大橋純子さんのこと



2012年10月16日(火)

夕べ、テレビで久しぶりに歌手の大橋純子さんを見た。
残念ながら、歌っているところは見なかった。
他のチャンネルと、スイッチしながら見ていて、
たまたま大橋純子さんのその場面だけを見たのだ。

全くテレビを見ない生活をしているのだが、
夕べはなんとなく『ダブルフェイス』というドラマが見たかった。
私は元来スリルやサスペンス、暴力の映画やドラマは全く興味がない。
ドキドキ、ハラハラと怖いのと、痛いのが大嫌いなのである。

だけれども、このドラマを見たいと思ったのは、
出演俳優が良いのと、
映画の監督さんが演出しているというところに興味を持ったからだ。
実は、クオリティが高ければ、映画やドラマは大好きだ。
先日も、飛行機の中でライアン・ゴスリングの『ドライヴ』を見てしまった。
見た後で後悔した。
残虐さが、想像以上だったのだ。
でも、すごく上質の映画だった。
だから、演出と演技に惹かれて、最後まで見てしまった。

『ダブルフェイス』は、おそらく最近出色の出来ではないのだろうか。
普段テレビを見ないので、何ともいえないが。

しかし、全編ハラハラ、ドキドキ、暴力と血が満載のドラマなので、
「もうダメ!」「もう無理!」というところまで来ると、
他の番組にチャンネルを変えてしった。
その、ちょっとほっとする瞬間に、
たまたま大橋純子さんが昔を振り返っているところを見たのである。

大橋純子さんが大ヒットを飛ばしたとき、
私は高校生か大学生ぐらいだった。
娯楽の選択肢が今ほど多くなかったため、
音楽は、多くの若者に共通した趣味だった。
私もテレビの歌番組はよく見ていたし、
ラジオの深夜放送も熱心に聞いていた。
大橋純子さんはその歌のうまさが群を抜いていて、
他の歌手と一線を画していた。

夕べの番組で、大橋さんは
「大ヒットを飛ばした曲は、実は自分がやりたかった音楽とは全く違った。
すべてを辞めて、ニューヨークへ行った」
と告白していた。

あ、あの時のことだ、と思った。


大橋純子さんと言っているが、もちろん知り合いではない。
でも、ニアミス、かもしれないと思っている。

1987年に、一年ほどニューヨークに滞在したことがある。
その間、半年くらい、語学学校に通った。

入学して間もないころだったと思う。
クラスで自己紹介をしたとき、
金髪でショートカットの、快活な女性講師が言った。

「以前、このクラスに日本人の Junko Ohashi という女性がいたのよ。
有名な歌手らしいわね。」
「はい、もちろん知っています!
とっても有名で、歌もすごくうまいんです。」
「そう、知っているわ。みんなの前で歌ってもらったけど、
とても上手かった。」

わぁ、彼女の歌を、クラスのみんなが生で聞いたのだ。
なんという贅沢。

でも、そういえば、しばらくテレビで見ていないと思っていたけど、
ニューヨークにいたのか。

その時は、それぐらいにしか思っていなかった。
でも、大橋純子さんと同じ学校で、同じ講師に習ったということで、
なんとなく親近感を持っていた。

夕べの話では、ヒット曲を歌っている時は、いやでいやでしょうがなく、
NYに渡った後は、ヴォイストレーニングをしていたらしい。
超有名人から、名もなき一般の女性に戻って、
ニューヨークの人込みに紛れて、
普通の生活をしていたのだろう。
それは、どんなに開放的で楽しい毎日だったろうか。
それと同時に、今まで蓄積したものをゼロに戻し、
過去を否定し、将来の行くべき道も定まらず、
それは、どんなに暗澹とした辛い日々だったろうか。

彼女は日本に帰ってきた後、
過去のヒット曲を封印してしまった。
過去を否定したまま、日本に帰ってきたのだ。
自分に正直に、人に伝えたいと思った歌だけを歌う。
ニューヨークでそう決めて、日本でまた歌手を再開したのだろう。

彼女はその後、ポールマッカートニーのコンサートで、
彼がアンコールに、ビートルズ時代の大ヒット曲、
『イエスタディ』を歌うのを聞いて、
聴衆として鳥肌が立つほど感動し、
それまで自分が封印してきた歌は、自分だけの物ではない、
その歌をその時代に愛した人すべてのものなのだ、と気が付き、
それ以降、また歌いだしたということだ。

歌手によって歌は育ち、歌によって人が育ち、
またその歌い手自身も育てられる。
物や事、そしておそらく人や動物も、一旦生まれて社会に出れば、
それは、もはや個人の所有物ではなく、
社会全体の所有物になるのだろう。

それに気が付かず、いろいろなことを、自分だけの判断で
どれだけ無駄にしている人が多いことか。
もちろん、私を含めてである。

自分自身の存在も含めて、私が生み出すあらゆることは、
私を離れて膨らみ、育って行く。
それをいつも忘れずにいよう。
私から離れたものが、いつまでも膨らみ続けるよう、
生み出す、ということに、もっと慎重になってみようと思う。

世の中には、物や情報が溢れている。
もうこれ以上新しいものがなくても、十分に満ち足りた生活ができる。
なのに、そこへ新たに物や事を生み出すのだから、
それは、人々を幸せにするものでなければならない。
必ずしも大勢の人である必要はないと思う。
でも、それに触れた人が、ほっこり幸せな気分になるように、
そして、長くそれを愛して自分で育ててもらえるように。
それが小さな小さな柔らかい芽のような物や事、言葉だったら
それは生まれる必要があるものだと思う。

一瞬見た番組で、大橋純子さんのこのエピソードが聞けて、良かった。
きっとこれは、私に必要なメッセージだったのだと思う。

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