玉電



2012年5月18日(金)

東京世田谷区に、2両連結の小さい電車が
三軒茶屋駅から下高井戸駅まで走っている。
38年前、中学生になるときに北陸から東京に越してきた私は、
都会らしくない木製のそのチンチン電車がすぐに好きになった。

そのころは玉電と呼ばれていて、床も手すりも木でできていた。
冷房はなく、梅雨のラッシュ時などは蒸し風呂のようだった。
ドアを閉める時は、運転手が「こっちの車両は閉めてもいいよ」と
「チンチン」という音のベルで車掌に知らせる。
環状7号線を渡るときは、道路の信号に従って、
赤では止まって自動車の流れを待つ。

私が中学二年生になった時、玉電が廃止されるという噂が学校に広まった。
私は焦った。あの玉電に乗れなくなる。どうしよう。
親に頼んだ。「玉電買って。」

それからしばらく、あの木製の車両をどう使うか、空想に遊んだ。
吊皮には制服をぶら下げることにした。
シートは広げてベッドにする。
そのほかは、あまりいい思いつきはなかったが、
空想は楽しかった。

結局、玉電は廃止されなかった。
親に頼めば電車が買えると思っていた私は、本当に幼かったと思う。
私はこの春、世田谷の実家に15年ぶりに戻ってきた。
玉電は、私がほかの刺激的なことにうつつを抜かしている間に
カラフルでスタイリッシュな車両に変っていた。




















今、もしあの木製の車両が買えるとしたら、私は買うだろうか。
多分買わない。
広大な敷地があって、改造する経済力があったとしても、多分買わない。
なぜなら、止まっている車両から見える景色は、やはり止まっているから。
風を起こさない、動かない玉電には、魅力を感じない。

玉電から見える景色は、今も変わらない。
季節季節の小さい花々が電車と一緒に揺れるのがうれしい。

今日、私はその電車に乗って、松陰神社の近くにある法務局へ行った。
会社の登記をするために。
今日が「株式会社はる希」の第一日目となる。
緊張も武者震いもしなかった。
昔と変わらない、穏やかな玉電に揺られて、
私はあの中学生の頃の幼い自分に戻っていたのだと思う。


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