隠居宣言記念日



2012年11月7日(水)

母と遅い夕飯を食べている。
それを父が見ている。
早くに夕飯を済ませた父は、もう寝るまですることがない。
母と私の会話に、時々茶々を入れ、暇をつぶしている。

ごちゃごちゃと何やらたわいもないことをしゃべっている途中で、
父が口をはさむ。

「お前の事業は来年の今頃になったら、一人前になるか」

時々、父はこういうことをいきなり投げかけ、ドキッとさせる。

時には、
「売り上げはどうだ。」

時には
「今期の利益はどれだけある。」

それは、たいがい楽しく食事をしている最中である。

口の中のものを飲み込んで
「いえ、まだ始まったばかりだから。
なんとも、その、あの。。。」
もごもごする。

で、先ほどの「来年の今頃」に続く言葉があった。

「お父さんは来年には、お前にすべてを任すぞ。」
「え? どういうこと?」
「来年からは、一家を養え。
お父さんは、もう終わりにする。
いろいろな家計のことやら何やら、もうできない。
男85歳。もうお終いの年齢だろう。」


昔の日本には、隠居制度というのがあった。
家長がある年齢になると、自分で隠居という身分に退く。
そして、家督を継ぐ者に家長の座を渡す。
それは、家族の中での取決めであり、また公にも知らされた。
そして、武士の場合は、その雇い主であるお城に、その報告がされ、
新たに石高が決められるである。
詳しいことは知らないが、ざっとそのようなものだった。

現代にはそういう制度はない。
家業を継ぐ、という場合は、似たようなことが行われ、
対外的にもそれは公表されるが、
一般の家庭で、公表しない。
はっきり、「今日から家長の座を譲る」と宣言する家庭も
どれだけあるのだろうか。


仕事から退く。
それを多くの人が経験する。
自分で線を引き、引退するのである。
それは、スポーツ選手など、
まだ若く、やる気に満ちている人にとっては
大変つらいことだろう。
しかし、そこを乗り越えれば、第二の仕事人生が待っている。

また、年老いて、もう十分社会にも家族にも貢献した、
という満足がある人には、
引退は一抹の寂しさがあるが、
労働から解放されるという楽しみも大きいだろう。

しかし、父の今日の宣言は、それとは意味が違う。
父は、自分の脳みそが正確に機能しなくなってきたことを
自覚している。
それを家族の前で悲観してみせることはないが、
時々無言で宙を見て何かを考えている時、
父はきっと、物事が即座に判断できなくなった事実を噛みしめ、
今後の身の振り方を考えているのだろう。

「自分の知的活動は、そろそろ終わりに近づいている。
完全に終わる前に、引き継ぎをしなければならない。」

そういうところは、蔑にしない人である。
責任の所在をあいまいにしない。
責任を全うできないと自覚したら、
それを潔く認め、次の人にきちんと引き継ぎをする。
そういうところを、私は父として、大人の男性として
とても尊敬している。

しかしそれを、父は今日不意に、私に宣言したのである。
私がチキンのから揚げを頬張っている時にである。

「えー、来年なんて、早すぎるー。」
などと言って、はぐらかす。
そんなこと急に言われても困る。
いや、父は急にではなく、来年の話をしているわけで、
父としては、自分の頭がはっきりしているうちに
引き継ぎたい、という考えなのであろう。

知的活動から退く、という宣言をするということは、
いったいどういう気持ちなんだろう。
自分はだんだんボケてきた。
人間として、尊厳を持って生きる時間が限られてきた。
これからどんどん分からなくなる。
家族のことも分からなくなる。

そういう風に思い始める、ということは、どんな気持ちなんだろう。
想像以上にすごく淋しいに違いない。
不安で、哀しいに違いない。
少しボケているから、そんなに心配するほど深刻には考えていない、と
娘としては思いたいが、
それはこちらの甘えである。
それでは、思い切って宣言した父の想いに対して、申し訳ない。
しかし、私にはまだその宣言を受け止める準備ができていない。

明日になれば、父は今夜自分が言ったことなど、
忘れているかもしれない。
そして、また同じことを繰り返すかもしれない。
これから、何度でも『引退宣言』があるだろう。
それも、夕食のたわいもない会話の途中に。

次に『宣言』が言い渡されるとき、
私は何と答えようか。
また同じようにはぐらかすか、
それとも、「分かりました、任せてください!」と
とりあえず口先だけで返事をするか。
父には、私の心の中が見えているのだろうか。

こんな頼りない娘に、一家を託す宣言をしなければならない父に
私は申し訳なさでいっぱいになる。
せめて、この日を父の『隠居宣言記念日』として
しっかり心に刻んでおこうと思う。
来年の今頃、また父が「来年になったら、お前に、、、」と
同じセリフを繰り返してくれることを願いながら。









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