどこからか飛んできた種が、
混然となっている。
そして、全体的には緑ばかりの道だ。

けれども、よく見ると、多くの細かい花が時を得たように
活き活きと咲いている。
ああ、やはり初夏の色になっている。

NIKONを携帯していないのが、悔やまれる。
iPhone4で、できるだけ頑張って撮ってみよう。

やわらかい香りがする。
この花、なんとういうのだろう。

やはりインターネットはすごい。
すぐわかった。
【定家葛】(テイカカズラ)というらしい。

あぁ、この季節、よく見かける。
ふわふわと揺れながら咲いているさまが愛らしい。
これは、、、と。


【長実雛罌粟】(ナガミヒナゲシ)。
ふぅん。
一つの芥子坊主から1000~2000の種子(ケシ粒)をばら撒いてしまうために
爆発的な繁殖力を示す場合があり、ですって。



これは、【躑躅】(ツツジ)。
今が満開ね。
と思ったら、これは【皐月】(サツキ)、というらしい。
すぐお隣の群は、蕾の一群。
花や葉が小さくて、特に葉がツルツル光っているものが、サツキなのだとか。
本当は、どちらかよく分からない。

あ、【昼顔】(ヒルガオ)。
夏の花だと思っていたら、もう咲いているのね。
緑の草むらにひっそりと咲く様子は可憐でしおらしいのに、
すごく強い生命力があって、
ちょっと、雑草扱いされているみたい。

あら、これはなんと愛らしい。

【昼咲桃色月見草】(ヒルザキモモイロツキミソウ)。
昼に咲く月見草ですって。
あら、月見草って、夜に咲くのね。知らなかった。
白い肌にピンクの血管が浮いたように走っているのが、
なんとも可憐。

これは、紫蘭。
我が家の貧庭にも、頑張って咲くことがあります。
この花もとても強くて、地下の茎が伸びて増えます。
葉っぱの方にピントが合ってしまったわね。残念!

これは、、、と。
【蔓日日草】(ツルニチニチソウ)。
あ、葉の先が白くなっているから、正しくは
【斑入り(フイリ)蔓日日草】。

あら、まだ咲いてるのね。
春紫苑(ハルジオン)。
花弁がふわふわして、
蕾がピンクで、とっても可愛らしい。
ぱっちり開いている花と
なんだか見つめ合っている気がする。

これは、、、。
ふうん。【一初】(イチハツ)、というのね。
菖蒲の仲間なんだけど、乾いた土の上に咲くのは、イチハツなんですって。
これ一輪だけ、咲いていました。
シャガよりもっと大振り。

このゼブラ柄が、なんとも艶やか、ゴージャス。
ちょっと洋風だけれど、
日本には室町時代に渡来したのだそう。

あぁ、これは【花大根】(ハナダイコン)ね。
線路の脇に群生しているのをよく見ます。
うちの粗庭にも咲いていて、
風に揺れているさまが、とても愛らしくて好きです。

至福の蜂。どうぞゆるりと。

これは、なんという花だろう。
すごく小さくて、真っ白の花。
iPhoneだと、白すぎて色が飛んでしまう。

コンピュータで調整したけれど、これが精一杯。
花弁に走った筋が、ほんのりピンクなのが分かるでしょうか。
やっとわかった。
【白丁花】(ハクチョウゲ)というらしい。
蕾の先がうっすらピンクなのが、とても色っぽい。
あぁ、NIKON持っていたらなぁ。

【ビオラ】。
これは、よく見かける園芸種。
花が全員太陽の方に向って咲いているのが、ほほえましい。

ビオラの白。
すごく清楚な雰囲気を持っている。
あぁ、菫の仲間、という感じ。

出ました!
私の大好きな【紫方喰】(ムラサキカタバミ)
こんなに群生して咲いているなんて。
ここはちょっと日陰なので、花弁も閉じ気味。
でも、それも可憐で愛らしい。
精一杯開いても、これくらい。
でも、うちの猫の額では、葉っぱばかり繁って花が咲いてくれない。

うわっ!
突然視界に入ってきた。
これは何?
【石楠花】(シャクナゲ)、、、かなぁ。
蕾がシワクチャで、まるで生まれたばかりの赤ちゃんみたい。
今まで狭いところに閉じこもっていたのね。
これから一気に開花して、大輪の花を咲かせるのだろう。

花はないけど、この時季にしか見られない、
つっやつやの若葉。
何の葉だろう。
新茶って、こんなかんじなのかな。
ちぎって食べてみたい。
お茶のような味がしないかしら。

あ、でましたよ。
もう【紫陽花】(アジサイ)の蕾が出てきました。
これを見ると、梅雨も近いと思ってしまう。
まだまだ出てこないでほしいのだけど。
もうちょっと、初夏の爽やかさを楽しませてほしいなぁ。

ほんの30分くらいの寄り道だったけれど、
いろいろな花を堪能しました。

ん? 本当に堪能した?
ホント?
写真撮るのに夢中になって、ちゃんと花を見ていなかったのでは?

うーん、どうだろう。
次はNIKON持ってこよう、なんて思っていたけれど、
何も持たずに、ただ花を愛でながら歩いたほうが、いいかも。
そうね。そうしよう。
自然は毎日変わっているのだから。
また同じ道を歩いて、いろいろな美しさに、ドキッとしよう。





暑くて爽やか



2013年5月11日(土)

この寒がりの私が、一日を半袖のコットンセーターで過ごしている。
すごいことだ。
目を瞠るようなことだ。
つい最近まで、たしか今週初めまで、
いや一昨日ごろまで、ガスストーブに齧り付いていたというのに。

東京は急激に気温が上昇してきた。
昨日などは、室温が30℃もあった。
そして、空気が乾いている。
だから、とても爽やかだ。

きっと、今が私にとって一年で一番シアワセな時季だ。
暑くて爽やか。
言葉に出しても聞いても幸せになる。
あつくてさわやか。
書いても読んでも幸せだ。

アツクテサワヤカ。

おや、カタカナにすると、あまりよろしくない。
『テンヤワンヤ』に似ている。
それはご免被りたい。

暑くて爽やか。

なんていい季節なのだろう。
散歩を再開するには、今が一番良いタイミングだろう。
今年こそ、運動不足を解消したい。

あした晴れたら、NIKONを持って散歩に出よう。




【お知らせ】『通販生活』掲載のご案内



2013年5月10日(金)

吹く風が肌に心地良く、緑薫る季節となりました。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。

『通販生活』の夏号に、【長綿ガーゼストール】が掲載されております。

『通販生活』2013年夏号 表紙

掲載ページ

P.85
山梨・西桂「武藤」の【長綿ガーゼストール】
素材:  綿100%
サイズ:  75cm × 130cm
色: ピンク、ベージュ
重さ: 50g
価格: 6,195円(税込)
送料: 350円別


このストールは企画・デザイン・製造を株式会社はる希が担当し、
生産を武藤株式会社さんにお願いしております。

素材は、インドの長綿を使用しており、
涼やかなガーゼで、シャリッとした感触です。
最後の仕上げを天日で干しており、
とても柔らかな風合いに仕上がっております。

『通販生活』ではSINYA(シンヤ)さんというモデルさんが着用して下さっており、
その軽やかさ、爽やかさが素敵に伝わってきます。

大変ありがたいことに、すでに多くのお客様からご注文を頂いており、
雑誌の発行から一か月を待たずに、初回納品分は完売致しました。
ご注文くださいました皆様、誠に有難うございました。

『通販生活』の発行元であるカタログハウス様から
大量の追加発注を頂きました。
現在武藤様にて、再生産しております。

ベージュは5月下旬、ピンクは6月下旬より発送予定です。

今年も東京はすでに真夏のような日差しを受けております。
去年の猛暑を予感させます。
このストールは綿100%で、薄くてとても軽く(50g)、
汗取り、日差し避けと、真夏に大変重宝する一枚です。
皆様に是非お使い頂きたい商品です。

※雑誌『通販生活』の書店での販売は、5月中旬予定です。
※本商品は、『通販生活』のみでの販売です。

 『通販生活』のオンラインショップでも、購入できます。 >>>



皆様、『通販生活』夏号をぜひお手に取ってご覧くださいませ。


株式会社はる希
髙橋裕子




初夏の夕暮れ



2013年5月9日

向こうの空がだんだん暮れて
青が紺に変っていく時分。

買い物の袋を提げて、疲れた足を引きずって、
駅前からぶらぶらと歩く。
家にいる人たちに、帰りを待たれているような、いないような。
急いだ方がいいような、急がなくてもいいような。
そんな帰り道。

「じゃぁ、ティッシュの箱の場所を伝えてくれるの?」
3歳ぐらいの女の子と、大人の女性。
すれ違う坂道。

「はーちゃんが?」
「うん。」
「あー。はーちゃんはね、しないの。猫だから。」

ふうん。
はーちゃんは猫なのか。
はーちゃんと自分が何が違って何が同じか、
この女の子、わかったかなぁ。


「お、そりゃだめだ、だめだ。」
年配のおじさん。
スーツを着ているけど、ネクタイは外している。
そして、片手に犬のリードを握り、
もう片手はベビーカーを押している。

会社から戻ったら、着替える間もなく犬の散歩を頼まれたか。
「ついでに、この子も連れて行って。
夕飯の支度してるから。」

かわいい孫と愛犬。
二人一緒の散歩なら、スーツを脱ぐ間も惜しんで、出かけますよ。
でも、ベビーカーから身を乗り出してワンちゃんを追う幼い子。
ワンちゃんは、あっちこっちをクンクン。
オジサマ、ちょっと手こずっています。
前になかなか進めない。
元気いっぱいの好き勝手たちを御していくのは容易じゃない。
楽しくて、幸せで、そしてちょっとお疲れの、
夕暮れの散歩。

夕闇はそこまで迫っています。
初夏の夜。
風が爽やかで、寒くなくて。
こんな日は、冷えたビールをゴクゴク飲みたいね。
明日もいい天気、みたいです。





ちょっとしたことなんだけど。



2013年5月4日(土)

こんな、ちょっとしたことで、と思うことがあった。
それは、ホテルのお手洗い。
それも、個室の中。

バッグを掛けるフックが、閉めたドアの鍵のすぐ横にあった。
「これ、いい!」
見た瞬間、すぐにそう思った。

トイレの個室の中は、かなり忙しい。
入って、ドアを閉めて鍵を掛けて、
バッグを掛けて。
それからやっと自分の身の世話に入る。
トイレが空いていれば良いが、女性用のそれは、しばしば
長い列を待たねばならない。
自分が個室に入る順番になった時には、
大概かなり切羽詰まった状態になっている。
赤いアラームランプが点滅している、という状況だ。
個室に入り、ドアを閉めた瞬間、ホッとして
アラームの点滅の間隔はかなり短くなる。
いや、ここで気を緩めるわけにはいかない。
この状況の中で、
「さあ、鞄掛けはどこだ!」と
必死になって探すのだ。

バッグは一つだけ、とは限らない。
お買い物大好きマダム&マドモアゼルは、
紙袋を二つ三つ抱えている。
しっかり、がっしりしたフックを、目が探す。

昔は、大抵ドアの上部にフックが付いていた。
しかし最近はその場所がいろいろに変わっている。
側面や背面の壁だったり、
フックが無くて、ちょっとした棚だったり。
一瞬のことなのだが、それを探さなければならないのが、
もう、なんというか、イヤだ。ンッもう!

それに、やっと見つけたフックがかなり高い位置にあることもある。
個室に入った瞬間、女は『くノ一』になる。
なのにフックは再度身体を伸ばせと要求してくる。
そんなぁ〜。

あのね、バッグを掛けたり置いたりした後にも、
私たちはね、バッグから出さなきゃならないものがあったりするのよ。
それに長いスカートだったり裾広がりのパンツだったり、ドレスだったり時には着物だったり。
それに加えて、乳幼児を連れていたりするの。
さもなくば、杖をついていたりもするのよ。
大変なの。忙しいのよ! 笑い事じゃないのよ!
アラームの点滅はますます逼迫した状況を伝えてくる。

そんな時、バッグ掛けが鍵のすぐ隣にあったらどうだ。
鍵をかけたら、すぐにそれが目に入り、
麗しきクノイチたちは、流れるような所作でそれにバッグや紙袋を掛け、
またしても滑らかに次の動作に移る。
美しいじゃないですか。

いいものでしょ?
女性が個室の中でも焦らず優雅に振舞っているだろう、と想像できるのは。
トイレの設計者さん、
これからは、「鍵の横にすぐフック」ですよっ!

私は今日のフックを見た瞬間、
「あ、いい。このホテル、好き!」
と思いました。
こういう、ちょっとしたことで、ファンになるんですね。
またまた勉強しました。
ちょっとしたことだけど、
すごく有難いことなんだなぁ。
そういうこと、私もいっぱい見つけていかなくちゃ。
アリガト、鍵のすぐ横フックくん。

因みにそのホテルは、ザ・ホテル・ニュー・オータニと言いまして、
東京の赤坂というところにあります。
全部のお手洗いのフックがこの位置にあるのかどうかは
未調査です。
悪しからず。




ベニサン・ピット



2013年5月1日(水)

上手く書けるかどうか分からないが、
書いておきたいと思うことがある。

1985年。
今から28年前。
バブル景気の始まる直前。
企業が文化や芸術にこぞって投資をした時代の幕開け。


東京の下町、江東区の森下というところに、
『ベニサン・ピット』という、小さな劇場が出来た。
外国から演出家を迎えたり、
歌舞伎の玉三郎が公演を行ったりと、
小さいながら、華々しい出し物を次々に打っていた。

バブルの頃、
日本は本当に、芸術、文化に贅沢にお金を使った。
そして、人々はたっぷりとその息吹を吸収した。

『ベニサン・ピット』は決して華やかな風貌の劇場ではなかったが、
前衛的に、かつ地に足の着いた演目を
世に送り出していた。
私は、『万有引力』というアンダー・グラウンドの劇団のお芝居を
見に行った記憶がある。

『ベニサン・ピット』は、敷地内に大小いくつかの稽古場も持っていた。
バブルといっても、小劇団はやはり運営が厳しく、
独自の稽古場を持つところは少ない。
だから、こういう稽古場を提供する劇場は、
とても有難がられたのではないだろうか。
『ベニサン・ピット』は文化の発信の劇場になっていった。

時代は下って、2003年。
私は繊維を扱う会社に就職した。
私の仕事は、生地の海外営業。
主に綿で作った生地を、外国の企業に売る仕事だ。

営業なので、企画には携わらない。
すでにある生地か、企画担当が新しいく開発した生地を持って、
海外の展示会に持って行って、
いろいろなバイヤーに見せた。

生地は、日本のいくつかの県で作っていたが、
ニットパイルの生地の優れたメーカーが足利市にあり、
定番の生地を仕入れていた。
会社名は「紅三」。
染色会社であり、紅三の協力工場がシンカーパイルの生地を作っていた。
私の会社は、紅三を通して、シンカーパイルの生地を多く仕入れていたのだ。

入社してしばらくして、
扱う生地のことが少し分かりかけてきたとき、
「ん? 紅三株式会社? ベニサン?」と思った。
調べてみると、あの『ベニサン・ピット』を運営している会社だという。
「へぇぇ、染色工場が、劇場を運営しているんだ。」

私の入社したころは、すでにバブルは遠い昔。
今から繊維業界に入るなんて、頭がどうかしている、と言われた時代だ。
(今なら、もっとどうかしている。頭が無い、と言われるだろう。)
そんなとき、久しぶりに聞いたベニサンという響き。
私には、若い多感なときの、文化の香りが漂ってきた。

とは言え、生地の営業と劇場文化には
まったく接点、重なり合うものは無い。
紅三の営業の方とも、発注した納期の確認などで
電話で話すことはあっても、
ベニサン・ピットの話などしたことはなかった。
一度だけ、「昔『ベニサン・ピット』でお芝居を見たことがあるんですよ、と
お話したことはあったが、それっきりだった。

でも、私の中では、文化の匂いの濃い
あの劇場を運営している会社として、
何か特別な想いを持っていた。

私はその会社に8年在籍し、2011年の2月に退社した。
退社するとき、紅三の担当の方から、とても心のこもったお手紙を頂いた。
私は生地の企画者ではなかったため、
その方と常にかかわりがあったわけではないが、
折につけ、とてもお世話になった。
お世話になるばかりで、とてもそんなお手紙を頂くようなことはしていないのだが、
とてもハートの温かい方だった。
そして、仕事をきちんとこなす方だった。

繊維の仕事をしているとつくづく思うのだが、
良い生地、美しい生地を作るの難しく、そういう工場と知り合えればとても幸運だが、
それ以上に幸運なのは、
発注通りに納期を守り、品質を高く保ち続ける工場だ。
特に天然繊維を材料に生地を作る場合、
規格通りにサイズが上がってこなかったり、
キズが生じたりすることが頻発する。
しかし、そこをなんとかコントロールして、
発注したお客様に迷惑を掛けないように、商品を仕上げ、納品する。
それが、どれくらい大変なことか。

紅三は、本当にきっちりと丁寧に商品を納めてくれた。
トラブルがあった時の対応も、
迅速、正確、かつハートがあった。
私が、紅三という会社に、大きな信頼を持っていた。
そして、その担当者の方が大好きだった。

だから、ついこの前、知人から「紅三が倒産した」と聞いたとき、
本当に驚いてしまった。
(あの紅三が無くなってしまった。。。)
足利市で大手の工場だったため、紅三の倒産とともに、
工場を畳まなければならない企業も出たという。
最盛期には年商51億円もあったというから、
それは本当に大きな損失を出したのだろう。

そして、あの『ベニサン・ピット』はその三年前に、
すでに幕を閉じていたのだそうだ。
理由は、建物の老朽化。
しかし実情は、きっと本体の経営難のためだと思われる。

若いころ、文化の薫り高い小さな劇場、というか芝居小屋に
あこがれていた自分がいて、
そして、後年、その劇場の持ち主である会社と、
仕事をした、という、
それだけのことだ。

単にそれだけのことだけれど、
何か素通りできないものがある。
それが何かは、よく分からない。
青春へのノスタルジーなのか。
それとも、一つの企業が文化に理解を持ち、
一生懸命それを維持しようとしたその姿勢に感動したのか。
あこがれの存在に、仕事を通じて一歩も二歩も近付いて、
何となく自分も特別な存在になったという気がしたのか。

きっとそれすべてなのだろう。
『ベニサン・ピット』が無くなり、株式会社紅三が倒産し、
そして、私は会社を辞めて独立した。

そのことがこれからの私の人生に関わりを持つとは思えないが、
私の中で小さな何かが終わった、という気がしている。