日野啓三さんのこと



2012年10月14日(日)

インターネットで、今日生まれた人のことを調べてみた。
知っている人の数が、とても少ない。

では、と、反対にこの日が命日の人を調べてみた。

あ。

2002年10月14日。
日野啓三没。

もう、今から10年も前になるのか。
日野さんが亡くなって。

日野さんと言っているが、知り合いではない。
ただの一人のファンである。

ただ、一度だけ、日野さんが住まわれていた
近隣の方だけの路上パーティに呼ばれて、
日野さんをお見かけしたことがある。

久しぶりに道でばったり会ったカナダ出身の知人と話をしていて、
彼が日野邸の隣に住んでいることが分かった。
「隣に、Keizo Hinoという作家が住んでいるんだよ。」
「えーーっ! あの日野啓三?」
「知ってるの?」
「知ってるも何も、大好きなの。日野啓三の文。」
「へー。Keizo Hinoを知っている人、君が初めてだ。
他の人に言っても、誰も知らなかったよ。」
「えーーっ、日野さんは、すごい作家なのよ。」
「今度、住人達で持ちよりパーティーするんだけど、来る?」
「いくいく! もちろん、行く!」
「でも、Mr.Hinoは、参加できるかどうか、分からないよ。
病気で、あまり外に出られないみたいなんだ。」
「うん、それでもいいよ。行く。」

日野啓三さんが、私の近くに住んでいたなんて。
なんという偶然。
それも、その隣に住む、特に親しいわけでもない知人と
久しぶりに会うなんて。

彼が住んでいるところは、私道を囲んで数件の家が建っている。
その近くを通っても、そこに私道が伸びているとは分からない、
ちょっと隠れ家的な場所。
そこの住人達が、皆仲が良く、
時々道に出て、パーティーをするらしい。

その日は、日野さんの奥さん、そして息子さんが参加されていた。
日野啓三さんの姿は見えなかった。
パーティに何をおみやげに持って行ったかとか、
誰とどんな話をしたかは、全く覚えていない。
きっと、全身で日野さんの登場を待っていたのだと思う。
そして、そこに日野さんがふらりと現れた。
(あ、日野啓三だ。)
私は興奮した。
痩身で少し猫背。
無口だが穏やか。
想像通り、The インテリ作家、という風貌だった。
隣人たちのたわいもない会話を聞きに、
病身を押して降りてこられたのだと思う。

日野さんと会話をしたかどうかは、覚えていない。
私のことだから、声を掛けられなかったかもしれない。
髪を金色に染めた息子さんが、ドラムを叩いている、ということだけ、
妙に覚えている。

実は、日野さんが亡くなったことは、最近まで知らなかった。
というより、長らく日野啓三の本に触れなかった。
時代小説、それも藤沢周平一本だった。
難解な、ちょっと哲学的、そして抽象絵画のような日野啓三の文体は、
最近の私には重すぎた。

昨年の2月に、それまで勤めていた会社を辞め、
自由な時間ができ始めた。
それを機に、また日野啓三の本を読み返してみた。
その時、もうすでに亡くなられたことを知った。
未読の新しい本も図書館で数冊借りて読んだ。
闘病中のいろいろな思いが書きつづられていた。
それもすべて、日野流だ。

やっぱり好きだ。
この乾いた感じ。
皮膚と心がかさりと馴染まないような感じの、物の見方。
そして、文体。
無駄なものが一切ない。
それでいて、情緒がある。
近寄りがたいが、温かい。
勝手にそんな風に思っている。

図書館の行き帰り、日野さんの家の脇をよく通った。
闘病生活中によく通ったという近くの公園を探して、行ってみた。
自宅の寝室からよく眺めていた樹はあれなのだろうかと、
電車の踏切から見える大きな樹を見て、思った。

日野さんは、いまごろあの世で何をしているのだろう。
今もいろいろ物事を深くつきつめて考えているのだろうか。
次に生まれ変わるときも、ぜひまた作家になってほしい。
その時、私も生まれ変わって、同じ言語を共有する人でいたい。

合掌。




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