すずむし



2012年8月18日(土)

むかし、小学生の頃、家で鈴虫を飼っていた。
どういう経緯で買うことになったのか覚えていないが、
数年間、毎年毎年卵を産み続け、かなりの数がいた。
この時期になるとそろそろ鳴き出し、
夏休み終わりごろは、「う~るさい!」というほどの大合唱になっていた。

そう、【泣く】と【鳴く】の違いを覚えたのも、鈴虫のお蔭だった気がする。
実際には、鈴虫は口で鳴くのではなく、オスが羽をこすらせて音を出している。

水槽に湿った砂を入れ、止まり木を入れた。
餌は普段はキュウリとナス。
スイカの食べ残しも入れた。
甘いものをやると鳴き声が良くなるということで、砂糖も入れた気がする。
なぜか、時々ドジョウのかば焼きも与えられた。
栄養を付けて、いい卵を産め、という親心だったのか。

水分が必要なので、砂に時々霧を吹く。
そうすると、それまで砂と同化していた黒いものが、一斉に動く。
幸いにも、私は虫が嫌いではなかったために、
そういうのを見て、面白がっていた。

夏休みが明けると、親が学校に鈴虫を持って行けという。
「えー、いやだぁ」と必ず一度ゴネてから、持っていった。
目立つことはいやだったが、好きだった。
ちょっと得意になれることを思うと、その魅力に負けて持って行った。
そして、きっと何も言わずに教室の後ろに置くのだ。
級友が集まってくる。
「何ソレ?」
「鈴虫。」
「へえ。どうして持ってきた?」
「鳴くから」
とかなんとかいう会話があったと思う。
クラスに受け入れられるかどうか、微妙な瞬間だ。
私はこういうのが苦手だ。
いまでもそうだ。
なるべく波風立てずにやり過ごしたい。
興味津々の級友に、少し鼻を膨らませて
そして、なるべくクールに餌やりなどのことを説明したことだろう。
「こんなこと、大したことない」といった体で。

鈴虫が鳴くタイミングと言うのは、よく分からない。
まわりが騒いでいると、一緒になって鳴いたような気がする。
だから、クラスがワーワー騒いでいると、鳴いた。
せっかく持ってきた鈴虫の鳴き声は、
すぐに鈴虫などに見向きもしなくなったクラスメートの騒ぎの中に
完全に消えている。
目立ちたくないけど目立ちたい。
鈴虫が鳴いているのに、だれも聞いてくれない。
どうしよう。

叫んで「静かにしろ」とはとても言えない。
たしかクラス委員をしていたはずだが、肝心なところで気が小さい。
立ちあがり、黒板に書きに行った。
「静かにしてください。鈴虫が鳴きますから。」
私の行動で、一瞬クラスが静まってくれた。
じっと耳を澄ます。
鳴かない。
リリ、とも言わない。
鈴虫もこちらの気配を伺っている。

そうこうするうちに、授業が始まる時間になった。
鈴虫は一向に鳴いてくれない。
先生が入ってきた。
黒板の文字を見る。

「あ、だれや? 鈴虫持ってきてくれたの?」
得意げに、恥ずかしげに手を挙げる。
「これ、コレ書いたんも、あんた?」
ハイ、と得意げに、消え入りそうな声で言う。

「ふーん。これ、いい文章やね。倒置法っていうげんよ。」

鈴虫はなかなか鳴かず、私はヒロインにはなれなかった。
でも、【倒置法】という言葉をこの時覚えた。
この言葉を聞くと、私は必ず鈴虫と、
あの水槽のぷーんとした匂いと、
クラスでの微妙な立ち位置を思い出す。

photo by ajari



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