利休鼠



2012年9月25日(火)

東京に二日間、たっぷり雨が降った。
猛暑の間に乾ききってしまった町が
充分な水を吸い込み、やっとしっとりした。
木々も草花もコンクリートも
さぞホッとしていることだろう。

今朝は気温もぐっと下がり、
高原の朝のような清々しさがある。
空は曇っている。
まだ降るかもしれない。


小学生の時、利休鼠という言葉を知った。
北原白秋作詞の「城ケ島の雨」という歌の歌詞にある。


雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる

雨は真珠か 夜明けの霧か
それともわたしの 忍び泣き

舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気

雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ


随分大人の歌なので、口にして歌ったわけではないが、
何となく気になった歌である。

その『利休鼠』という言葉と、
♪舟はゆくゆく~ から長調に転調する部分が好きだった。

しかし、全体には短調で、暗く重い歌だ。
幼いころは、短調の歌が苦手だった。
明るくて軽い長調の歌の方が好きだった。
それで、暗く鼠色で鬱陶しい情景から、
舟が視界に入り、空が晴れていくような、そんな転調部分に
ホッとしたのだろう。

その時にぼんやりと想像した『利休鼠』。
父親が酔っぱらうとよく、
「利休鼠だ、わかるか? 
城ケ島には雨が多いんだ。
その色が、利休鼠色なんだ、わかるか?」と、
私の太ももをバシッと叩いた。
おそらく、「こういう微妙な、繊細な色の表現がわかるのは、大人だけなんだ」と
子供である私に自慢したかったのだろう。
本当の利休鼠がどんな色か、父は知っていたのだろうか。

私は私で、城ケ島というところはいつも雨が降っていて、
全体が灰色なんだ、という情景を勝手に想像していた。

利休鼠という色を調べてみると、緑がかった灰色とある。
ふーん。なんとなく想像できる。
その色の綸子の着物が浮かぶ。
上品な色だ。
合わせる帯や帯締め、帯留めなど、次々に装いの世界が広がる。
おしゃれな色だ。
あ、私は着物は着ません。ただ、想像するだけ。

緑がかった灰色だとすると、
この歌を作ったときは、春か夏だったのか。
城ケ島に生える樹や草が緑に燃えていたのかもしれない。

と思って調べてみたら、作詞したのは1913年(大正2年)10月27日とあった。
晩秋である。
緑はもうかなり深く、くすんでいただろう。
もうちらほら紅葉も始まっていたかもしれない。

そこに降る雨を『利休鼠』と表現したのは、白秋28歳の時。
若くして才能を発揮し、時代の寵児になっていたのだが、
隣家の人妻と不倫騒動を起こして、世間から糾弾され、
傷心の底にいた。

死ぬことも考えたという28歳の若者には、
目の前に霞む城ケ島の緑が、さぞ暗く重いものに見えていただろう。


それに、♪船はゆくゆく~から長調に転調するメロディを付けた、
梁田貞(やなだ ただし)というひとは、すごい。
この一節があったから、この歌はここまで有名になったのだと思う。
これが、全体が短調のままだったら、
美しい歌には仕上がるだろうが、救いのない嘆き節に終わってしまう。
それに、この曲はほぼ一日でつけられたというから、驚きだ。
芸術は、一気にものすごいエネルギーで生まれるのか。


あとひと月で、本当の城ケ島の利休鼠を見られるかもしれない。
雨の日、城ケ島まで足を運んでみようか。


城ケ島公園の上空からの写真
神奈川県ホームページより >>>


(東京世田谷では、湿りをもたらした雨だったが、ちょっと離れただけなのに近郊の町、県にはひどい被害をもたらした今回の雨。被害に遭われた方、お怪我をされた方に、心よりお見舞い申し上げます。)



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